2019年3月1日金曜日

第18回 『ディア・ハンター』を新年早々の映画にしてしまった事のヤバさについて。

明けましておめでとうございます!
と言っても、既に年が明けて既に3月1日。忙しさにかまけていたらコレです。
僕は本当にblogを書くのに向いていないなぁ、締め切り間近じゃなきゃ描けない漫画家かよ!?
と突っ込んでしまう事しばしばです。
(まぁ今回は挿絵の城間さんも随分待たせてくれたもんですから…… ザ・言い訳タイム)
反省ついでに、この1~2月は全然映画を観れなかった…… 劇場だけでなく、自宅でのDVD鑑賞も。
ホントに、どうしちゃったんだ。自分。


と、反省してばかりでは埒が明かないので、新年に突入して劇場で3番目に観た映画について書こうと思います。
(ちなみに1番目と2番目は、地元大分で観た『マイ・プレシャス・リスト』(2016)『ア・ゴースト・ストーリー』(2017)です)

その映画は…… マイケル・チミノ監督が1978年に放ったベトナム戦争映画『ディア・ハンター』です!
新しい年に入って早々、こんな暗い映画でいいのかと思いつつも、4K修復版の文字につられて観に行きました。結果、やはり気持ちが「ず~ん……」となってしまいました。


ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外にある町、クレアトン。
ロシア系アメリカ人のマイケル(演:ロバート・デ・ニーロ)、ニック(演:クリストファー・ウォーケン)、スティーヴン(演:ジョン・サヴェージ)、スタン(ジョン・カザール)、アクセル(チャック・アスペグレン)、ジョン(ジョージ・ズンザ)は、この町の製鉄所で働いており、休日には鹿狩りへ赴く仲の良いグループ。
そんな彼らにもベトナム戦争の波が押し寄せ、マイケル、ニック、スティーヴンが徴兵される。
北ベトナム兵らの捕虜となり、捕虜同士で行われるロシアンルーレットの賭け事に強制参加される3人。
この出来事が、後の彼らの人生を大きく狂わせる事となる……



本作を初めて観たのは4~5年前、京都みなみ会館によるオールナイト企画「マイケル・チミノ ナイト」の時でした。
それまでは、名前は知っていたものの(品質の良いDVDが出回っていなかったというのもあり)観ていなかったのです。
同時に上映された『天国の門』(1980)はデジタル修復版による美しい画面でした。
対して、『ディア・ハンター』は経年劣化したフィルムによる上映でした。
このフィルム上映も貴重極まりないものだったので感謝の念でいっぱいなのですが、フィルム傷は多い&画面が暗いために、映画の感触がとても生々しく感じられ、ただでさえ暗い内容の映画がより一層暗くなり、僕のトラウマ映画となってしまいました。
もう大学も卒業する頃だったというのに。

しかし今回見直して、やはりトラウマになるだけあるなぁとしみじみ観ていました。
「ロシアン・ルーレットの出てくる映画」と聞かれて真っ先に挙がるであろう本作は、なるほど凄まじい迫力。
マイケルたちが強制的に参加させられる賭けロシアン・ルーレットの描写は、本当にじわじわと嫌~な気分にさせてくれます。
圧倒的な恐怖、絶望、緊迫感……


この一連の「地獄のベトナム」がここまで効くのは映画の前半、つまり結婚式&壮行会のシーンがあるからでしょう。
正確な時間計測をしていないので分からないのですが、少なくとも映画が始まって1時間は、グループの一人であるスティーヴンの結婚式、それと兼ねて行われるマイケル、ニック、新郎スティーヴンの壮行会の模様が延々と描写されます。
以前オールナイトで観た時は「まだ続くのか」と思えるほど長く感じられたシーン、久々に観てどうだったか…… やはり長い。
6人の仲の良さや、密かにニックが想っている女性リンダ(演;メリル・ストリープ。若く、綺麗で、可愛らしい!)とのやり取りなどが描かれるワケですが、印象に残るのはダンス。

結婚式シーンの半分がダンスシーンじゃないの、と思ってしまうくらいにみんな踊っています。
しかしこの長い長い結婚式がある事によって、後のシーンに効いてくる。
ベトナムで地獄を体験した後のマイケルたちの有り様を観ていると、
「嗚呼、あの時はみんな笑い合っていたのに……」と悲しくなってきます。

