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2024年8月30日金曜日

第34回 ここ最近観た映画たちを一気にレビュー!の巻。

 こんにちは!
台風10号のため、図らずも5連休を頂戴する事になった岩佐です!
連休初日の木曜日は、ダラダラ過ごす事からスタート。
このままではいかんと発破をかけて、ブログ書きに臨んでいる次第。

前回はスヌーピーと押切蓮介さんという僕の推しについて書いたのですが、元々このブログは映画の紹介ブログじゃないか!
このままではいかんと(2回目)、今回は手短ながら最近観て印象に残った映画たちのレビューをしちゃおうと思います!


『夜明けのすべて』(2024年 監督:三宅唱 主演:上白石萌音 / 松村北斗)
2024年に入って、最初に好きになった映画です。
人には言いづらい悩みを持つ2人の男女が、慣れ合うでもなく恋愛に発展するでもなく、互いの事を思いやって支えていく。そんな物語です。
主演の二人は既にメジャーな存在ながら、世俗に疎い僕は本作で二人の良さを発見しました。気張り過ぎない存在感が実に良き、です。
そして三宅監督の眼差し。まるで星空のように様々な光が明滅するこの世界で、大小様々な悩みを抱えて生きる人たちに寄り添うかのような目線で描写しています。
画面に映る風景も単に「街並み映してます」ではなく、人物たちが「一歩一歩を踏みしめて生きている場所」というこれ以上ない映し方であり、流石のストリート感覚だぁと思うのです。


『オールド・フォックス 11歳の選択』(2023年 監督:シャオ・ヤーチュアン)
バブル期の台湾。お金を貯めて、いつの日か理髪店を開業する事を夢見る親子、タイライとリャオジェ。慎ましく生きる二人をよそに、バブルの波が容赦なくやって来る……。
お人好しである父タイライと、腹黒いキツネと呼ばれる地主のシャ。二人の大人を軸に、どう生きていくのかを選択する少年リャオジェ。
少~し『ゴッドファーザー』のような、裏社会ものの匂いも漂う本作。ただ、悪役と呼べる人物はおらず、生き方の選び方が異なる人々を映しだし「それが正解なのかな」「あの時の選択で良かったのかな……」と観客に問うているような感じです。観ている観客自身にも置き換えられそうな、普遍的な話でもあると思いました。
雨に濡れる台湾の街並みがどこか懐かしく、そんなところも、本作が遠いようで近くに感じられる所以かもしれません。


『ルックバック』(2024年 監督:押山清高 主演:河合優実 / 吉田美月喜)
もともと原作コミックを妻の典子さん(以降、カミさんと記す)が持ってた&音楽がharuka nakamuraだった&何だか評判になってる、という理由で観に行った本作。
いやー、ビックラこいた&泣いた泣いた。一体なんなのか、この化け物映画は。
「漫画を描く」二人の少女が進んだ道のりを描いた本作は、クリエイターであろうとなかろうと響く物語ではないでしょうか。目の前には見えないけれど、目標、否、その人の背中を追い続けてあがく。努力、頑張る、というよりも、あがく。
人が生きる上で持っているであろう普遍的な感情を、圧倒的なアニメ力で描き切っており、原作の凄さをアニメの凄さでプラスに持って行った、原作と映画化の理想的な結婚と言っても過言ではないでしょう。
ちなみに、主役を演じた河合優実さん、吉田美月喜さんの事も、本作で知りました。凄い演技でした。正に役そのもの。彼女たちは、ドラマや映画に引っ張りだこなのですね。
嗚呼……疎いってのは、良いも悪いも一長一短。
(鑑賞後、藤本タツキを追いかけたい衝動に駆られて短編集や『チェンソーマン』を読破、アニメ版も鑑賞しました。いやー、この人のセンス、好きだわぁ)


『潜水艦コマンダンテ 誇り高き決断』(2023年 監督:エドアルド・デ・アンジェリス)
映画館でこんなに硬派な戦争映画を観たのは、久しぶりな気がします。しかも極力CGに頼らずセット中心で撮るというアナログっぷり!
さすがヨーロッパ最大級の映画撮影所、チネチッタを有しているイタリアです。
(何だかここ数年、ロケやCGではなくセットメインで撮っている映画を観ると、それだけで好感度あがるんですよ)
潜水艦バトルよりも乗員たちのドラマに主軸を置いており、屈指の名場面はフライドポテト。さっすが、食の国イタリアは違うねぇ!
骨太な映画をお探しの方、これは必見ですよ!



4本一気に紹介してみました。どうでしょう、何か気になった作品、ありましたか?
『マッドマックス フュリオサ』
『越後奥三面 ~山に行かされた日々~』
『お母さんが一緒』
『クレオの夏休み』
『風が吹くとき』
『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ』
『THE FIRST SLAM DUNK』(以下、ファースラ)
『墓泥棒と失われた女神』
などなど、他にも素晴らしい映画たちを観ているものの、文章量がドエライ事になりそうなので諦めます。
ファースラがすんばらしくて、現在原作コミックをレンタルして読んでます。
大昔に読んだ事あったけど、いやー、改めて面白い漫画ですね。魅せ方が上手すぎる。アニメ版もこの流れで観ちゃうか……?


また次回、こんな感じで紹介記事を書けたらと思います。
……推しの記事もね!

2024年5月1日水曜日

第33回 『リンダはチキンをたべたい!』は、ありえない表現とリアルな描写のマリアージュ!

こんにちは!

今回ご紹介するのはフランスのアニメ映画(以下、仏アニ)です。
フランスのアニメ…… 意識しないとなかなか観る機会はなさそうです。
僕も近年の仏アニで観ているのは『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』(2015)『ぼくの名前はズッキーニ』(2016)くらいで、他は多少気になっても見逃したりというパターン。
それでも今回観れたのは、ポスターの絵とケッタイなタイトルが気になったからなのです。そして実際に観ると…… と~っても素晴らしい仏アニだったのです!

 

『リンダはチキンがたべたい!』
(2023年 / 監督:キアラ・マルタ セバスチャン・ローゼンバック)

 

幼い頃に父親を亡くした8歳の女の子リンダと、お母さんのポレット。
ある日、リンダはポレットに「お父さんの得意料理だったパプリカ・チキンを食べたい」と言う。
しかしタイミング悪く、ストライキ真っ最中の街中で鶏肉が買えない。決意したふたりは、チキンを求めて波乱万丈の冒険へと赴くのだ…!

目に優しいカラフルさも魅力の一つです

字面だと凄く地味な作品ですが、その地味さ、物語のバックボーン、演出が三位一体となって一つの「凄いアニメーション」を作り出しています。

まず、本作のキャラクターたちはシンプルな線で描かれており、しかも一色ベタッと塗られているだけ。
リンダ=黄色、ポレット=オレンジといった具合です。他のキャラクターたちもそれぞれの色で分けられています。
しかも引きの画になると、そのキャラクターの色をした〇が動き回ったりする(色が、輪郭線をはみ出す!)という塩梅で、ぱっと見「色はみ出してる(笑)テキトー?」なんて思ってしまいます。

左:寄りの画のとき  右:引きの画のとき

もっとも、この独特な作画は共同監督のローゼンバックが以前監督した『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』(2016)での経験を踏まえ、より発展させたものとなっています。

そしてこの作画は、演出意図にも合致しています。
リンダたちが住んでいる場所は「社会住宅」と呼ばれる、様々な人々が住めるように公的資金を投入している集合住宅です。
あまり裕福でない家族だったり、移民、一人暮らしの高齢者etc……。
このような舞台で動き回る人物たちを文字通り「十人十色」で描き分けているからこそ、本作のキャラクターたちは「多文化共生の国フランス」という現代を生きるテーマからブレずに存在しているのだと思います。


加えてフランスは、デモやストライキが市民の権利としてごく当たり前に行われている国でもあります。
本作のドタバタの発端としてもストが絡んでおり、単に物語のキッカケである以上にフランスという国の“現在”も描かれている事にハッとします。
地に足ついた設定から、ナンセンス極まる物語が展開されていくことが、痛快かつ愉快なんですね。

最初はリンダとポレットの二人だけで進行していたのに、終盤では伯母や警察、ご近所の友人たちを巻き込んでの大騒動に発展していくこの感じ、どこかで……そうだ、ルイ・マル監督が撮った『地下鉄のザジ』(1960)に似た雰囲気なんだ!
思えばあの映画も、田舎からパリの地下鉄を見に来た女の子が、ストのために地下鉄に乗れず街に繰り出して騒動を… というナンセンス喜劇でした。


パンフレットのインタビューを読むと、確かに参考にしている部分もあり、それどころか「アニメーション版のヌーヴェルヴァーグを目指した」とまで書かれていました。
それまでのセット中心で撮影されていた映画とは対照的に、街頭にキャメラを持ち込み、即興的に撮影した、フランスが誇る映画史の革命“ヌーヴェルヴァーグ”。
その精神がアニメーションに引き継がれたのは興味深いです。

