2023年9月4日月曜日

番外編その1「映画、めくるめく冒険 ~初めての沖縄・前編~」

こんにちは!
普段は映画のレビューblogをしているのですが、今回は特別編「映画、めくるめく冒険 ~初めての沖縄・前編~」をお送りします!
(※この度の内容は、ちょいちょい映画ネタを挟む事はあっても映画レビューではありません!)
当blogのイラスト担当かつパートナー(城間さん)の父方の実家が沖縄であり、旧盆に合わせて今回初めて沖縄へ行ってきました。
実は沖縄は、中学時代から「こげぱん 沖縄ぶらり旅日記」(他のシリーズも良き)を熟読していた身として
「いつかは行ってみたい場所」でした。
8/29から9/3の6日間、初めての沖縄です。
中学時代から聖書のようなもの。


1日目。
飛行機の窓から沖縄が見えたとき、脳裏をかすめたのは深作欣二監督の傑作『博徒外人部隊』(1971)で沖縄へ乗り込む時の鶴田浩二でした… おれたちの履歴書!おれたちの縄張り!

到着したのが夕方だったので、ホテルのチェックイン&小休止をすると、夜ご飯を求めて街へ出ました。
初日の夜は居酒屋「うりずん」で夜ご飯。
ここには「豆腐よう」「スクガラス豆腐」「スーチキ」などザ・沖縄の料理を食べられる場所として「こげ旅」にも紹介されており、先ず行っておきたいお店でした。
出てくる料理はいずれも美味!
嬉しい誤算だったのは「中身汁」なるもので、豚の大腸、小腸、胃(要するにモツ?)に薄切り椎茸が具材のすまし汁。
モツも椎茸も苦手な僕ですが、パクパクいけました。沖縄ではお祝い事に食べるものだそう。
初日から良い物いただきました。

2日目。
城間さんの友人(Iさん)と合流し、職場の元先輩(Hさん)が勤める染め物屋「首里琉染」へ行きました。

ここではサンゴ礁染め体験をしてきました。
サンゴ礁で作る模様は、華やかで少し懐かしいような。お手本や他の人が作るものとは随分違いますが、オンリーワンのTシャツを作れて満足でした。


しかも「首里琉染」のある首里周辺は「こげ旅」に載ってたお店(ぶくぶく茶屋)があったり、首里劇場なる元映画館を発見したりと、思わぬ出会いの多い散歩が出来ました。

2日目の夜は「うりずん」の姉妹店「ぱやお」で、ここでも沖縄料理を堪能しました。

栄町通りという飲み屋街の中にあり、ごった返した雰囲気はなかなかにディープ。
歩くだけで楽しい感じです。

3日目。
僕と城間さんとIさんの3人で泊港の朝市場「泊いゆまち」へ海鮮丼を食べに向かうと、盆休みのため市場がやってない!
急きょ近くのソーキそば屋に変更したのですが、480円という安さとは思えない美味しさ!
お店の古い雰囲気と言い、夏真っ盛りに食べてる!という感慨に耽りました。
沖縄でソーキそばを食べるのはこの日が初めてで、嬉しいソーキそばデビューでした。

朝食後は国際通りの近くにある「壺屋やちむん(焼き物の意味)通り」へ繰り出し、やちむんを見、気に入った物を購入。僕はシーサーを買いました。
何となくウィリアム・フリードキン監督版『恐怖の報酬』(1977)に出てくる石像に似ていた&可愛らしかったのが決め手です。
問題の石像。

2023年8月10日木曜日

映画きらきら星 第2回『怪異談 生きてゐる小平次』

 こんにちは!

暑い日々が続きますね。夏にはやはり怪談。

今回の映画は窓を開けて団扇をあおぎながら観ると、粋な涼しさを感じれるかもしれません。

 

『怪異談 生きてゐる小平次』(1982年 監督:中川信夫)

旅役者の小平次(演:藤間文彦)、囃子方の太九郎(演:石橋正次)、その妻・おちか(演:宮下順子)は昔よりの幼馴染。だが小平次がおちかへの思いを口に出した事で、三人の関係に亀裂が入る。巡業先で勢いあまって小平次を釣船から突き落とした太九郎は、彼を殺してしまったとおちかの元へ逃げ帰るが、二人の前に死んだはずの小平次が現れた…

ここが見所:

『東海道四谷怪談』(1959)『地獄』(1960)で知られる名職人監督・中川信夫の遺作となった本作は、低予算を逆手に取った撮影がお見事。全編においてカメラは“ほぼ”フィックス、登場人物は三人のみ。

アッと驚くショッキングな描写や効果音など無い代わりに必要最小限のものしか画面に映さず、かえってその抑制ぶりが作品の怪しげな雰囲気づくりに一役買っており、超現実的な描写として魅せてくれます。

日活ロマンポルノの女優として知られる、宮下順子の色気っぷりも特筆ものです。

小平次は本当に死んだのか、それらは全て夢なのか。何をもって恐怖は喚起されるのか。

そんな事をつらつら思いながら楽しめる映画です。


イラスト:岩佐悠毅

誰のこっちゃなイラストになってしまいましたが、左から宮下順子、石橋正次、藤間文彦(後ろ姿なれど)です。昔から思ってきた事ですが、“目”は本当に描くのが難しい。

そして、シンプルな線であれだけ本人の特徴を捉えたイラストを描いていた和田誠さんは、やっぱり凄いなぁと改めて驚くばかりの日々です。

2023年8月1日火曜日

第24回 『独立愚連隊西へ』戦争は痛快で、愉快で、悲しい。

こんにちは!

