2017年11月12日日曜日

第5回 『SELF AND OTHERS』には、今日も風が吹いている。

はじめに}
この文章は、2016年2月29日発行の『taomoiya雑文集』に掲載された『映画、めくるめく冒険』第3回の文章を再録したもので、ほんの少しの加筆・修正を加えたものです。
前回、山形国際ドキュメンタリー映画祭について、と言うよりは佐藤真監督について書いたため、以前に書いていた『SELF AND OTHERS』の感想を載せる事にしました。
前回にも書いた事なのですが、この作品は特に好きなドキュメンタリー映画でして、好き好き具合が爆発しているかもしれません。悪しからず。



もう3月。春がそこまで来ている。 僕は毎年、春を風で感じる。
冬の冷たい風から温かな風に変わって、思わず顔も心も綻んでしまう。
春に一番重要なのは、生命の喜びを感じさせてくれる風だ。
同じように、映画にとっても風は重要な要素だ。
風を上手く描写している映画はそれだけで良い映画だと分かるし、反対に風をおろそかに描いているような映画は駄作だと断言出来る。
(例えば、宮崎駿の映画やアンドレイ・タルコフスキーの映画、エミール・クストリッツァの『アンダーグラウンド』などは良い風が吹くお手本のような映画たちだ)


今回紹介するドキュメンタリー映画『SELF AND OTHERS』(2000)にも、素晴らしい風が吹く。
この映画の監督は佐藤真。彼はドキュメンタリー作家で、デビュー作の『阿賀に生きる』(1992)が大反響を呼んだ人物である。この『SELF~』は、『阿賀に生きる』、『まひるのほし』(1998)に続く、3作目の映画(もっとも、この映画は僅か53分という短編映画だが)だ。
この映画は、1983年に36歳という若さで亡くなった、写真家の牛腸茂雄(ごちょう しげお)についての映画である。
しかし、牛腸茂雄がどんな人間でどんな生き方をしてきたのかを暴くドキュメンタリー映画ではない(人物紹介的なものは、冒頭でちょこっとのみ)。

では何を描いているのか。一言でいえば、牛腸が生前見ていたであろう物、風景をカメラが捉えていくという妙な映画なのだ。
かつて牛腸が被写体たちを撮影した(牛腸の撮る写真は、そのほとんどがポートレート写真である)場所にカメラが赴きその場所を映していると、さもフラッシュバックしたかのように以前そこで牛腸が撮影した写真が画面に映りこんでくる。
第三者であるはずのカメラが、映画そのものが回想をしているのだ!
これは何とも不思議な作りだ。

そして(今や超のつく有名俳優になった)西島秀俊による、牛腸が実の姉に送った手紙の朗読がそれらの風景に被さる。
手紙を読んでいるだけにもかかわらず、彼の日記を聞いているような錯覚も覚え、西島の声が牛腸本人の声のようにも聞こえてくる。
他にも、牛腸がまだアマチュアの頃に友人たちと撮影した短編映画『街』と『THE GRASS VISITOR』が流れたりする。
観ている側は、過去の風景と現在の風景が混じりあい、どんどん混乱していく。
ここで興味深いのは、そのような作りをしているのに映画そのものはノスタルジーに浸りきっていないという点だ。
そこには、もうすでに死者となった牛腸の視点の再現(佐藤監督たちは、牛腸の見てきたであろう風景を映すことは出来るが、それは牛腸本人の目線そのままではない)であるからという作り手側の第三者的な、俯瞰した目線があるからではないだろうか。

終盤、突然か細い声が画面に割り込んでくる。
「もしもし、聞こえますか。これらの声はどのようにきこえているんだろうか」と。
これは、他ならぬ牛腸茂雄の肉声なのだ。
牛腸は幼少の頃から生死にかかわる重い病に患わされており、病弱な体であった。それが声にも表れている。蝋燭の火のように、フッと息を吹けば消えてしまいそうな声だ。
我々観客は、それまで西島による朗読の声で牛腸茂雄という人をイメージしているため、ここにきての本人登場は「おおっ、本物きた~!」というよりは「え、これが牛腸茂雄なの…?」という戸惑いの方が強い。
たった1つのショットや演技でその映画が決定的なものになることがよくある。
この『SELF~』においては、 それは間違いなく牛腸本人の声である。
今にも息絶えそうな声であるが、他のものを一切寄せつけないほどの声、強度のある声、まさに「生きている」としか言いようのない声。
この声を核として、佐藤真らはこの映画を作っ たに違いない。


冒頭、青草の茂る広い庭に一本の大きな木が映っている。そしてそこに風が吹き、木が揺れる。
僕が『SELF~』を思い出すとき、この木と風、牛腸の声を思い出す。あまりにも力強く印象的な木と、風。
この風景は、映画の最後にも再び登場する。映画そのものが旅をしてきて、一周回ってきた。
我々は知らず知らずのうちに、風に誘われて映画内の空間(それ即ち、牛腸空間なり)を旅し、
そしてまた最初にいた場所に戻ってくるのである。
この映画は牛腸茂雄についての映画であるが、同時に「記憶を辿るロードムービー」でもあるのだ。


イラスト:城間典子