この撮影では、まず“音”から録音したそうです。
しかも録音スタジオだけでとったのではなく、実際に外へ出て、キャラクターが取る演技を実際に俳優にさせながら録音したのです。
例えば劇中、団地内のエレベーターでサッカーに興じる子ども二人の場面があるのですが、それは本当に団地のエレベーターで子どもにサッカーをさせながら台詞を言わせているのです。
キャメラで撮影をしない以外は普通の映画の現場みたいだったと言う、驚きの手法です。
そして、録音された「生き生きとした台詞、効果音」の魅力を損なわないよう、キャラクターたちの作画も即興性溢れる、臨場感に満ちた描かれ方をしています。

躍動感を大事にした絵と音。それらは劇中何度か挟まれるミュージカルシーンで表現の真骨頂を見せていると言っても、過言ではありません。
直線的に語るだけでは取りこぼしてしまいそうなキャラクターたちの物語、背景をミュージカルが補完してくれ、とりわけ最後に歌われる、亡きお父さんの歌パートは最も脈絡なく挿入されながらもグッときます。表現かくあるべし。

このモコモコしたものは鶏。これで動き回るんで初見時は爆笑でした

今回は演出的な面から本作の魅力について書きましたが、それが全てではありません。
リンダとポレットが何故そこまでチキンを手に入れ、パプリカ・チキンを作る事にこだわるのか。
かすかな記憶を繋ぎとめるために出来ること、しておきたいことって何なのか。状況こそ違えど、誰にも起こり得る問題提起を描いています。


とは言え、先ずは本作の世界観にドップリ身を委ねることから始めましょう。
そして大いに驚き、笑い、しみじみし、チキンを食べたくなったら良いじゃないですか!


イラスト:岩佐悠毅
とにもかくにも観てみないと面白さ、凄さの伝わりづらい本作。
先ずは予告編をご覧になってみてください。

2024年4月1日月曜日

第32回 『PERFECT DAYS』を観てからの、僕のDAYS

こんにちは!
突然ですが……わたくし岩佐悠毅は、本ブログの挿絵を担当している城間典子さんと昨年結婚し、今年の2月に大学時代から住んでいた京都を離れて、故郷の大分県へ戻ってきました!
引っ越しのアレコレ、身の回りの環境への適応、新しい仕事が少~し落ち着いてきて、やっとブログに手をつける事が出来ました……。

地元の佐伯市ではなく、大分駅やトキハ(大分県が誇る百貨店)本店がメチャ近い大分市内ど真ん中が、僕たちの今の住まいです。少し(30秒)歩けば食べ物屋はあるし、商店街も近い、面白い本屋も映画のポスター屋もある、といった恵まれた立地。
忘れちゃいけない映画館も、地元にいた頃からお世話になっているミニシアター・シネマ5が徒歩3分。
ありがたや~。シネマ5で観た映画たちも、ドンドン紹介していきたいですね。

今回ご紹介する映画は、離れる前の京都で1回、大分へ越してきてから1回と(今のところ)合計2回鑑賞し、アカデミー賞も受賞してホットな話題を振りまく『PERFECT DAYS』(以下、パーデイ)です。

『PERFECT DAYS』(2023年 / 主演:役所広司 / 監督:ヴィム・ヴェンダース)
渋谷の公共トイレ清掃員・平山(演:役所広司)の淡々とした日常を丁寧に追う本作。

大好きなヴェンダース監督が、『東京画』(1885)『夢の涯てまでも』(1991)以来、本格的に東京の街を撮ると聞いて、ワクワクが止まらず、期待大にして映画館に向かいました。が……何だろう、この違和感。この映画が評価されるのは分かるし、事実「良い映画だな」とは思うのですけれど、何だかな~な部分も感じたのでした。
とりあえず本作で感じた事を書き連ね、それでもこの映画から受けた影響、考えを書きたいと思います。

平山の日常は「流れ」として完成されており、ルーティーンが映し出されていく中で「平山が大切にしている事」「周りの環境」が見えてきます。それが……。

思わず「悟ってんのか」と言いたくなるくらい自分の世界・生活に準拠している平山はともかく、周りの人物たちのキャラクターがいかにも作り物くさく、作り手側が言っている「平山のドキュメンタリーのつもりで云々」が白々しく聞こえてしまうのです。
特に平山の同僚であるタカシ(演:柄本時生)の軽薄な若者像は、観ているこっちが「(演じてる)時生かわいそうだな…」といたたまれなくなる始末。
本作に限らず、口癖のある人物を描く時って凄くキャラクター感が出てしまう場合が多いと思います(『シン・仮面ライダー』とか)。

人物に留まらず、平山の路駐自転車描写とか田中泯扮するホームレスの描写など、現実の東京なら「即アウト、撤去もんだろ!」とツッコみたくてしょうがない!
野暮な見方だと思うものの、こういう細かい部分が嘘くさいと、映画全体が嘘っぽく見えて勿体ないなぁと。


劇中で平山は、姪っ子のニコ(演:中野有紗)に対して「この世界は、本当はたくさんの世界がある。繋がっているように見えても、繋がっていない世界がある」と語ります。
これは平山の背景にも重要な意味を持ってくる台詞なのですが、この台詞がある事によって、逆に平山の世界が凄く閉じられたもののように感じられたのです。

平山の徹底した生活は、外部からの「世界の持ち込み」を歓迎しません。行きつけの銭湯や居酒屋のテレビから流れるのは野球や相撲ばかりで、日本や世界の現状は伺えない。
本こそ読むけれど、映画なども観に行かない。これまでの作品で映画愛を謳ってきたヴェンダースが「映画」を持ち込まなかったのは、「もう一つの世界との出会い」を徹底して除こうとしたのだと感じました。
(同じ時期に観たアキ・カウリスマキの『枯れ葉』(2023)とは、その意味で凄く対照的です)

この映画の中での「世界」との繋がりは人と人との間にしかなく、だからこそ日々をキッチリと過ごす平山が、思わぬ人物と出会ったりコミュニケーションを取る際にうろたえたりするのかな、とも感じました。
もっとも、そのうろたえた時に平山の“人間らしさ”が見えてきて好印象なのですが。


と、色々と文句じみた感想を書きましたが、だからといって嫌いになれないのが本作、というかヴェンダースの映画。素直に「良いなぁ」と思える点もやっぱりありました。

先ずは映像。
ヴェンダースの映画に映る都市は、いつだって異世界。見慣れた光景が映し方ひとつ変えるだけで初めて見るような感覚に陥ります。
早朝の淡い光に包まれた東京の画、車を走らせながら通り過ぎる光景、カメラを向け、日々変化する木漏れ日を撮る瞬間。
写真家の森山大道に深く共鳴するのと同じように、僕はヴェンダースの映像に、その狩人のように風景を切り取っていく視点に共鳴します。

平山がニコと自転車を走らせるシーンは、役者が映っているシーンの中で最上の場面ではないでしょうか。ここにはヴェンダースお得意の即興感溢れるキャメラと、眩しいほどの役者と風景の融合が見られます。

劇中は自転車2台が光の中を並走します。それはそれは美しいシーンなのです。

そして音楽。
極論させてもらうと、平山の日々を音楽のみで語らせる事も出来たのではないかと感じるのです。
それほどに本作に流れる音楽は平山を、映画の時間を代弁しており、台詞以上に雄弁です。
(ルー・リードの『PERFECT DAY』の使われ方は、いかにも俗っぽくて初見時は「ありえない」なんて思いましたが、2回目に観るとその俗っぽさが平山の人間臭さに繋がっているようで微笑ましく観れました)

映画の時間に寄り添った選曲。これは良い意味でも悪い意味でもPV的な使い方です。
実際、今までのヴェンダース映画以上に使われ方が俗っぽいんですよ。キンクスとか、ニーナ・シモンとか。
しかし、こういう使い方って僕たちが日常生活にやってしまいそうな選曲だなって思ったときに、逆に「今まで以上に作る側と観る側の距離感を近くに感じさせる曲選びだな」と感じたのです。そう思うと、「こういう使い方もアリなんだ!なるほど~」と感心しました。


ヴェンダースは本来「脚本の映画」よりも「撮影の映画」を撮ってきた人であり、本作は(個人的に)「脚本の映画」部分が少し強かったような気がします。
人物の会話になると、どうしても脚本以上のものが見えてこず、それが世界観の狭さに見えてくるのかもしれません。
ただ、自転車、車、そして影踏みと、何かが“動く”シーンになると途端に良く見える。それは脚本の束縛を乗り越える“運動”故に生じた映画の感動なのでしょう。
不満点も多いけれど何だか憎めない。僕がパーデイに思うのはそんな感情でした。


ただ、都会での新生活を始めた身からすると、日々を慣らしていく意味も込めて、平山のように日常を「流れ」で過ごせるようにしていこうと、少なからず影響を受けているようなのです。
「洗濯物を回し、干す」というのを出勤前にすることで生まれる早起き。開拓中だからこそ生まれる新しいお店との出会い、常連化。スマホをなるだけ見ず、読書に割り当てる時間。思い切りオフを楽しむために足を運ぶ本屋や映画館……。
本作を観て以降、京都生活でも心がけていた「生活のリズム、オン・オフ感」を、より意識したように思います。

物欲にまみれた自分には平山のようなミニマリストにはなれそうもありませんが、日々のリズムを意識的に作ってみたり、自分の中で大切にしたいものをハッキリと表明させていくことは出来そうです。

パーデイのチラシを自分流に描きました。難しいポーズ!