8月に入りました。今年は太平洋戦争の終戦から78年目の夏となります。

今回は、その戦時下を生きた映画監督、岡本喜八の代表作にして戦争映画の傑作をご紹介します。

 

『独立愚連隊西へ』(1960年 監督:岡本喜八)

 

舞台は中国北部。歩兵第四六三連隊が八路(パーロー)軍の攻撃を受け、軍旗を持って危機を脱した北原少尉(演:久保明)を残して玉砕。少尉ならびに軍旗の行方が分からなくなってしまった。

報告を受けた本隊は直ちに軍旗捜索隊を編成するが、第一次捜索隊はアッという間に全滅。

次なる捜索隊を探しあぐねているところに、数々の危険地帯に転属させられてきた噂の独立愚連隊、左文字小隊の名前があがった。かくして、左文字少尉(演:加山雄三)率いる左文字小隊は意気揚々と赴いた。

だが、この事は敵である八路軍の耳にも入っていたのだ…。

前作『独立愚連隊』(1959)はミステリと西部劇要素に溢れた快作でしたが、あまり悲観的に描かれない戦闘シーンのためか好戦的だという批判を多く受けました。戦場の虚しさを表現するために行った戦場描写が、かえって誤解されてしまったのです。

そこで本作は、戦闘シーンもあるものの極力人物たちの死亡シーンを抑えた形をとりました。代わりに大幅に加えられたのは、ユーモアとキャラクター描写です。

朗らか呑気に見えてキチっと締める若大将こと左文字少尉に始まって、小隊の頼もしい母ちゃんポジションの戸川軍曹(演:前作で主役を張った佐藤允)、神谷(演:堺左千夫)(演:中山豊)の一等兵漫才コンビ、本隊から合流した真面目一本の関曹長(演:山本廉)、中国の地理に詳しい神出鬼没の助っ人早川(演:中谷一郎)といった、一癖も二癖もあるメンバーは観ていて楽しい限り。

加えて、本作は東宝の映画のため、ゴジラを始めとする東宝特撮映画でよく見る顔が多く出てきます。前述の堺左千夫や山本廉だけでなく、久保明、平田昭彦、田島義文、沢村いき雄、堤康久などなど観ていて「あっ、この人は!」という発見がきっとあるはず。昔の映画は主役脇役問わず、その映画会社の「顔」というものがあって良いですね。

特に本作の堺さんと山本さんの活躍っぷりは、東宝特撮映画ファンからすると嬉しくなっちゃいますよ。

 

軍旗を追いかけているのは左文字小隊だけでなく、日本軍の士気を落とそうと画策する八路軍も出てきます。

そこで出会うのが梁隊長(演:フランキー堺だ!)率いる部隊なのですが、彼らに比べると左文字小隊は多勢に無勢。(余談ですが、この八路軍と左文字小隊が初めて出会うシーンはロバート・アルドリッチの痛快西部劇『ヴェラクルス』(1954)に似ています。西部劇好きの監督ですから、ひょっとすると参考にしたのかもしれません…?)

その窮地のくぐり抜け方は実に平和的かつ笑いの要素もありで、この辺の描写には監督の「他民族との触れ合いとは、戦闘ではなくこんな風に出会えたら良いのに」という願いが込められているように感じます。

旅の道中では、やむなく中国軍に身を転じた女性看護師(演:水野久美)や進んで中国軍のスパイになった中尉(演:中丸忠雄)にも出会います。彼らとの出会いも、戦争という大きな暴力の中でなければ疑い疑われたりといった関係ではなく、もっと気持ちよく、人間らしく出会えたろうに… と感じさせずにはいられません。

 

『独立愚連隊』シリーズ(1959~‘60)、『江分利満氏の優雅な生活』『戦国野郎』(共に1963)、『血と砂』(1965)、『斬る』『肉弾』(共に1968)、『赤毛』(1969)、『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971)、『吶喊』(1975)、『ブルークリスマス』(1978)といった作品群は、戦争映画、時代劇、SFなどジャンルは多彩ながらも各々の作品で描かれている事は常に一貫しています。

それは、「戦うことの虚しさ、戦って真っ先に死んでいくのはいつも末端の人間である」という怒りのメッセージ。

「映画は、まず、何と言っても面白くなくては…」とは監督の言葉ですが、戦争中の体験は「ささやかではあったけれども痛烈だった体験」でもありました。上官らの理不尽な仕打ち、友人たちの死。

岡本喜八監督は軍隊生活でのあまりに悲惨な体験を、ある時期を境に喜劇的に考えるようになったといいます。飢え、鬼教官、訓練といった事を“笑い”に転化する事によって、常に死の恐怖について考えるコトがなくなったのだと。監督の明るめの作風は、そのような体験から生まれ出たものなのです。

 

本作は数ある岡本監督の作品たちの中でも、娯楽映画としての度合いと反戦のメッセージが素晴らしく調和した一作だと思い、今回選ばせていただきました。

作風自体はユーモア多めとは言え、話の前提がボロボロになった軍旗ひとつのために戦場に赴くというものなのですから、そこに託された「戦争の愚かさ」のメッセージを、僕たちはただ楽しむだけでなく、しっかりと胸に刻んでいかなければなりません。

とは言え、まずは映画そのものを大いに楽しもうではありませんか。

驚き、笑い、怒り、悲しみ、そしてシミジミしましょう。

話はそれからだ、愚連隊、前へーっ!


イラスト:城間典子(絵を描きながら「加山雄三はイケメンだなぁ」と呟き、若大将シリーズに興味を示した彼女。そう言われるとこっちも「未見だし観てみようかなぁ」と気になる始末。そういえば若大将シリーズって、レンタルでお目にかけないような気が)

2023年7月18日火曜日

映画きらきら星 第1回『ダウン・バイ・ロー』

こんばんは!

突然ですが… 僕のブログ更新頻度がなかなか遅い&一回の投稿量が多いため、「サクッと気負わずに書いてみよう!」と、ミニレビューもやっていく事にしました。

題して、映画きらきら星。

星の数ほどもある大好きな映画たち、一つでも多く紹介して観てもらえるキッカケになれば… という思いで頑張ります!

今回はその第一弾。大好きな監督の偏愛する作品をご紹介。

 

『ダウン・バイ・ロー』(1986年 監督:ジム・ジャームッシュ)

刑務所で一緒になったザック(演:トム・ウェイツ)ジャック(演:ジョン・ルーリー)ロベルト(演:ロベルト・ベニーニ)3人が、脱獄をしてすったもんだの珍道中。

 

ここが見所:

本作で初めてジャームッシュと組んだロビー・ミューラーの撮影。モノクロ画面が4050年代のフィルムノワールのような雰囲気で撮られていて、とってもクール!

