2017年8月24日木曜日

第2回 『はだしのゲン』と向き合って

{はじめに}
この文章は、2016年7月30日発行の『taomoiya雑文集』に掲載された『映画、めくるめく冒険』第8回の文章を再録したもので、ほんの少しの加筆・修正を加えたものです。
もう8月も終わろうとしている中、自分の中で「8月」と聞いて絶対に外せないこの映画を、今回は再録という形ではありますが、紹介したいと思います。



はじめてこのアニメを観たときは、小学3年生のことだった。忘れもしない、音楽室の小さなテレビ(だが普通の教室に置いてあるものよりは大きい)で観たのだ。
原子爆弾による被爆シーンがあまりにも強烈で、音楽室を飛び出してしまった。あまりにも恐ろしく、グロテスクで、死んでいった人たちが可哀想だと思って、すっかり泣きじゃくって混乱していた。
そんなワケで、これから紹介するアニメ版『はだしのゲン』(1983)は長年僕のトラウマNo.1映画であったのだが、約10年ぶりに観たこの映画は、とても素晴らしいものだった。


昭和20年。小学2年生の中岡元とその家族は、周りから非国民と罵られながらも、懸命に生きていた。
母親のお腹の中に新しい命が宿り、そろそろ生まれてくるという頃、アメリカは原子爆弾を完成させ、8月6日、広島に投下される……父の大吉、姉の英子、弟の進次を失ったゲンは、生き残った母親と生まれてきた妹の3人で生きていかなければならなかった。


今回見返して思ったのは、このアニメ版『はだしのゲン』は反戦反核アニメである以上に、力強い人間讃歌の話であったという印象。
この映画では、ゲンの兄たち(海軍の予科練に入った長男と、疎開しに行く次男)、中岡家を非国民と罵り、数々の嫌がらせ行為をする町内会長の鮫島親子などが登場しなかったり、大吉が特高警察に暴行されたりゲンや英子が学校で尋問されるシーンなどがカット、そして人物たちの政治的な台詞が数多くカットされている。
逆にそれらがカットされたことによって、作者の伝えたかった「麦のように逞しく生きていく」というテーマがより一層際立っているように思う。
ちなみに、脚本を担当したのは、原作者の中沢啓治その人であった。

普通の一庶民である中岡元とその家族が普通の生活を送っていたなかで、原爆という理不尽で大きな力によってその生活を破壊されながらも、それに負けずに生きていく。
ゲンたちの姿は、原作以上に我々に近く、普遍性を帯びている。だからこそ、何度観ても元気をもらって「さぁ、生きてやるわいっ!」となる。
でなければ、何度も何度も観返したりしないだろう(普通の反戦映画であったなら、気が滅入って観返す頻度もそこまで多くなかろう)。

ここ最近観た作品(映画に限らず小説なども)よりも、やはり幼稚園や小学生の頃に観た作品の方がありありと覚えているもので、この『はだしのゲン』に関しても、原爆が投下されるまでの様々なシーンをほとんど覚えていた。
オープニング映像、幼女がB-29による機銃のえじきになったと聞かされるシーン、お母ちゃんの健康ために鯉を盗みに行くシーン…
とかく惨い被爆シーンが取り沙汰される本作であるが、この映画が秀でているのは家族と過ごす日常描写を(上映時間が少ないなりに)丁寧に描いているところであったり、被爆後のゲンたちの描写、つまり「真剣に生きている人物たちの描写」であるのだ。

ゲンは妹のミルク代を稼ぐため、政二という被爆者の身の回りの世話をすることに。それまで何人も仕事を請け負っては、政二のその醜い姿と悪環境に堪えきれず辞めていった。お金を稼ぐため、ゲンは政二の全身に巻かれたままの包帯を取り替えたり、ウジを取ってあげたり、血便まみれの部屋を掃除する。
最初は反発していた政二も、ゲンの真摯な態度に感動し、久しぶりに人の優しさを目にする。両手が使えなくなったからと諦めていた趣味の絵画も、めげないゲンの姿を見て考えを改めるようになる…
ゲンの生き抜く強さは、他人にまで影響を及ぼした。ゲンは優しさを政二に与え、政二は頑張って生き抜くのだと決心した。手が使えないなら筆を口でくわえ、そうして絵を描けば良いのだと気づく。挫折しそうになるが、それでも政二は諦めずに絵を描き続ける。
原作では政二はその後亡くなってしまうのだが、この映画では生きていく。希望を残したまま退場するのだ。
この辺りも、「麦のように逞しく生きていく」という作者のテーマが良い形で反映されているような気がする。


僕が幼い頃これを観たのは平和学習の時であって、それは戦争の惨たらしさを知るために観たのだった。勿論そのために作られたアニメであることには違いない。
けれど僕はそれ以上に、熱い熱い「人間ドラマ」のアニメとして、この『はだしのゲン』を評価したいし、下の世代にもそう伝えていきたい。
戦争の記憶はどうしたって風化していくものであるから、戦争そのものにリアリティーを感じられなくても、そこに生きた人々の生き様が本物であったなら、絶対心に響くはずなのだ。


 イラスト:城間典子