イラスト:岩佐悠毅
新生活の気分を、僕の分身ことマスター君に乗せてみました。
自転車って、描くの難しいですね。

2024年1月8日月曜日

第31回 2023~2024年の映画に関するアレコレ

こんにちは!
前回の投稿では、昨年観た印象的な映画たちについて書きました。今回は昨年見逃した映画や今年公開される映画たちの事を書いていこうと思います。


年末の忙しい時期に公開だったのもあって「仕方ないよ」と思いつつも、やっぱり観ておきたかったのはヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』(2023)とアキ・カウリスマキ『枯れ葉』(2023)でした。
ヴェンダースは2022年のレトロスペクティブこそ観に行きましたが、新作は映画館で全然観れていない監督の一人。数年前の『アランフエスの麗しき日々』(2016)も「今はいいかな」と見逃したら、ソフト化もされない現在。あ~あ、悔やんでも遅いです。
これまでも『東京画』(1985)『夢の涯てまでも』(1991)で東京の姿を映していますが、満を持して「東京を撮る」感がある本作。
劇中で流れる挿入歌のセンスも「さすが~」ですし、この映画で初めて知った金延幸子がすごく良く、年明け早々、挿入歌として流れる『青い魚』を収録したアルバム『み空』(1972)のCDを購入しちゃいました。本作を特集したSwitch特別号も読み、準備はオッケーてなもんです。
映画が作られるそもそものキッカケからして、少し企業臭漂う感じなのが気になりますが、ピュア極まりないヴェンダースの切り取った東京の日々を、曇りなき眼で観たいと思います……。


カウリスマキが、前作『希望のかなた』(2017)の時点で監督引退宣言をしていたとは、ぜ~んぜん知りませんでした。
そんな宣伝もしてなかったような気もしますし(公開後に言ってたのか?)。
なので「へぇ!」とビックリもしましたが、こうして新作を撮ってくれて嬉しい限りです。 ヴェンダースの『パーデイ』と違い予告編と公式サイト以外の情報を全然入れてない状況ですが、作品尺が80分弱しかないと言うじゃありませんか。
短けりゃいいと言う気は毛頭ありませんが、それでも昨今の映画は長過ぎる。
常に長尺で撮る監督もいますから、きっとその監督にとっては「これが私の語り方」なのかもしれませんが、いかんせんその語り口が上手くないな…と愚痴っぽくなる始末。
「語るべきこと、映したいものを無駄なく豊かに映し出すこと」も、映画を作る人間に必要なセンスではないでしょうか。
カウリスマキは勿論、最近の監督で言えばケリー・ライカート、三宅唱などを観ると、つくづくそう感じずにはいられません。

話を戻して… これまでもシンプルな語り口でアッと驚かせてきたカウリスマキ監督。サイト内に載っている(皮肉屋らしい)監督コメントにもある通り、現在の世界は大きな暴力と悲しみの連鎖に満ちています。日本でも、元旦から大地震が起こり今も大変な状況にあります。
それを無視するのではなく、現実を意識したうえで「あえて愛の映画を作った」という監督。
世界で起きている事に比べたら、映画なんてチッポケなのかもしれません。
しかし、だからこそ、目をそらすための娯楽ではなく現実を見据えたうえで、映画の魔法を信じてみる。
カウリスマキの映画はいつだってそうでしたし、観る側の僕たち観客も「魔法」に身を委ねてきました。
だから映画を観る喜びに溢れるし、明日を生きる希望を見いだせるのだと思います。
そんな監督の最新作である『枯れ葉』。とてもワクワクしています。


とってもとっても観たかったのは上記の2本でしたが、
『福田村事件』(2023)
『THE FIRST SLAM DUNK』(2023)
『首』(2023)
『1%の風景』(2023)
『single8』(2023)
『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(2023)
『バービー』(2023)
『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』(2022)
『おーい!どんちゃん』(2022)
『aftersun アフターサン』(2022)
『午前4時にパリの夜は明ける』(2022)
『EO イーオー』(2022)
『栗の森のものがたり』(2019)
『冬の旅』(1985)と、見逃した映画は数知れず。

こんなに観れてなかったのかと、書き出して唖然とします。
ちょっとでも気になれば、良い映画だろうがイマイチだったろうが観に行くべきだなと、今なら分かります(遅い!)。
『スラムダンク』はCGとキャスト変更が個人的にネックとなったり、前作『眠る虫』(2020)が個人的にピンと来なくて「ま、いいか」と見送ってしまった『ぬいぐるみ~』など、見逃した理由もあるにはありますが、でもアンテナにビビっと来たなら、行っとくべきだったな……。クローネンバーグだって、久々の新作だったのに。
大好きな『6才のボクが、大人になるまで。』(2014)の沖田修一版みたいだと思った『おーい!どんちゃん』を観れなかったことは大きな痛手でした……。まぁ、本作の公開タイミングは絶対合わないものだったので、諦めもついたのですが。


というワケで、今年はこんな後悔の嵐にならぬように映画館鑑賞に努めていきたいと思います! 
まずは何と言っても、ビクトル・エリセ監督31年ぶりの長編映画『瞳をとじて』(2023)でしょう!
静かな映像美の中に、人物の心の機微を見事に捉えてきたエリセ監督。
『ミツバチのささやき』(1973)『エル・スール』(1982)も相当に大好きな映画ですが、オムニバス映画『ポルトガル、ここに誕生す ~ギマランイス歴史地区』(2012)での『割れたガラス』というドキュメンタリーで魅せた映像の力強さ、豊かさに感銘を受けた身としては「伝説の映画監督で終わっておらず、今でも素晴らしい映画を作っている事」がとても嬉しかったです。
そこからまた10年ほど空いての本作は、映画についての映画であり、『ミツバチ~』で主人公アナを演じたアナ・トレントの再登板など、話題に事欠きません。
170分近くある映画なので少し身構えていますが、どっぷりとエリセ監督の語り口に浸りたいと思います。

次は三宅唱監督の『夜明けのすべて』(2024)でしょうか。
彼の出世作である『Playback』(2012)を観た時は「なんてオシャレ系映画なのかしらん」と、無性に気に食わない的な態度でした。
が、『きみの鳥はうたえる』(2018)で良い意味の「おや?」となって好きな映画となり、続く『ワイルドツアー』(2019)『ケイコ 目を澄ませて』(2022)は「素晴らしい!」の一言。
いま、邦画の監督で最新作が一番気になる人です。
人物だけでなく風景の切り取り方も素晴らしく、「画面に映る風景の中に人物が生き、物語が動いている」っていう感じがします。
ただ漫然と舞台としての空間を映すのではなく。うまくは言えないけれど。
その三宅監督が特集上映時の予告編演出をした、アメリカ映画期待の星ことケリー・ライカート監督の『ファースト・カウ』(2019)は昨年ようやく公開されたものの見逃したため、これも年またぎ鑑賞となります。


突然ですが、2024年前半は、俳優ハーヴェイ・カイテルの年になりそうです。
だって、『レザボア・ドッグス』(1992)のデジタル・リマスター版に始まり、1月中旬から『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』(1992)、2月は『テルマ&ルイーズ』(1991)の4K版、3月には『ピアノ・レッスン』(1993)の4K版と、彼の代表作が綺麗になってドカッとリバイバル上映されるのですから! 
今も元気に活動している彼ですが、やはり90年代という時代を担った人だなと感慨深いものがありますね。
どれも大好きな作品でDVDで観返すことも多いけれど、劇場では観たことがないため、スクリーンで向き合えるのが楽しみで仕方ありませんね! 
(ところで、僕はハーヴェイ・カイテルの泣くシーンが大好きなのですが、共感する人いますか? 『レザボア~』でも『バッド・ルーテナント』でも『ユリシーズの瞳』(1995)でも「うううぅぅ~」と唸るような声を上げて泣くその様は、唯一無二のお姿だと思うのです……)

他にも、タル・ベーラ監督の『ヴェルクマイスター・ハーモニー』(2000)のリバイバル上映や、クリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』(2023)も遂に日本での公開が決まりましたね。いずれも早く映画館で観たいです。
日本公開がいつなのか決定はされていませんが、『PERFECT DAYS』(2023)公開中のヴィム・ヴェンダースの次作『ANSELM』(2023)も見逃したくない一本。
『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(2011)の時と同様、3Dのドキュメンタリー映画だそうで、作中で暗唱されるパウル・ツェランの詩集は購入済、読んでる真っ最中です! 