トム・ウェイツの「Jockey Full Of Bourbon」をバックに数々の風景が映し出されるオープニングの格好良さに、掴みはバッチリ!

そして脱獄映画をパロディ化したような、どこかズレた感覚。脱獄自体はアッサリと成功するわ、逃亡の様子も次第に呑気な感じになっていくわで、独特のユルユル具合がクセになる!

当時、本業が俳優でなかった主演3人のアンサンブルも必見。みんな気取った体を醸し出すのが上手い!

ジャームッシュは、時に当て書きしてるのか?と思うくらいに演者とキャラクターが調和させてきますね。

ちょいとカッコよくて、適度に可笑しく、そしてホッコリする不思議なロードムービー。

それが『ダウン・バイ・ロー』なのです。

 

イラスト:岩佐悠毅

映画きらきら星では、いつもの城間さんのイラストではなく、僕の描いた場面イラストを載せていきます。新しいチャレンジを2つも!

人前に出すイラストなんて普段描かない&昔から絵が下手っぴなので恐れ多いのですが、ドウゾヨロシクオネガイシマス…。

2023年7月2日日曜日

第23回 夏だ、夏休みだ、『河童のクゥと夏休み』だ!

こんにちは!

梅雨だ梅雨だと言ってあまり降ってないゾと思っていたら、一週間まるまる雨続き…なんて週がようやく現れて、梅雨らしさを感じている今日この頃。これが終わると、いよいよ暑い暑い夏の到来、そして子どもにとっては楽しみな、親にとっては大変な夏休みももうすぐです。

今回のめくるめく冒険は、来たる夏休みにピッタリの映画、『河童のクゥと夏休み』をご紹介します。

『河童のクゥと夏休み』(2007年 監督:原恵一)


監督は、言わずもがなの大傑作『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001)『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』(2002)など「泣けるしんちゃん映画」を作った原恵一さん。

本作は原さん(監督より「さん」付けで呼びたくなる)がクレしんシリーズを離れて初めての劇場映画ということで、当時けっこう話題になっていました。

 

夏休み前のある日、小学五年生の少年・上原康一(声:横川貴大)は河原で不思議な石を拾う。

その石の中には、江戸時代より地割れに巻き込まれ仮死状態となっていた河童の子ども、クゥ(声:冨澤風斗)がいた。

最初は不気味がる上原家であったが、周囲に気づかれないようにクゥと暮らしていくなかで、だんだんと親しくなっていく…。

 

当時CMでは「俺(クゥ)と康一との、ひと夏の冒険だ!」みたいな冒険ファンタジー映画風の宣伝が行われていました。

間違いではないんですが、いい意味でもっと地味な感じ… なんですよねぇ。

本作は日常の中にやって来た「非日常」との日々を、あくまで日常のペースで、地味~に丁寧に描いています。

そのためか初見時は「河童の子どもを主人公としたホームドラマを観た」という印象でしたが、それは物語のみならず、内容に即したリアル志向な演出の緻密さでもって、アニメチックなファンタジーを完成させている事に対しての驚きだったのでしょう。

写実的なファンタジー、僕はそれを原イズムと呼んでいます。

 

例えばファーストシーン。江戸時代の夜、川の土手でクゥとクゥのお父ちゃんがジッとしている幕開け。

明るいのは蛍の光くらいで、全身像や周りの風景をハッキリと確認するほどに画面は明るくありません。人口の光なんてない当時の夜の暗さを「みんなに見えるように調節しよう」ではなく「当時の暗さをそのまま映してみよう」と決断して、このような画作りにしたそうです。

これは「分かりやすさ」が優先される現代において、なかなかチャレンジングな試みです。

しかしファーストシーンのこの試みがあるために、本作が「他とはちょっと違うかも?」と思わせます。

ところ変わって現代、舞台となる東久留米の梅雨らしいジメジメした風景を歩く子どもたち。ここでも東久留米市の風景が、実に写実的であります。

それまで原さんが担当してきたTVアニメ『エスパー魔美』『クレヨンしんちゃん』といった、日常描写をメインとした作品で培われた演出方法が本作で活きています。

人物たちが暮らす舞台を丹念に描くことによって、河童の子どもという異物が紛れ込む形になっても、ある種の説得力を持って迎えられるのです。

 

クゥが何かを食べる時のリアルさもミソ。魚を食べる時は一口でパクっではなくバリボリと美味しそうに食べるのですが、食べられた魚の臓物や骨の出具合なんかもキチンと描いており「食べる」というよりも「食らう」という表現がピッタリ。これ見よがしに描かず「まぁこういう食べ方になるよね」的な、ある種サラッと描写してみせる辺り、原イズムしてます。

極めつけは、ひーちゃんが持って帰ったカタツムリを食べるシーン。手に取って一瞥したかと思うと直ぐにチュ~っとカタツムリを吸い込むようにして食べてしまうのですから、ひーちゃんでなくとも面食らってしまいます。

このような生々しい描写により、クゥが単に可愛らしいキャラクターじゃなく、一匹の生き物なのだと再確認させられるのです。

リアルと言えば、登場人物たちも極端なデフォルメなどせず「普通の人々」として描かれます。

康一とお父さんはクゥに興味津々で受け入れるのも早いけれど、お母さんと妹の瞳(ひーちゃん)は慎重気味。

ひーちゃんに至っては、末っ子で可愛がられてきた立場がクゥに取って代わられやしないかという心境か、意地悪したり乱暴な物言いをしたりします。これは誉め言葉なのですが、ひーちゃんの可愛くなさと子どもあるあるっぷりは見事だな、と思います。

普通だったら、もっと可愛く描こうとしますもの!