後の超大作『天国の門』でも長すぎるダンスシーンがあり、その後大きな悲劇が主人公たちを襲うのですが、物語のバランス的に上手く作用していなかったような気がします。
『ディア・ハンター』の場合は、失敗すれすれのところで奇跡的に成り立っていると言っても過言ではないでしょう。



グループのリーダー的存在であり、鹿狩りの名手、ベトナムでも戦争の理不尽さに発狂しそうになった友人たちを鼓舞し続けたマイケルも、戦争から帰って来てからは寡黙になり、鹿を撃つ事も出来なくなってしまいます。
「俺はどうしちまったんだ」と分かりやすく自問したりするのではなく、鹿を、他者を見つめる眼差しで己の変化を観客に伝えるデ・ニーロの演技は流石の上手さです。


そして何と言っても、ニックを演じたクリストファー・ウォーケンですよ!
一回目を観た頃の彼の印象は「色んな映画に出ている上手い人」くらいの認識だったのですが、ある日『ゴッド・アーミー/悪の天使』(1995)での「死の天使ガブリエル」役を観て「スゴい色気だ!」と惚れてしまい。
そんなほの字で観てしまっているので、彼が序盤で魅せる笑顔が尊いこと……

後半からの彼を観る度に「嗚呼……」と溜め息ばかり。
演技も上手いし何とも言えない存在感だしで、まったく罪作りな人ですね、クリストファー・ウォーケンって俳優は!



なんだかラブレターみたいになってしまいましたが、話を戻して。

本作で重要なのは「主人公たちがロシア系アメリカ人であること」です。
この話を普通のアメリカ人の話としたら、序盤と最後に歌われる『ゴッド・ブレス・アメリカ』の意味合いがまるっきり変わってくるのです。
ベトナム戦争というアメリカが仕掛けた大規模な、しかも無意味な戦争は、移民である主人公たちをも巻き込み、他の多くの兵士と同様に、かつての平穏な日々を取り戻すことが出来ないくらいに心を破壊させます。
この映画でよく受ける批判として「加害者であるアメリカ側が被害者面をしている」という意見があります。

確かに、マイケルたちを「ただの」アメリカ人として見るならば、そう見えなくもないでしょう。
しかし、彼らはロシア系アメリカ人なのです。アメリカが戦った北ベトナムの背後にいた国家、それはロシアです。自分たちの真の故郷たるロシアと(冷戦という形ではあるものの)戦うことになり、ある者は精神を病み、ある者は死に行くのです。


なるほど、壮行会の際に歌われる『ゴッド・ブレス・アメリカ』は、現在アメリカに住むマイケルたちを、これからアメリカのために頑張って来いと鼓舞する意味で歌われたものでしょう。
しかし、ある者の死を通して最後に歌われる『ゴッド~』は、果たして同じような意味合いでしょうか?
僕には最後の歌の場面は、皮肉な運命に翻弄されたマイノリティーたちによる悲しみの象徴として見えました。
祖先たちが夢見てやってきた自由の国アメリカ。子孫である自分たちの運命を粉々にした国アメリカ。しかし此処しか彼らの帰る場所はない、そのやりきれなさ、悔しさ、悲しみ。それがあの歌に表れてはいないかと。



後の『天国の門』『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(1985)、もっと言えば監督デビュー作である『サンダーボルト』(1973)でも、マイケル・チミノはマイノリティーの悲しさをテーマとしていました。
彼が何故そこまで「彼ら」の存在を描き続けたのか、僕はまだ分かりません。
彼が遺した映画たちを観続ける事で、その疑問を考えていきたいと思います……



イラスト:城間典子

※今回の挿絵は、映画のクライマックス部分。
どんな絵を描いてくれるのかは僕も分からないので、今回の絵には「ほおっ!」と驚きました。
なんせ『ディア・ハンター』と言えば、猟銃を持ったデ・ニーロとかロシアン・ルーレットしてる時のウォーケンの写真とかが有名ですから。そういう「アップの画」を描くのかと思っていたのです。
しかしながら、この絵も、映画が映し出す「逃れられない地獄っぷり」を見事に捉えてるなぁ~と思います。
(シロート評論家か、あんたは)