と、ザッと反省と期待の文章でした。
映画館での鑑賞だけでなく、今年は鈴木清順のBlu-ray-BOXが発売されたり、ジョン・フランケンハイマーの大傑作『RONIN』(1998)や、本家よりも好きな『エクソシスト3』(1990)、『悪魔のいけにえ2』(1986)『ザ・ドライバー』(1978)『悪魔のはらわた』(1973)等々、色んな映画のUHD-Blu-rayが出たりして、嬉しい反面お財布事情が心配です。頑張らなきゃ。
そう言えば、昨年の11月頃にシネフィルDVDさんが、それとなくフェリーニの『そして船は行く』(1983)Blu-rayの販売をほのめかすツイート(「出たら買う人います?」みたいな)をしていたんですが、是非とも欲しい!あの映画、泣けるんですよね~。

「さぁ、どうなるか2024年」といったところですが、「どうなるか」ではなく「どうしたいか」という気持ち一つだなと。
そして日々の発見や発信を大事にできる年にしていきたいと、年始一発目に観た『パターソン』(2016)を観ながら決意しました。

本ブログも映画も人生も、絶え間なく続いていきます。素敵な映画との出会いが皆さまにも訪れますように。
どうぞ、これからも宜しくお願い致します。

2024年1月7日日曜日

第30回 2023年の映画を振り返るアレコレ

こんにちは! 
新年、2024年が始まって、はや数日。
僕たちと、このブログを読んでくださっている貴方、みんなで良い年にしていきましょう。 本年もブログの頻度はマイペースな気がします。でも、そろそろ「毎月1日に更新」とか決めていった方が良いなと感じています。 
更新してるんだか分からないブログなんて、誰も見ませんものね…… はっ、後ろ向きはイカンな!
というワケで、今まで以上に習慣化していこうと思います。
本年も何卒、よろしくお願い致します。


さて、昨年は仕事面でも家庭面でもバタバタとしており、笑っちゃうくらい映画館へ足を運べませんでした。
観たい、気になると思った映画の半分以上も観れなかった有り様で、今年はより映画館へ足をのばし、映画文化を応援しようと決意した次第です。
2023年ベスト10を組めないくらいに新作を観れていないため、新年一発目のブログは映画に関係するアレコレを書き連ねようと思います。こういう投稿は、何気に初めてのことです。 


昨年話題になった映画で観れたのは、宮崎駿『君たちはどう生きるか』庵野秀明『シン・仮面ライダー』(共に2023。以下、『君どう』『シン仮』)くらいでした。

共に初見時は凄く戸惑った作品で、シン仮はもう一度映画館で鑑賞、アマプラで配信されたので何度か再見したのですが、『君どう』は一回観たきり。
もう一度観に行って色々考えたいと思いながら、あっという間に年を越してしまいました。 映像の密度と描きたいものの欲望に満ち満ちていて、画面に映るものを追いかけるのが精一杯という状態でした。なので観終わった後は茫然。
前作の『風立ちぬ』(2013)は落としどころがあったよなぁ(あと、宮崎監督の遺言ぽい雰囲気)と思うばかり。こんな書き方ですが、この度の映画がスッカラカンだと言いたいワケではありませんよ!? 
「考えるな、感じろ」と言ったブルース・リーの言葉そのままを行く、稀有な映画体験でした。
今年も、どこかでロングラン上映している劇場がないですかね…… 今度こそ観に行くんだけれど。


『シン仮』も、相当面食らった作品でした。
チャチいCG、アニメ臭い人物造形、盛り上がるべき戦闘シーンが暗い画面、結局エヴァっぽい精神世界描写と話の落ち着けどころ。
「これが庵野さんのやりたかった仮面ライダーの世界なのか??」と頭を抱えるばかり。
ただ、2回目の鑑賞、他のシン・シリーズとの比較鑑賞やそれまでの事を鑑みてみると「ここまで歪ながらも正直な作品ってないな」と思うようになりました。
「庵野秀明」「仮面ライダー」「シン・シリーズ」というネームバリュー、それらに期待する売り手と観客の需要、作家としての矜持と妥協点。
様々なものが組み合わさって出来た、シン・仮面ライダー。

本郷猛のパーソナリティはそのまま庵野監督と言ってもよさそうですし、一文字隼人のより明るめなキャラ作りも、監督にとっての「希望」の象徴に見えました(本作の一文字こと2号は、本当に良いキャラクターしてる)。
何より、「石ノ森ヒーローは涙を見せる」という点をきちんと描いているのがグッとくるポイントでした。
日本を代表する特撮ヒーローである以前に、人並みに苦悩し涙する、孤独なヒーロー。
 この一点だけとっても、庵野さんが仮面ライダーを描いたことは「なるべくしてなった」と思います。
いつもの鷺巣詩郎さんではなく『天元突破グレンラガン』の岩崎琢さんが担当した音楽も、最初は戸惑いまくりでしたが聴けば聴くほど好きになり、今ではシン・シリーズ一の愛聴サントラとなりました。おかげで(?)、シン・シリーズの中で最も愛着の湧く映画になったとさ。
どう話を転ばせるか期待半分不安半分といった気持ちですが、第2+1号が活躍する続編、観たいなぁ。
(それにしても、塚本晋也演じる緑川博士の若かりし日が写っている写真。髪の毛フサフサ&マフラー巻いてバイクにまたがっているその姿は、かつて木梨憲武がやっていた仮面ノリダーみたいで、シリアスなシーンにも関わらず笑ってしまいました。皆さん、あの写真の塚本さんと木梨さんは似てるって思いませんか!?) 


と、観てきた映画の代表格を書きました。
勿論、これらだけを観たワケではありませんよ!
「タランティーノは常に話題になるけど、彼はどうしてるんだろ」と時々思い出す男、ロバート・ロドリゲス監督の最新作『ドミノ』(2023)は、あらすじからしてクリストファー・ノーランぽい映画なのかなと観る前&前半を観ている間は思っていたんですが、後半になるにつれ力技&メキシコ愛に満ちてきて、抑えきれないB級作家精神に溢れた楽しい映画でした。
「凄くセット臭いけど、逆にセットをセットらしく撮ることの方が貴重だし凄いよな」なんて思っていたら○○な事になるし、劇中の音楽は相変わらずジョン・カーペンターぽくて「好きだなぁ監督」なんて思っていたら、何とロドリゲス監督の息子であるレベル君の作曲だと! 
レベル君と言えば、ロドリゲス流ゾンビ映画『プラネット・テラー』(2007)で子役として出てた子じゃないか!とビックリ。お父さんの仕事を手伝うだけでなく、担当した音楽まで似るなんて……。
とにかく「~だと思ったら○○」が多かった本作。
こういう良い意味でB級の、サービス精神たっぷりの映画をシネコンの大スクリーンで観れるのは、乙な体験というか、贅沢なもんだと感じました。


年末に滑り込むようにして鑑賞した3本の映画、前田弘二『こいびとのみつけかた』デヴィッド・フィンチャー『ザ・キラー』ウェス・アンダーソン『アステロイド・シティ』(いずれも2023)はどれも期待以上の素晴らしい出来栄え。

前田弘二監督は日本のコメディ映画をしれっと支えてくれている、有難く貴重な監督ですね。主役二人が陰気な顔してるのも、ポイント高いです(えっ)。
フィンチャーは好きな時とあまりノレないときがあるのですが、本作は好きなフィンチャーでした。
いちいち演技も画面もキメてくるくせにスットコドッコイという、上等なハッタリを魅せてくる映画でした。これもある意味コメディかな?
そしてウェスです。この人は自分の持つ色、ウェス色を極めてきていますね。画面も語り口も。
ロケーションの生々しさとセットの手作り具合が上手いこと合致していた初期~中期らへんの作品が好きではある(『ダージリン急行』(2007)が一番好きだ!)のですが、こういう風に描きたいとなると、そりゃこうなるわなと。あ、これも好意的解釈ですから!


う~む、何だかこれだけで長くなってしまいました。年々文章が長くなってきているのは悪い癖だな……。
いったん区切って、昨年観れなかった&2024年観るのが楽しみな映画のアレコレを次回に回します!

2023年10月3日火曜日

第28回 京都みなみ会館で観た印象深い映画たちのこと

こんばんは!
2023年9月30日、京都市内にある一つの映画館が閉館しました。
その名は、京都みなみ会館。
京都シネマや出町座など京都市にはいくつかミニシアターがありますが、その中でも個人的に多く通っていたのが本館でした。
今回は通常の映画レビューをお休みし、この映画館についての思い出を書き留めようと思います。

*連続投稿の最終回は、京都みなみ会館で観てきた数多くの映画たちの中から、印象深かったものたちについて書いていこうと思います。
1回目に書いた「京都みなみ会館のこと」はコチラから。
2回目の「京都みなみ会館のオールナイトのこと」はコチラからご覧ください。
新旧みなみ会館の姿

〇2011年に観た映画たち

『マイキー&ニッキー』(1976年 エレイン・メイ)
俳優にしてインディーズ映画の父と言われたジョン・カサヴェテスの映画には、DVDでレンタルして既に心掴まれていました。本作は彼が盟友ピーター・フォーク(刑事コロンボの人)と出演した、異色のギャング映画です。派手なドンパチはなく、ひたすら夜の街中を走り抜ける二人の姿に、映画に身を委ねることの幸せを感じました。
オッサン二人がうろついて、飲み食いして、くっちゃべって、喧嘩する。たったそれだけの事が、どうしてこんなに切なくなるのか。それはきっと、誰にだって起こり得る事だから。
ジャンル映画の形を借りて人間普遍の姿をフィルムに焼き付けたエレイン監督は、素晴らしいなぁ。
本作については過去にレビュー記事を書いておりまして、良かったらコチラから見てみてください!
 