彼女がクゥと過ごすことにどう折り合いをつけていくのかも、絶妙なラインで描いていますよ。

上原家に飼われていて、クゥにとっては人間界を知る先輩格として登場する犬のオッサンも、良い味出してます。よきアドバイザーでありキューピット()でもある彼の存在は、クゥにとっても心の拠り所である様子。

そして、学校でいじめの対象になっている菊池紗代子。康一にとって若干気になる存在だけど近づきがたい雰囲気を持っていた彼女も、クゥをキッカケとして少しずつやり取りをしていくようになります。クゥだけでなく彼女との交流を通して、康一は夏休み以前とは違う彼に変わるのです。

 

家族それぞれの反応や心境の変化、交流をじっくり描くのと同時に、クゥを軸としてクラスメイトとの確執、マスコミや野次馬の追求といった物語の展開もあります。

特にクゥの存在が知られるようになってからは、家の前に張り付くマスコミ連中や興味本位で群がる野次馬など、ジワジワと(クゥたちだけでなく観ている僕たちも)精神的に落ち着かなくなってきます。

一緒につるんでいた同級生たちも、クゥを見せてくれない康一が面白くなく仲間外れにしていきます。ふとした事でいじめが始まるこの感覚、わかります。

僕自身も中学の頃いじめにあったことがあり、キッカケなんて「なんかムカつく」くらいの小さな事でしたから。

クゥと上原家がTV出演するシーンでは人間の醜さや愚かさがこれでもか!と映されていくため、観ているこっちとしては「もう止めてくれよ~」と思うようになり、加えて一つの大きな別れのシーンもあって… つらい。

しかし本作は「誰それが悪役で、成敗または改心されて良かったね」といった分かりやすい、観やすい筋立ては用意していません。

そのまま、なのです。

マスコミ騒動の後に誰かがクゥたちに謝ったり、クラスメイトのいじめがハッキリとなくなったかと言えば、そうではありません。騒ぎが収まると、また何事もなかったかのような日々が始まるのです。

この白黒つけない感じも、実に原さんらしいと思いました。

現実はそう単純に割り切れるものではない。だけどこうして映画に映されたものを観て、それをどう感じるか、観客に問うている気がします。

 



上原家とクゥとの温かい交流だけでなく、人間のエゴも画面に映した原さん。

だからと言って「人間ってヤダな」で終わらず、そんな中でもいくつかの出会いと別れを体験した康一の小さな成長が、この映画の希望であると感じます。

つらい事も多いですが、家族みんなでご飯を食べた時や相撲を取った時。クゥと二人で河童の仲間探しに遠野へ行った時。

一生に一度だけの夏休みは、かけがえのない美しさでもって康一に、そして僕たちの心に深く刻まれ続けます。

日常動作や心の機微をしっかり描くことで「単なる消費物」に終わらせず何かの折に想いを馳せられる、そんな素敵なアニメ映画です。


挿絵:城間典子

2023年6月1日木曜日

第22回 3年ぶりの『はちどり』は如何に映ったか?

こんばんは! 
皆さん、お元気でしょうか。
僕は元気です。なんと3年ぶりの更新となってしまいました。
このblogを楽しみにしてくれている(有難くも奇特な)皆さん、どうもお待たせしました!

3年以上もblog投稿が空くと「どんな具合で書けばいいんだ」とか「何を復活第一弾にすればいいんだ」などと、独りで意味もなくテンパってしまうものです。

そこで今回は、3年前の2020年当時、ベスト級に良かった映画を紹介する事にしました。
その作品は、キム・ボラ監督による韓国映画『はちどり』(2018)です。

『はちどり』(2018年 監督:キム・ボラ)


2020年に話題を呼んだ韓国映画と言えば、ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』(2019)が真っ先に思い浮かびますが、本作も結構話題の映画でした。
本作が長編デビュー作であるキム・ボラ監督の確かな演出力は世界各国で絶賛され、単に映画祭で評価されただけでなく、韓国内でも単館公開規模ながら公開一ヶ月で観客動員数12万人超という驚異の大ヒット。国内外で評価された映画だったのです。

もう数年前のことなので、何をキッカケとして観に行ったのか朧げなのですが、観終わった時に「この映画は、自分にとって大事な映画になるな」と思ったものです。
先日も観なおす機会があったため、久しぶりに本作と向き会いました。
今回は「どうして、自分にとって大事な映画だと思ったんやろう」と思いながら観ていました。
良い意味での疑問を抱きながら観、終わった頃には「うん、やっぱり大事だ」と改めて思わされました。
今回は、その「良いと思った何か」を自分なりに考えながら、紹介していきます。


1994年、韓国のソウル。14歳のキム・ウニは両親、兄、姉の5人で暮らしている。
両親からは世間体の良さばかりを求められ、学校にはなじめず、同じ塾に通う親友との時間や彼氏の存在が彼女にとって救いであり癒しでもある。
家庭や学校である種の息苦しさを感じていた彼女の前に、新しい塾の教師が現れて……。


男性優位的な社会観、そして「良い大学に入る」ことこそが最高のゴールだと言わんばかりの両親や学校。ウニでなくとも「嫌~な青春」というカテゴリーに入ってしまいそうな日々。
この作品の舞台となっている90年代は、正にキム・ボラ監督が13~14歳の少女として、青春を謳歌している時代でした。すなわち、ウニの姿は当時の監督の姿でもあるワケです。
「当時は当たり前すぎて疑問に思わなかった、考えていなかったけど、後から考えるとオカシナ事だったなぁ」と思ったりする機会が皆さんにもあるかもしれません。
ボラ監督も、そのように当時を振り返りながら撮影をしたのでしょう。

インタビューの中でも「人が生きるうえで感じるすべての感情を、少女の生活を通じて見せたかったし、政治、社会、フェミニズム、ジェンダーといった様々な社会的な問題を、少女の目を通じて、微細なところから見わたそうと努力しました」と言い切っています。
これはその当時を生きた監督が、今現在だから語れる、描けることであります。
いわば本作は、現在に生きる監督が、かつて自分が生きた90年代の韓国を批評するかのような作品でもあるのです。