『天国の日々』(1976年 テレンス・マリック)
70年代アメリカ映画リバイバル企画により、ニュー・プリントのフィルム上映で観る事が出来ました。
大好きな映画でしたが、市販のDVDはちっとも綺麗な画質ではなかったため、大画面であの美しさを観れた事は映画人生で上位に来る感慨深さでした。
思い入れの深さも込みではありますが、マリック監督永遠のテーマである「人と自然が生きる事、人という生き物のちっぽけさ」をバランスよく見事に描いた作品は、やはり本作に尽きると思います。
 

『アンダーグラウンド』(1995年 エミール・クストリッツァ)
「映画を政治的に」とはゴダールが掲げたスローガン(のはず)ですが、本作のストレートっぷりは凄まじいものでした。政治から生まれた悲しみや怒りを賑やかな画面と音楽に乗せ、まるでお祭り騒ぎのように描いている!
戦争によって何を得られる?それ以上に何を失う?
現実に起こった事を寓話のように描き、強烈なメッセージと共に映画で届けた思いを、僕たちは今一度受け止めて現実と照らし合わせ考えていかなければなりません。
 

〇2012年に観た映画たち

『追悼のざわめき』(1988年 松井良彦)
邦画史におけるカルト映画の極北として、名前だけ記憶していた本作。それがデジタルリマスター版として上映されると聞いて、大学の友人と一緒に行きました。どんな恐ろしいものが映っているのかと思いきや、確かに描かれているものはタブーなものだらけ&現在だと通用しないだろうゲリラ撮影の数々でした。
しかし根底的なところは美しいものを観ているような、そんな気になっていました。
その上映回には松井監督のトークショーがあり、危なっかしい撮影の裏話も聞けました。
映画学科で映画制作を学んでいる身としてはタメになりましたが、さすがに真似は出来ません……。
観たのはその時の一回限りで忘れている箇所も多いので、今見返すと当時より驚いたり「げぇ~」となるかもしれませんが、それもまた映画との面白い再会だな、とも感じるのです。
 

『銀河鉄道の夜』(1985年 杉井ギサブロー)
他の映画を観に行く度に予告編が流れていた本作。ふ~ん止まりだったけど観に行ったのは、挿絵を担当しているパートナーの城間さんが先に鑑賞して「凄く良かったよ!」と勧めてくれたからでした。
そして観に行ったら…… 好きなアニメ映画のトップに躍り出ました。
こんなに静かで、神秘的で、美しくて、情熱的で、切ないアニメは観たことがありませんでした。
別役実による詩情をたたえた脚本。ますむらひろしによる「猫をキャラクターデザインにする」大胆さ。細野晴臣による身体の奥底にまで響いてきそうな美しい音楽。田中真弓、坂本千夏らによるキャラクターの「心」に寄り添った確かな演技。そしてそれらの要素をバラバラな印象にせず見事に紡ぎあげた、杉井ギサブローの演出力。
確か本作も、フィルムで観たような気がします。
フィルムで触れる暗闇は、どこまでも続くような魔力がありますね。
上映が終わって自転車での帰り道。地上の光であまり見えない真夏の星空を見上げながら想いを馳せたことは、言うまでもありません。
 

『一条さゆり 濡れた欲情』(1972年 神代辰巳)
『恋人たちは濡れた』(1973年 神代辰巳)
『㊙色情めす市場』(1974年 田中登)
『人妻集団暴行致死事件』(1978年 田中登)
『赫い髪の女』(1979年 神代辰巳)
『天使のはらわた 赤い教室』(1979年 曽根中生)

やくざ映画やポルノ映画を観る時って、何だか少し不良っぽい雰囲気を漂わせて行きませんか?
度々行われていたロマンポルノの特集に行く際、僕はいつもそんな感じでした。

神代監督の映画を観る時は物語云々よりも「神代節を観に行く」という感覚でいて、流動的なキャメラと男女の交わりに身を委ねていました。
一番好きな神代映画は『赫い髪の女』ですが、『恋人たちは濡れた』の美しい“運動”を映画館のスクリーンで観れた事は忘れられない体験です。
田中監督の場合は「きちんと物語を語っており、その中でハッとするようなイメージを持ち込む人」という印象。『めす市場』のゲリラ撮影による猥雑なリアリティーは、物語に重要だからこそ撮れた田中監督ならではの表現だと思いますし、『人妻集団~』での粗筋だけでは伝わらない映画の(若者たちの、と言っても良いか)躍動感と確かな描写は、たった一度の鑑賞にも関わらず今でもありありと思い出す事が出来ます(Blu-ray化かDVDの再版してくれー)
曽根監督は「映画を破壊しかねないアバンギャルドさを持った人」ですが、『赤い教室』で描かれた物語の情念と映像のねちっこさ(そして時にクールに突き放す)にはメガトン級の衝撃を受け、ショックこそ凄かったものの「凄い映画を観た」と場面を反芻しながら帰り道を歩いたものです。

*京都駅八条口の高架下には、ボロい雰囲気の天下一品があります。ロマンポルノを観た後にここでラーメンを食べると何だか昭和の時代にいるような感覚になって、誰にも共有されない満足感を得ていました。
ただ、現在は改装したのか以前より小綺麗になっていて、少し残念。
 

『惑星ソラリス』(1972年)
『鏡』(1975年)
『ノスタルジア』(1983年) 以上、監督:アンドレイ・タルコフスキー

特集上映で初めて触れた、ロシアの代表的映画監督であるタルコフスキーの映画たち。どれもウキウキして観たはずなのですが……。
ものの見事に寝てしまいました。DVDで再チャレンジしても寝落ちして、完走できたのは何度目のリベンジだったか。
しかし映画館で(不本意でなく)眠ることも、かけがえのない経験なのだとも思えました。
音楽を聴くように映画に身を浸すという例えが、この監督ほど似合う監督もいないのではないでしょうか。
 

『アレクサンダー大王』(1980年)
『霧の中の風景』(1988年)
『ユリシーズの瞳』(1995年)
『永遠と一日』(1998年) 以上、監督:テオ・アンゲロプロス

巖谷國士さんの映画本で名前を知ってから、観たかった監督の一人でした。
勇んで椅子にもたれかかると、いずれの作品も長尺で長回しが多く、またしても心地よい眠りに……。
しかし、どの映画にも忘れ難いショットやイメージがあり「ああ、この一つのショットだけでこの映画の事はずっと忘れないな…」と思ったものです。
時にシリアスで、時に(群衆のワチャワチャ具合が)ユーモラスに見えるアンゲロプロスの映画。
不慮の交通事故で亡くなってから11年になりますが、未だにショックが続いています。
 

〇2014年に観た映画たち

『野のなななのか』(2014年 大林宣彦)
『この空の花 長岡花火物語』(2012)から2年、長岡から北海道芦別を舞台に移した本作は、現在と過去が入り乱れ、個人史における戦争の悲惨さを描いた熱量の高い映画でした(大林映画は本作に限らず、いつだってエネルギーに満ちているんですけどね)。
何故これが印象深いかと言うと、下世話な話ながら鑑賞中すさまじい腹痛と便意に襲われ、一刻も早くトイレに行きたかった映画体験だからなのです。
「トイレに行きたきゃ行けば良いじゃん」と言われると「ですね」としか答えようがないのですけど、やはり我慢できるものなら全編を目に焼き付けたいではありませんか!
171分ある内の何分くらいから行きたくなったのかな…… まだまだ中盤、といった辺りだったか。
よもや大林さんも、自分の映画でこんなにトイレを我慢されるとは思ってもいなかった事でしょう。
そんな大林さんも『海辺の映画館 キネマの玉手箱』(2020)を遺作として、彼岸の人となりました。
生きている時は最新作も「監督ってば、またこんな変な映画撮ってさ~」なんて冗談を言えたものですが、新作がない現在ではカオスの極み&ふざけ倒している旧作(『HOUSE ハウス』や『ねらわれた学園』など)すら、観ていると悲しくなってきます。
 

〇2019年に観た映画たち

『パンク侍、斬られて候』(2018年 石井岳龍)
2019年に移転オープンした新みなみ会館で、初めて観た映画です。
石井聰亙監督が石井岳龍に改名してからは、映画のノリが依然と変わっていて進んで観ていなかったのですが、試しに観てみるとコレが滅法面白い映画でビックリしたのでした。
綾野剛、北川景子、渋川清彦、村上淳、國村隼といった個人的に苦手な俳優陣(または「また出てるわ~」と見る度に思う人たち、とも言う)がスゴく良くて「撮る人次第で、俳優って魅力的に見えるもんだな~」と偉そうに感心してしまいました。
語り部だけかと思っていた永瀬正敏さんも、まさかあんな形で出てくる(いくら猿顔だからって)とは…… おふざけも極まれば芸術だ!
と言わんばかりの、痛快無比な映画でした。
パンク万歳!
 

『恐怖の報酬』(1977年 ウィリアム・フリードキン)
京都シネマで初鑑賞、シネマ神戸で2回目、新みなみ会館で3回目、そして今年(2023年)の7月に閉館のアナウンスを受け、同じく新みなみで4回目。この映画だけは、デカいスクリーンでかかっていると聞くと映画館へ足を向けちゃいます。
結末だって分かっているのに、それでも毎度ハラハラしてしまう。何度も観たクレジットなのに、いつも「カッコいいぜ!」と唸ってしまう(なぜか僕は、黒地にデカい白文字のタイトルクレジットが大好きなんです)。
映画鑑賞って、単に「気になる映画を観に行く」時があったり「イベント的なノリで観に行く映画」の時もあります。
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)『シン・ゴジラ』(2016)『この世界の片隅に』(2016)といった一定数のファンがいる映画に起こるこの現象、僕にとっては本作がそれに該当するようなのです。
人物たちと一緒に崖っぷちを走り、吊り橋のシーンで運命のイタズラに驚愕・戦慄し、時折ホッと胸をなでおろす。大きなスクリーンで観るからこそ、こんな風に疑似体験的に映画を楽しめるんでしょうね。
 

『ラスト・ワルツ』(1976年 マーティン・スコセッシ)
数ある音楽ドキュメンタリーの中でもスコセッシ監督作品の中でも、トップに挙げちゃうくらい大好きな本作。
新みなみで上映される時点で既に出町座で上映されていましたが「やはりデカいスクリーンで観なきゃ!」というワケで行ってきました。
フィルムの味わいが良い意味で残っており、リマスター効果は言うほど感じなかったのが正直なところ。しかし「綺麗な画面で」よりも、「大きな画面&大音量で浴びるように鑑賞する事」が目的でしたから、大満足でした!
オープニングから涙ちょちょ切れ状態で、何度観てもジョニ・ミッチェルがカッコよくて、オイシイのはやっぱりボブ・ディランで、だけどザ・バンドの話からアメリカのロック音楽史が垣間見えるような気がして……。
エンドクレジットでは「はあぁ~ん。」と、幸せのため息をつきました。
 

『Let the Right One In』(2008年 トーマス・アルフレッドソン)
邦題が『ぼくのエリ 200歳の少女』で知られる、ヴァンパイア映画の美しすぎる傑作。
同じ原作者の映画『ボーダー 二つの世界』(2018)公開記念で、特別にフィルム上映されました。
まだ大分県にいた高校生当時、今はなき映画秘宝で本作の存在を知り、地元の映画館シネマ5で観たのが最初でした。
静かな雪景色に映える人間の赤黒い血。そして雪のように真っ白な肌をした少年少女たちの触れ合いに胸が熱くなり、大切な映画の一つになりました。
輸入盤Blu-rayも持っていた(わざわざ輸入盤なのは、国内盤にあった無粋極まりないモザイクが無かったから)けれど「映画館で再び、しかもフィルムで観れる!」とあって、問答無用で鑑賞してきました。
いつ観ても感動の映画ですが、その時ほど待ちわびて堪能した時間はなかったです。
何度か観ていたぶん細かいところまで目が届き、改めて丁寧に描かれた映画なのだと気づきました。


〇2021年に観た映画たち

『アメリカン・ハニー』(2016年 アンドレア・アーノルド)
今や新作が発表される度に話題をさらう映画スタジオ、A24。この映画はイギリス人作家アンドレアが監督したアメリカを旅する若者たちを描いたロードムービーで、この「ロードムービー」という一点に興味を惹かれ鑑賞しました。
なんせ監督もキャストも知らず、唯一名前を知っていたのは『トランスフォーマー』シリーズに出ていたシャイア・ラブーフのみ。あの頃は“ラブーフ君”といった風情でしたが、本作ではチョイと危ない大人の雰囲気を見事にたたえており、成長の月日を感じずにはいられませんでした。
生活に困っていたり、新しい土地で人生を始めようとする若者たちがバンで移動しながら、雑誌販売で生計をたてるという筋書き。演技経験のない人たちを集めたと言いますが、どの人物も存在感ありありで演技の引き出し方が上手いんだと思います。主人公スター(ティーンエイジャーの女の子)は当初戸惑うものの、この移動するコミューンに慣れてきて疑似家族のような関係になっていきます。
定住の日々で味わっていたクソみたいな毎日から抜け出し、決して楽ではないけど楽しみも悲しみも共有できる仲間がいる。これは逃避でもなんでもなく、それぞれが自分の意思で導き出した生き方の一つ。
果てしなく旅は続くけど、映画には限りがあります。163分の長尺も、流れに乗ってしまうとあっという間の時間でした。
日本ではソフト化されていない&上映がたった1日(後日、もう1日だけ上映されました)とあって、大盛り上がりの上映でした。
 

いかがだったでしょうか。
薄々分かっていた事ですが、旧作率高いな…。そして印象深かった映画たちを集めたからって、やっぱり2011~2012年が多いな…。
ただ、みなみ会館のリバイバル上映のおかげで初めて観れた旧作が多かったものですから!

ゴダールやトリュフォー、アキ・カウリスマキの特集上映や、大好きなロックオペラ『Tommy』(1975)を大音響で観れた事、オールタイムベスト1映画であるジャームッシュの『デッドマン』(1995)を念願叶って映画館で観れた事など、書き足りないものがまだまだあります。
本当に個人的に印象的な映画の列挙だったので、「お前の話なんか知らんよ」と思われるかもしれません。
でも、こうして思い出しながら書き留める事で頭の中に残っていた映画たちが文章となって残り、映画の記憶だけでなく無くなった映画館そのものの記憶も、いつだって思い出す事が出来るのです。

京都みなみ会館に携わった全ての方へ。
数々の映画と、それにまつわる思い出を有難うございました。
アキ・カウリスマキ特集の際に貼られていた、当時のポスター。
『愛しのタチアナ』は本編も大好きだけど、ポスターも可愛らしくてメチャ欲しい。

2023年10月2日月曜日

第27回 京都みなみ会館のオールナイトのこと

こんばんは!
2023年9月30日、京都市内にある一つの映画館が閉館しました。
その名は、京都みなみ会館。
京都シネマや出町座など、京都市にはいくつかミニシアターがありますが、その中でも個人的に多く通っていたのが本館でした。
今回は通常の映画レビューをお休みし、この映画館についての思い出を書き留めようと思います。
 
*2回目は、京都みなみ会館の名物でもあったオールナイト上映の事を書きます。
1回目に書いた「京都みなみ会館の思い出」はコチラからご覧ください!
 
 
そう、京都みなみ会館と言えば、何と言ってもオールナイト(以下、AN)上映です。
「大学生で時間とヒマがあったから」と言えばそれまでですが、今現在の生活では考えられないくらいオールナイトへ行っていました。
「コレを観たい!」と思って行ってみると、ラインナップの中にあるノーマークだった映画が面白くて新しい発見、なんて事もありました。こういう出会いがあるのも、ANの良いところです。
人気のANになるとロビーに収まらずに出入り口まで長蛇の列が…… なんて光景も、コロナ後である現在からすると幻のようにも感じられます。
 
 
2011年6月4日「松田龍平ナイト」
『ナイン・ソウルズ』(2003)→『恋の門』(2004)→『46億年の恋』(2005)→『青い春』(2001)
 
これが人生初のANでした。豊田利晃監督の『青い春』(2001)は観ていたものの、大画面&フィルム上映により別物のような感覚で触れる事となりました。
『46億年の恋』は寝ぼけ眼での鑑賞だったので、歪みまくった夢を見ているような感覚に陥りました。
今や偏愛映画である『恋の門』(2004)も、この時に鑑賞してゾッコン惚れこんだのでした。
それにしても松田龍平は、つくづく映画映えする顔です。
 
 
2011年11月19日「U.K.ロック×映画ナイト」
『トレインスポッティング』(1996)→『コントロール』(2007)→『グラストンベリー』(2006)→『(500)日のサマー』(2009)
 
初の洋画AN。気合を入れて臨んだはずが、しっかり見れたのは『トレイン~』くらいで、『コントロール』『(500)日~』はうろ覚え、『グラストンベリー』に至っては「コレあったんだっけ」と忘却の彼方。
しかしこのANのおかげで、京都みなみ会館=『トレインスポッティング』という図式が出来上がりました。
(『トレインスポッティング』と『青い春』は、その後も度々上映されていたため)
 
 
2011年12月10日「京都怪獣映画祭ナイト」
トークショー(久保明、福田裕彦)→福田裕彦 怪獣・特撮映画音楽ライブ→『怪獣大戦争』(1965)→『大魔神』(1966)→『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(1967)
 
「みなみ会館と言えば怪獣!」と言われるほどになった、怪獣映画祭の第1回です。
スタートを切るにふさわしい大迫力大興奮の3本ですが、驚いたのはゲストでいらした久保明さん。
若い頃の優しく甘いマスクはそのままで素敵に年を重ねられており、思わず「自分ときたら…」と意味もない比較をしてしまいました。ちなみに久保さん、上映された『怪獣大戦争』の事はあまり記憶になく、なんといっても『マタンゴ』(1963)が印象深い仕事だったとトークイベントで仰っていました…。
怪獣映画祭の司会者として毎回来ていた木原浩勝さんは、新耳袋の人として名前だけは知っていました。
が、氏が凄い怪獣オタクかつジブリで働いていたと知った時は「人生色々だなぁ~」と、変な驚き方をしてしまいました。
 