映画にせよ本にせよ、どうも僕はこのような「個人を通して歴史を、限られた時代を描く作品」に弱いらしく、オールタイム級に大好きな『ぐるりのこと。』(2008)と本作の性格はよく似ていると、初見の際に感じたものです。
やはり大衆で物事を語られるより、個人の生き様で語ってくれる方が、観ている側にとって伝わりやすいからでしょうか。なんと身も蓋も無い分析なんでしょうか。

『はちどり』では、ウニの目線で全てが語られていきます。
自分に対し、やたら両親が冷たい態度をとっていると思いきや、その直後には何事も無かったかの如く一緒に食事をとっている不思議。
親の言う通りに勉強ばかりして、その鬱憤を自分に向けてくる兄の理不尽さ。
彼氏のところへ行ったり家へ連れ込んだりする姉の大胆さに、驚きと少しの憧れを抱かずにはいられなかったり。
皆それぞれの方向ばかり見ていて、まるで自分のことなんて見てくれやしない。
そんなやけっぱちな気分にもなってしまいそうですが、どっこいそこは家族と言うべきか、そこまで冷たい感じでもありません。

ウニの耳後ろ辺りにしこりが出来て、それを手術する際に「顔面麻痺が起こりうる」と医者に言われた時。ウニ以上に動揺し、声をあげて泣く父親の姿は、それまで映っていた家父長制社会の権化のようだった人物と別人のようです。しかし、娘を心配しなくこの姿も一つの顔なのです。
叱ったりすることも多いものの、ウニに「ダメな娘」という烙印を押し付けて放っておくでもなく、彼女のお腹が空いてそうならチジミを作ってあげる母親。
「この父親は〇という性格、母親は△な性格」というカテゴライズをするのではなく、「父親は〇な性格が主だけど、時には×な性格の時だってある」という通り一遍ではない描き方。
もっと言えば「人間の持つ割り切れなさ」を、本作は唐突に、しかし丁寧に描いています。


そしてウニの前に現れる一人の女性。漢文塾の新しい教師であるヨンジの登場は、ウニにとって「大人」の価値観を覆す出会いでした。
不良生徒のように煙草を燻らせる姿、授業前に描いていた漫画に興味をもって話しかけてくれたこと、友だちや彼氏との関係が上手くいかなかった時なども、お茶をふるまい話を聞いてくれた……。
自分の見てきた大人たちとは何かが違う、その何かに憧れや親しみを覚え、ウニはヨンジに心を開いていきます。
人はよく、自分にないものを相手に求め、それに憧れることが多々あります。
ウニも当初はそうだったでしょう。しかしウニは気づいていきます。
ヨンジは自分をひとりの人間として見てくれている。だから私はこの人といると安心するし、落ち着けるのだと。
自分よりも相手を下に見ている態度というものは、すぐ相手に伝わるものです。
「近頃の若いもんは…」「年上だから伝えれる事がある」「お前たちバカを私が鍛えてやる」「お前は俺のところに働かせてもらっているんだ」etc……ウンザリしちゃいますね!

ヨンジ自身が大学休学中である学生、つまりウニと年齢が近かったことも大きいのでしょうが、彼女は当時の世の中の流れとは対極的な存在であるかのように見えます。
労働運動で歌われた『切れた指』を歌う場面、大学を休学中でバイトを転々としている… と語る場面など、ヨンジは学生運動に参加していた人物ではないか(この事はパンフレットに記載されていた監督インタビューの中にも明記されていました)、つまりヨンジは、それまでの「世代」とは違う「新たな世代」の人であるということです。
新しい世代は何かと煙たがられるものです。ロックンロールが流行しだした頃など、良い例ですよね。しかし新世代の台頭は、よくも悪くも社会が変革する時。
ウニがヨンジと出会った時間こそ、それまでの価値観から一歩踏み出そうとしている韓国変革の真っ只中なのです。

両親たちの世代、ヨンジたちの世代、そしてウニたちの世代と、3つの世代が邂逅し、それぞれに変化が生じていく。
『はちどり』は単なる「少女が過ごした青春の一ページを切り取った映画」ではなく、当時の韓国の情勢を見事に取り込み、描ききった映画であるのです。
ただ、こう書くと人物たちの言動、動作といったものが図式化された、いわば「監督のメッセンジャーとしての機能」に陥ってはいやしないか、と考える方もいるかもしれません。
が、それは大丈夫です。それぞれの人物たちは「役の役割」を軽々と超え、見事に劇中の時間を「生きて」いますから!

本作では度々、ウニを背中から捉えたショットが映し出されます。
「見えない」という事が想像力を刺激するように、私たち観客も表情の見えないウニに想いを馳せます。
その場面で彼女の考えているもの、彼女が背負っているもの、そして彼女の視線の先にあるもの……。
この映画には様々な要素が散りばめられているワケですが、僕が本作をとても好きになってしまったのは、この絶妙な「背中ショット」があるから、つまりこのショットで築かれる「間」が、観客に対して、映画や人物についての想像の時間を与えてくれるからではないかなぁと感じます。
映画には時間経過を示す「視覚的な間」と、人物や映画そのものの内面に迫る「感覚的な間」の2つがあります(と、僕は常々思っています)。
『はちどり』は、この『感覚的な間』の描き方が、非常~に上手い気がしたのです。
単に「この背中ショット、決まってるねぇ!」と直感で気に入っただけかもしれませんが……。
ともあれ、この「背中ショット」は下手な人がやると本当に下手くそなので、やっぱり上手いんです。ショットを入れてくるタイミングや、映す長さが。

と、長々と書き連ねてきた『はちどり』覚え書きでしたが、やはり映画の魅力を言葉にするのは難しいです。
頭でっかちな文章だなぁと我ながら思うのですが、もしこれを読んで少しでも映画に興味を持っていただけたら(そして観ていただけたら!)、書いた甲斐もあるというものです。

挿絵:城間典子

2020年1月3日金曜日

第21回 2019年に観た旧作ベスト5ですよっ!?