 
2012年4月28日「相米慎二ナイト」
『翔んだカップル』(1980)→『セーラー服と機関銃』(1981)→『台風クラブ』(1985)→『お引越し』(1993)
 
強く印象に残っているのは『セーラー服~』で、経年劣化したフィルムで上映されたため赤っぽくなっており、全編を通して夕焼け模様といった有様でした。でもそれが悪かったと言いたいのではなく、映画館のフィルム上映でしか味わえない経験を楽しめて良かったなと、当時も今も思います。
『台風クラブ』のうねるような熱量と悪夢っぽさにクラクラした後の『お引越し』は、〆にふさわしい爽やかっぷりでした。
*『翔んだカップル』はディレクターズ・カット版で上映されたのですが、タイトル曰く『翔んだカップル ラブコールHIROKOオリジナル版』が正式名称だそうで…… なんか凄いな。
 
 
2012年12月8日「『赤い季節』公開記念オールナイト DEAR OUTLAW FILMS」
『青い春』(2001)→トークショー(新井浩文、能野哲彦、村上淳)→『タクシードライバー』(1976)→『殺しの烙印』(1967)→『コントラクト・キラー』(1990)
 
『赤い季節』(2012)の監督・能野哲彦さんがチョイスした映画のAN。
主演の新井浩文目当ての女性客でごった返していたかと思うと、彼のトークショー(村上淳も登壇)が終わった途端ゴッソリ観客数が減った事が、怒りと共に思い出されます。
「しょせん映画じゃなくてナマの有名人見たいだけかよっ!」と。
しかも『殺しの烙印』の時にはシュールさ故か笑いが漏れ、しかも笑いの種類が「俺(私)たち、ちゃんと分かってますよ」的な冷笑的な笑いだったため、それにも腹を立てるっていう…… 我ながらめんどくさい映画ファンです。
でも、ラインナップも内容もサイコー!
 
 
2013年8月3日「奇々怪々ナイト」
トークショー(みうらじゅん、田口トモロヲ)→『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』(1969)→ゲストによるセレクト覆面上映2本
 
ブロンソンズのお二人がゲスト&作品チョイスをしたANで、トークショーで質問をした際に特製AMAバッヂ(海女。あまちゃんブームでしたからね…)を頂きました。
石井輝男監督の『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』(1969)がデカいスクリーンで観れるとあって、勇んで行った覚えがあります。
ケッタイな映画の代名詞として名を知られている本作ですが、なかなか泣かせるシッカリした映画だと思うのは僕だけですか!?
後の2作品は、お二人の選んだ覆面上映。トモロヲさんの選んだ一つは覚えているのですが、みうらさんが何を選んだか、忘れてしまいました…。
 
 
2014年4月26日「真夜中のサスペリアナイト」
トークショー(浅尾典彦)→『サスペリア』(1977)→『サスペリアPART2完全版』(1975)→『アクエリアス』(1986)
 
でっかいスクリーンでギンギラガンガンな『サスペリア』を観るというのは、初鑑賞以来の長年願ってきた夢。それを叶えてくれたのがこのAN。この夜の収穫と言えば、アルジェント監督の弟子であるミケーレ・ソアヴィ監督の長編デビュー作『アクエリアス』でした。
舞台で起こるフクロウ男による連続殺人は画作りや殺され方などが凝っており、つかみバッチリのオープニングシーンも格好良く、嫌らしさのないビジュアリストっぷりに大いに酔わされました。
後年観た『デモンズ‘95』(1994)も、噂に違わぬ傑作でした。
惚れこんで「Blu-rayを買おう!」と誓っておいて、
未だに買っていない怠け者。

2014年8月16日「京都怪奇映画祭ナイト」
『帝都物語』(1986)→トークショー(嶋田久作)→『地獄』(1960)→『マタンゴ』(1963)
 
このANでは眼鏡を忘れる大失敗をやらかしてしまい、気づいた時は「もう嫌だ!綺麗に観れないなら帰りたい!」と思ったものの、いずれも大画面の迫力で魅せる映画だったので何とか楽しむことが出来ました(既に観ている映画たちだったのが救いでした)。
『地獄』のタイトルバックは、デカデカと殴り書きのクレジットにストリップ風の映像と叫び声や荒ぶる音楽が乗っかるという、実に気〇いじみたものですが、みなみの大スクリーンでそれを観た時、お口あんぐりになってしまいました。こんな強烈な『地獄』は初めてだ!と、ボケた目でもハッキリ分かる映像の力でした。
このANは友人と行っていて、しばらくは田村役で出演していた沼田曜一のモノマネばかりしてました。
「接吻しろぉ!」とか「黙れぇ!」とかです。田村が出て来る時の異常な効果音(ビュウゥッ!と強い風の音のような)もマネしてました。バカですね~。
そして目玉は『マタンゴ』の上映。何故かと言うと、このANのために劇中で食べるキノコを和菓子屋さんに頼み、再現販売してもらったからなのです!
名付けて、マタンゴのきなこもち。
しかも中野昭慶特技監督がビデオメッセージで出演し、撮影時の思い出話を語ってくれるオマケつき。
みんな(僕らも)ゾロゾロ並んで購入し、映画の終盤、水野久美が「美味しいわぁ」と言いながらキノコをパクつき、それを見た土屋嘉男が美味しそうに食べるのに合わせて「カシャカシャ…」と一斉にフードパック(プラスチックのお惣菜入れるヤツ)を開く音が。そして各々、真夜中に甘~いきなこもちを頂いたのです。
「あそこまで一体感のあるシュールな映画体験は無いんじゃなかろうか、いや、無い!」と断言できるほど、面白いANでした。
 
 
2014年9月20日「大人のための実相寺劇場 光と影そして、エロス」
『アリエッタ』(1989)→トークショー(古林浩一、堀内正美)→『ラ・ヴァルス』(1990)→『ディアローグ[對話]より堕落 ~ある人妻の追跡調査~』(1992)『隣人』(1993)
 
悔やんでも悔やみきれないANと言えば、このANです。
実相寺監督はテレビや映画のみならずアダルトビデオも撮っていた人ですが、それらを上映するという珍しい企画で、ゲストには実相寺作品の常連であり『ラ・ヴァルス』『ディアローグ』に出演された堀内正美さんがいらっしゃいました。
当時、何故か僕は堀内さんとFacebook上で友達関係であり、このオールナイトの事も話題になって「サインの時間ではお声かけしますね!」とこちらから振っておいたクセに、当日になると委縮して声をかけられず遠くから眺めているだけ…という情けない結果になったのです。
加えて「貴重な機会だから絶対寝ないぞ!」と心に誓ったのに、部分的にとは言え4本中3本をうたた寝で完走(しっかり観たのは『アリエッタ』のみ)出来ず… タイムマシンで戻りたい出来事の一つです。
このチケットだけは、しっかりと手元に残しています。

2017年12月23日「オーディナリーなライフにブリリアントな瞬間があるんだよナイト」
『パターソン』(2016)→『人生はビギナーズ』(2010)→『スモーク』(1995)
 
未見作品は『人生はビギナーズ』だけで、好きな映画たちを一気に観られる!といった気持ちで行ったのでした。
ところが軽やかな語り口の『人生~』に魅了され、マイク・ミルズ監督は忘れられない監督となりました。
京都シネマで初めて観た『パターソン』は「ジャームッシュの原点回帰」みたいな宣伝に期待し過ぎて「こんなもんかな」止まりでした。しかし大きなスクリーンで対峙する事で、映画に描かれる大小様々な出来事をしみじみと味わえて、だんだん好きな映画になっていきました。
『スモーク』は当時のフィルムで上映され、字幕の位置も現在の下側ではなく右側縦書き表示で何だか新鮮。
クリスマスが近い時期に、人生の甘いも酸いも描かれた映画たちに元気をもらえたANでした。
 
 
ザッと書き出すつもりが、結構な分量となってしまいました。しかし、これら以外にも「園子温ナイト」「映画監督・豊田利晃ナイト」「アリスメンタルジャーニーNight」「チミノの門を叩け!ナイト」(『ディア・ハンター』のフィルム上映はトラウマ)「片渕須直オールナイトin京都」「映画大好きナイト」「Start Me Up -イ・ク・ぜ!ナイト-」等、多くの忘れ難いANがありました。
映画は観るだけじゃなく、向かう道中の高揚感や休憩時間の過ごし方、帰り道の余韻を楽しむひとときなど、様々な時間が合わさって「映画を楽しむこと」なんだと、みなみ会館のANは教えてくれました。

2023年7月18日火曜日

映画きらきら星 第1回『ダウン・バイ・ロー』

こんばんは!