こんにちは!
正月休み、どのようにお過ごしですか?
僕は実家に帰っていないため、ヒジョ~にダラダラとした時間を過ごしております。

こんなに年末年始感のない日々は初めてだったりします。
ま、そんな事は置いといて……


昨年も映画館以外で、色んな映画を観る事が出来ました。
それも、観たかった映画を沢山。
なので今回は、DVDやBlu-rayで観た映画たちの中で印象に残った作品をランキングします。
一応、初見の映画を並べますです。
さぁ、いってみましょう!




5位 『メイド・イン・L.A.』(1989 マイケル・マン)

マイケル・マンの代表作『ヒート』(1995)の元ネタとして長いこと気になっていたTV映画です。
観て驚き桃ノ木。
主人公刑事ヴィンセントの娘の件や強盗団の細かい人間模様などがシーンとして無いくらいで、あとはほぼ『ヒート』のまんまじゃまいか!
本編90分少々というTV映画だからこその尺となっており、上映時間
がやたらと長いことで有名なマイケル・マン映画の中では相当に短い!
おかげでテンポ良く進み、一気に魅せてくれます。


『ヒート』では主役二人がアル・パチーノとロバート・デ・ニーロの激シブオヤジたちだったのに対し、こちらの2人は30歳くらいの若いキャスティングです。
二人とも若さゆえの自信の表れや野心を持っており、フレッシュな感覚に満ちています。
物語の流れは同じなのに、人物設定を少し変えるだけで物語の意味合いまで変わってくるものなんですね。
『ヒート』の名シーンとなっているコーヒーショップでの会話は、こちらでも良いシーンとなっています。
常に緊張感を漂わせている強面オヤジたちより、若い兄ちゃんたちが話しているからこそ
「一見穏やかそうに見えて互いの心の中では闘志が……」というのが際立っているような気がして、僕はこちらの方が好きだったりします。


そして『ヒート』と言えば、実銃を使ったという約10分に渡る伝説の大銃撃戦。
勿論、こちらにもあります。規模こそ小さいですが、こちらの銃撃戦もなかなかの迫力。
ヴィンセントが仲間を助けるため、敵の弾をくぐり抜けながら車のボンネットの上を転がり、着地して銃を撃ちまくるトコなんてカッコいいですよ~。
あと、ドアーズの「LAウーマン」をビリー・アイドルがカバーしているバージョンが本作のEDで流れるのですが、これも良いっ!



4位 『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー(ディレクターズ・カット版)』(1981 マイケル・マン)

我ながら「何度も観ているこの映画を入れるのはど~なんだ」と思うんですが、まぁディレクターズ・カット版(以下、DC版)なので勘弁してください。
大好きな本作のBlu-rayをつい先日手に入れまして、メインの劇場公開版だけじゃなく特典とし「4Kリマスター版本編」なるものがありまして、何だと思って観てみたらDC版だったのです。
ちなみに海外だと、マイケル・マン本人が公言しているのもあってか、DC版がメインだそうで。


というワケで、初めてDC版を観たんですよ。
な~るほど。
物語の流れに大きな違いはなく小さなシーンをチラッと足したりくらいなので、作品の補完の意味では確かにコレをオフィシャルとするのも納得です。
例えば…… OPのスタイリッシュなダイヤ強奪シーンから一転して、釣りをしている黒人のオッチャンと一緒に朝日が昇るのを主人公のジェームズ・カーンが見ているのですが、しみじみと良いシーンです。
こういう「物語に直接関係はないけど、入ることによって人物に膨らみが出るシーン」を、DC版では入れているのです。

が、劇場公開版と一番変わっていたのは、画面の色彩です。
彩度を抑え、黒を沈ませたその画面は公開版と比べると非常に陰影に富んだ、フィルム・ノワール的な面を強調した雰囲気になっています。

逆に公開版の方が、様々な明るめの色がしゃしゃり出ているように感じられるくらいです。
マン自身が監修したDC版は、長編映画デビュー作である本作をより普遍的な映画にしようとした執念のバージョンなのです……



3位 『夜の人々』(1948 ニコラス・レイ)

ニコラス・レイと言えば、ジェームズ・ディーンの『理由なき反抗』(1955)の監督で知られる方です。
そしてフィルム・ノワールや西部劇、歴史ものなど様々な映画を撮った職人監督でもあり、ヌーヴェル・ヴァーグの連中やヴィム・ヴェンダースに非常に尊敬された監督だったりします。
あと何と言っても、そのヴェンダースの『アメリカの友人』(1977)に出た時の強烈な存在感。


そんな彼の、デビュー作です。
フィルム・ノワール初期の名作として有名な映画であると同時に、フリッツ・ラングの『暗黒街の弾痕』(1937)と並んで、『勝手にしやがれ』(1959)『俺たちに明日はない』(1967)『地獄の逃避行』(1973)『ボウイ&キーチ』(1974)など多くの「男女逃亡もの映画」の元祖とも言うべき映画です。
こういった何かの元祖と呼ばれるものは、その歴史的価値のみにおいて評価される事がままあり、面白さを伴っているのかと言われると口を閉じたくなる場合が多かったりしますが、この映画はとても素晴らしいものでした。


映画は往々にして、作られた時代の流行だとか社会的な背景が映り込むものです。
しかしこの映画は、ボウイとキーチの男女二人の肉体的・精神的交流をひたすら追い続けます。
彼らの愛は、今観ても全然古びていません。
この映画が「永遠の処女作」と呼ばれる所以も、ここにあるのでしょう。


撮影も実験的かつ面白い試みをしています。
ボウイたちを乗せた車が走っているのを、ヘリによる空撮で捉えたオープニング場面。
それまでの映画にも、空撮による舞台の説明ショットはあったにせよ、本作のようにアクションの流れとしてのショットは、実はこの映画から始まったのだと言います。何と偉大な発明!
そして特筆すべきは、中盤の結婚式シーンでしょう。
いわれのない罪を背負って逃げる羽目になったボウイとキーチ。

愛し合っているのに心が休まらない二人は、ふと逃亡先で簡易結婚式場を見つけます。
気休めとは言え結婚しよう。
そう言って2人はささやかな結婚式を挙げるというシーン。
式場の前に立っている二人をカメラは後ろから撮っています。なので見えるのは二人の後ろ姿。
そこからカメラは動き出し、二人が式場の人と結婚の手続きをするのをずっと背中越しに見守っています。

まるでカメラが、二人の見届け人であるかのような撮り方です。
それを結構な時間を使って映しています。つまり長回しですね。
このようなカメラワークは、撮影時間の節約、物語の必要最小限の説明をしてくれると同時に、本作のテーマである「二人の行く末をただ見守るしかないという事」を、見事に画面の中で描いた描写と言えます。
しかも「ここぞ!」と言うべきところで長回しをしているため、現在のように長回しばかりで退屈だとかカメラの存在がチラつく事もありません。
やっぱり長回しは、使い方次第ですよね!
(誰に向けて言ってんだか)


まぁそんな事を抜きにしても、実に美しい映画でありました。
時おり観返してしみじみとしたくなる、大切な映画になりました。



2位 『キラー・エリート』(1975 サム・ペキンパー)

『ワイルドバンチ』(1969)や『ゲッタウェイ』(1972)『戦争のはらわた』(1977)など「バイオレンス・アクション映画の巨匠」であるサム・ペキンパー監督の中で珍作扱いされている本作。
やれ「カンフー映画ブームに便乗した」だの「忍者が出てきてオカシイ」だの「スパイアクションのなりそこない映画」等々、散々な言われようをあちこちで目にします。
加えて蓮實重彦を筆頭に、青山真治や黒沢清などいわゆる「そっち方面」の人々にえらく気に入られている映画でもありまして、それはそれで気になってしまう始末。
気に入らんかもしれんけど、ペキンパーファンとしては一回くらい観てみたい」と思うのが人情じゃあないですか。


そんなこんなしていると、キングレコードからDVDとBlu-rayが出て、TSUTAYAでも気軽にレンタル出来るようになってしまいました。
早速レンタルして、どんなもんだとチェックしました。
結果…… わざわざBlu-rayを買ってしまいました。

気に入っちゃったんですよ、コレが!
我ながらビックリしました。

これが世に言う、ペキンパーの黒歴史『キラー・エリート』なのかと。普通に面白いじゃないかと。
普通、なんて言うのは良くないですね。とても面白いじゃないかと!
自分の中のペキンパー・ランキングに、結構な上位に来る作品です。


ペキンパー印のスローモーションは言わずもがなですが、男の友情と裏切り、癒しと死を象徴する水の存在も、きちんと入っている!
忍者やカンフーは物語上の刺身のツマみたいなもんで、そこばかり突くのは野暮だと言い切りましょう。
爆薬を仕掛けるOPからして格好いい&ドキドキさせてくれるし、主人公であるジェームズ・カーンが守らなくてはならないアジアの要人が飛行機に乗ってやって来るシーンでの飛行機着陸シーンは、サスペンスの演出という点において、ひとつ前の映画『ガルシアの首』(1974)より明らかに上手くなっています。
そして親友でもあり今や敵となってしまったロバート・デュバルとの、反カタルシスな決着のつけ方……


確かにギクシャクした物語かもしれませんが、ペキンパーのニヒリズムに満ちた視点により「これは映画なのだよ」と開き直って観ることが出来ます。
すなわちこの映画は、オイシイ味つけをされたペキンパー流の冗談なのです。
冗談、と僕が受け取ってもいいくらいに、この映画は観客に対して開かれていると思います。
嘘だと思ったら、是非ともレンタルして観てみて下さい。
「こりゃ面白い!」となるか「くっだらねぇ代物だ!」と怒るかは、あなた次第ですが……


余談
『ワイルドバンチ』や『ゲッタウェイ』では「主人公たちの足を引っ張るダメな若者の役」として出ているボー・ホプキンスが、この『キラー・エリート』では非常に有能な銃使いの役で出てきます。
ペキンパー映画で一番評価されていない本作で、それまでと違う一番良い役で出てくるのは一体何の皮肉なんでしょう……


余談2
自分の中のペキンパー・ランキング。


1位 『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(1973)
2位 『ワイルドバンチ』(1969)
3位 『昼下りの決斗』(1962)
4位 『戦争のはらわた』(1977)
5位 『キラー・エリート』(1975)
次点 『ガルシアの首』(1974)

奇を衒っているワケではないんですが、こういうランキングになりましたとさ。
未だに観れていない『コンボイ』(1978)と遺作となった『バイオレント・サタデー』(1983)の「ペキンパー最晩年の二本」を、早いところ観たいものです。



1位 『愛欲の罠』(1973 大和屋竺)

ありとあらゆる映画の中で「死ぬまでに観たい映画ベスト1」だったのが、この桃色(要するにピンク)ハードボイルド映画『愛欲の罠』です。
監督の大和屋竺は、鈴木清順と若松孝二の弟子みたいな人で、『ルパン三世』などアニメの脚本家でも知られ、なおかつ日本映画の中で最もアバンギャルドなハードボイルド映画『荒野のダッチワイフ』(1967)を監督した人。
初期のルパン三世が好きで、『荒野の~』にゾッコン惚れ込んだ自分としては、何が何でも観たい映画でした。
それが去年の夏、東京に行く用事があって歌舞伎町のTSUTAYAで本作のレンタルDVDが置いてあり、信じられない気持ちのまま、すかさず借りました。
そして自宅で観た感想は…… 最高だぁ!


監督デビュー作の『裏切りの季節』(1966)と『荒野の~』はモノクロ、『毛の生えた拳銃』(1968)はパートカラー、そして最後の監督作である本作は初めて全編カラーで撮っています。
何と言ったらいいんでしょうか。映画を撮っていることが楽しくて仕方ないという気持ちが、ビンビン伝わってきます。
そして「これは映画という魔法であり、作り物であり、絵空事の結晶なのだ」と言わんばかりの大胆なハッタリのかまし方。
今まで自分が脚本、監督してきた「殺しのナンバー1を賭けて戦う男たちの世界」の集大成みたいな内容。

いや~、たまりません。

清順の『殺しの烙印』(1967)や若松孝二の『処女ゲバゲバ』(1969)長谷部安春の『野良猫ロック セックスハンター』(1970)松本俊夫の『ドグラ・マグラ』(1988)等々、脚本家として著名な人物にも関わらず、今回は同じ清順組の田中陽造が脚本を担当しています。
そのためでしょうか、清順がのちに手掛ける『ツィゴイネルワイゼン』(1980)『陽炎座』(1981)『夢二』(1991)の「浪漫三部作」に通じるものが、そこかしこに感じられます。


とまぁ色々置いといて…… 役者です。
主人公の殺し屋・星を演じるのは、荒戸源次郎。のちの映画プロデューサーであり映画監督である、あの人です。
阪本順治、豊田利晃、大森立嗣をメジャーにした人ですね。
この頃は劇団「天象儀館」なるものを率いており、『愛欲の罠』はその劇団による「第一回製作映画」となっています。二回目以降があったのかは知りません……
プロの役者ではないので、演技がヒジョーにロー・テンションです。

常にボソボソ喋り、セックスするシーンもやる気なさげ。
そんな全身ひねくれオーラをプンプンさせているのが、かえって役にハマっているんだから不思議です。


星の愛している女・眉子は「日活ロマンポルノ」を代表する女優、絵沢萠子です。
僕はこの人のムンムン熟女演技が正直言って苦手な方なのですが、本作における彼女は素晴らしいです。
こんなに魅力的だったのかと驚きました。撮り方が良いんでしょう。

とんでもなく綺麗に見える時が、ふとした瞬間あります。
他にも夢子役の安田のぞみとか港雄一&山本昌平の『荒野の~』コンビだとか色々言いたいのですが、やはり目玉はこの人らです。


殺し屋コンビのマリオと西郷を演じた、秋山ミチヲと神宮ガイラ。
神宮ガイラは単にガイラとも、小水ガイラとも様々な名前で呼ばれる人物ですが、小水一男としてピンク映画を数多く監督した人で、特に『処女のはらわた』『美女のはらわた』(ともに1986年)は、ピンク映画にスプラッター要素を持ち込んだという事で有名な映画です。
そんなガイラが演じた殺し屋西郷は、無口無表情の巨漢という「でくの坊とは正にこれ」といった風貌で、おっかない雰囲気満々。
しかし、西郷はまだ序の口。

問題は殺し屋のくせにマリオネットという設定のマリオこと、秋山ミチヲです。

秋山ミチヲ。
秋山道男と書いた方が有名かもしれないこの男は、若松孝二のピンク映画で歌を歌ったかと思えば出演したり、プロデューサーをしたり、あの『おでんくん』で「おでん屋のおじさん」の声をしていたりの人物なのです。あの妙に素人っぽい喋りは、そういう理由だったのです。
この映画のミチヲはマリオネットなので、全身そういう格好をしていて、ガイラ演ずる西郷に引っ張られながら行動します。
いっこく堂を思い浮かべてください。あんな感じで、マリオばかりがベラベラと喋ります。
まぁ不気味ったらないです。
大の大人がピエロもどきな恰好をして、ウヒャヒャと笑いながら人を殺したり女を犯す(ん?)のですから。
冗談抜きで、軽くトラウマになってしまいそうなインパクトを持っています。
初めてマリオの顔が映るシーンは、時どき夢に出てくるくらいシャレになりません。
それまでの空間が魔空間に変わってしまうほどに、マリオが出ているシーンは異質です。
ホントに、どうしたらこういう発想に至れるもんだと思います。
さすが、『ルパン三世』屈指の名編と言われる『魔術師と呼ばれた男』の脚本を書いた男です。


余談
そう言えば初期のルパンは「誰が裏世界を生きるのにふさわしいか」みたいな感じで、ナンバー1の座を巡って殺し合いばかりしてました。
『魔術師~』に登場するパイカルしかり、あの五ェ門しかり。
大和屋竺の世界観は、ルパン三世ともリンクしていたんですねぇ。

最後に。
『愛欲の罠』は映画史上最も律義な態度でもって終わります。これを律義ととるか悪ふざけの極みととるかは、あなた次第。
噂には聞いていましたが、ホントにずっこけました。いい意味で。




案の定『愛欲の罠』について結構書いてしまいました。
思い入れが強いと、その分書く量も多くなっちゃいますね。しゃーねーなー。
映画館でも『恐怖の報酬』(1977)を大画面で観る機会が二度もあったり『屋根裏のポムネンカ』(2009)を観れたりと、去年は本当に(自分の中の)幻の映画たちに出会えた一年でした。

ありがたや……
なお、今回のベスト5には入らなかったけれど面白かった映画たちも書き出します。


『裏切りの季節』(1966 大和屋竺)
『死の谷』(1949 ラオール・ウォルシュ)
『ブラック・エース』(1972 マイケル・リッチー)
『マーティン 呪われた吸血少年』(1977 ジョージ・A・ロメロ)
『Let The Right One In』(2008 トーマス・アルフレッドソン)


『裏切りの季節』は、大和屋監督のデビュー作です。
話は結構込み入った作りなんですが、奇怪なイメージが曼陀羅のようにドバドバと流れ出てきます。めまいを起こしてしまいそう。
極めつけは不気味な傘!
あんな凄い描写をデビュー作でやってのけてしまうんですから、やはり大和屋竺は恐ろしい人です。
『Let~』とは、『ぼくのエリ 200歳の少女』の原題です。あの邦題が本当に嫌いでして……。
映画自体は、最初に日本で公開された時からずっと心の片隅にある、大好きな映画です。
しかしご覧になった方は分かると思いますが、日本版はあるカットでボカシを入れてしまっているんですよ。作品の理解にとても重要なのにも関わらず。
なので僕は数ヶ月前に、無修正である海外盤Blu-rayを購入しました。
約10年の年月を経て、ようやくあるべき形の『Let~』に出会えました。Blu-rayだから画質も綺麗ですし……



といったベストでした!
次回は普通の映画レビューで、お会いしましょう!