突然ですが… 僕のブログ更新頻度がなかなか遅い&一回の投稿量が多いため、「サクッと気負わずに書いてみよう!」と、ミニレビューもやっていく事にしました。

題して、映画きらきら星。

星の数ほどもある大好きな映画たち、一つでも多く紹介して観てもらえるキッカケになれば… という思いで頑張ります!

今回はその第一弾。大好きな監督の偏愛する作品をご紹介。

 

『ダウン・バイ・ロー』(1986年 監督:ジム・ジャームッシュ)

刑務所で一緒になったザック(演:トム・ウェイツ)ジャック(演:ジョン・ルーリー)ロベルト(演:ロベルト・ベニーニ)の3人が、脱獄をしてすったもんだの珍道中。

 

ここが見所:

本作で初めてジャームッシュと組んだロビー・ミューラーの撮影。モノクロ画面が40~50年代のフィルムノワールのような雰囲気で撮られていて、とってもクール!

トム・ウェイツの「Jockey Full Of Bourbon」をバックに数々の風景が映し出されるオープニングの格好良さに、掴みはバッチリ!

そして脱獄映画をパロディ化したような、どこかズレた感覚。脱獄自体はアッサリと成功するわ、逃亡の様子も次第に呑気な感じになっていくわで、独特のユルユル具合がクセになる!

当時、本業が俳優でなかった主演3人のアンサンブルも必見。みんな気取った体を醸し出すのが上手い!

ジャームッシュは、時に当て書きしてるのか?と思うくらいに演者とキャラクターが調和させてきますね。

ちょいとカッコよくて、適度に可笑しく、そしてホッコリする不思議なロードムービー。

それが『ダウン・バイ・ロー』なのです。

 

イラスト:岩佐悠毅

映画きらきら星では、いつもの城間さんのイラストではなく、僕の描いた場面イラストを載せていきます。新しいチャレンジを2つも!

人前に出すイラストなんて普段描かない&昔から絵が下手っぴなので恐れ多いのですが、ドウゾヨロシクオネガイシマス…。

2023年6月1日木曜日

第22回 3年ぶりの『はちどり』は如何に映ったか?

こんばんは! 
皆さん、お元気でしょうか。
僕は元気です。なんと3年ぶりの更新となってしまいました。
このblogを楽しみにしてくれている(有難くも奇特な)皆さん、どうもお待たせしました!

3年以上もblog投稿が空くと「どんな具合で書けばいいんだ」とか「何を復活第一弾にすればいいんだ」などと、独りで意味もなくテンパってしまうものです。

そこで今回は、3年前の2020年当時、ベスト級に良かった映画を紹介する事にしました。
その作品は、キム・ボラ監督による韓国映画『はちどり』(2018)です。

『はちどり』(2018年 監督:キム・ボラ)


2020年に話題を呼んだ韓国映画と言えば、ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』(2019)が真っ先に思い浮かびますが、本作も結構話題の映画でした。
本作が長編デビュー作であるキム・ボラ監督の確かな演出力は世界各国で絶賛され、単に映画祭で評価されただけでなく、韓国内でも単館公開規模ながら公開一ヶ月で観客動員数12万人超という驚異の大ヒット。国内外で評価された映画だったのです。

もう数年前のことなので、何をキッカケとして観に行ったのか朧げなのですが、観終わった時に「この映画は、自分にとって大事な映画になるな」と思ったものです。
先日も観なおす機会があったため、久しぶりに本作と向き会いました。
今回は「どうして、自分にとって大事な映画だと思ったんやろう」と思いながら観ていました。
良い意味での疑問を抱きながら観、終わった頃には「うん、やっぱり大事だ」と改めて思わされました。
今回は、その「良いと思った何か」を自分なりに考えながら、紹介していきます。


1994年、韓国のソウル。14歳のキム・ウニは両親、兄、姉の5人で暮らしている。
両親からは世間体の良さばかりを求められ、学校にはなじめず、同じ塾に通う親友との時間や彼氏の存在が彼女にとって救いであり癒しでもある。
家庭や学校である種の息苦しさを感じていた彼女の前に、新しい塾の教師が現れて……。


男性優位的な社会観、そして「良い大学に入る」ことこそが最高のゴールだと言わんばかりの両親や学校。ウニでなくとも「嫌~な青春」というカテゴリーに入ってしまいそうな日々。
この作品の舞台となっている90年代は、正にキム・ボラ監督が13~14歳の少女として、青春を謳歌している時代でした。すなわち、ウニの姿は当時の監督の姿でもあるワケです。
「当時は当たり前すぎて疑問に思わなかった、考えていなかったけど、後から考えるとオカシナ事だったなぁ」と思ったりする機会が皆さんにもあるかもしれません。
ボラ監督も、そのように当時を振り返りながら撮影をしたのでしょう。

インタビューの中でも「人が生きるうえで感じるすべての感情を、少女の生活を通じて見せたかったし、政治、社会、フェミニズム、ジェンダーといった様々な社会的な問題を、少女の目を通じて、微細なところから見わたそうと努力しました」と言い切っています。
これはその当時を生きた監督が、今現在だから語れる、描けることであります。
いわば本作は、現在に生きる監督が、かつて自分が生きた90年代の韓国を批評するかのような作品でもあるのです。

映画にせよ本にせよ、どうも僕はこのような「個人を通して歴史を、限られた時代を描く作品」に弱いらしく、オールタイム級に大好きな『ぐるりのこと。』(2008)と本作の性格はよく似ていると、初見の際に感じたものです。
やはり大衆で物事を語られるより、個人の生き様で語ってくれる方が、観ている側にとって伝わりやすいからでしょうか。なんと身も蓋も無い分析なんでしょうか。

『はちどり』では、ウニの目線で全てが語られていきます。
自分に対し、やたら両親が冷たい態度をとっていると思いきや、その直後には何事も無かったかの如く一緒に食事をとっている不思議。
親の言う通りに勉強ばかりして、その鬱憤を自分に向けてくる兄の理不尽さ。
彼氏のところへ行ったり家へ連れ込んだりする姉の大胆さに、驚きと少しの憧れを抱かずにはいられなかったり。
皆それぞれの方向ばかり見ていて、まるで自分のことなんて見てくれやしない。
そんなやけっぱちな気分にもなってしまいそうですが、どっこいそこは家族と言うべきか、そこまで冷たい感じでもありません。

ウニの耳後ろ辺りにしこりが出来て、それを手術する際に「顔面麻痺が起こりうる」と医者に言われた時。ウニ以上に動揺し、声をあげて泣く父親の姿は、それまで映っていた家父長制社会の権化のようだった人物と別人のようです。しかし、娘を心配しなくこの姿も一つの顔なのです。
叱ったりすることも多いものの、ウニに「ダメな娘」という烙印を押し付けて放っておくでもなく、彼女のお腹が空いてそうならチジミを作ってあげる母親。
「この父親は〇という性格、母親は△な性格」というカテゴライズをするのではなく、「父親は〇な性格が主だけど、時には×な性格の時だってある」という通り一遍ではない描き方。
もっと言えば「人間の持つ割り切れなさ」を、本作は唐突に、しかし丁寧に描いています。


そしてウニの前に現れる一人の女性。漢文塾の新しい教師であるヨンジの登場は、ウニにとって「大人」の価値観を覆す出会いでした。
不良生徒のように煙草を燻らせる姿、授業前に描いていた漫画に興味をもって話しかけてくれたこと、友だちや彼氏との関係が上手くいかなかった時なども、お茶をふるまい話を聞いてくれた……。
自分の見てきた大人たちとは何かが違う、その何かに憧れや親しみを覚え、ウニはヨンジに心を開いていきます。
人はよく、自分にないものを相手に求め、それに憧れることが多々あります。
ウニも当初はそうだったでしょう。しかしウニは気づいていきます。
ヨンジは自分をひとりの人間として見てくれている。だから私はこの人といると安心するし、落ち着けるのだと。
自分よりも相手を下に見ている態度というものは、すぐ相手に伝わるものです。
「近頃の若いもんは…」「年上だから伝えれる事がある」「お前たちバカを私が鍛えてやる」「お前は俺のところに働かせてもらっているんだ」etc……ウンザリしちゃいますね!

ヨンジ自身が大学休学中である学生、つまりウニと年齢が近かったことも大きいのでしょうが、彼女は当時の世の中の流れとは対極的な存在であるかのように見えます。
労働運動で歌われた『切れた指』を歌う場面、大学を休学中でバイトを転々としている… と語る場面など、ヨンジは学生運動に参加していた人物ではないか(この事はパンフレットに記載されていた監督インタビューの中にも明記されていました)、つまりヨンジは、それまでの「世代」とは違う「新たな世代」の人であるということです。
新しい世代は何かと煙たがられるものです。ロックンロールが流行しだした頃など、良い例ですよね。しかし新世代の台頭は、よくも悪くも社会が変革する時。
ウニがヨンジと出会った時間こそ、それまでの価値観から一歩踏み出そうとしている韓国変革の真っ只中なのです。

両親たちの世代、ヨンジたちの世代、そしてウニたちの世代と、3つの世代が邂逅し、それぞれに変化が生じていく。
『はちどり』は単なる「少女が過ごした青春の一ページを切り取った映画」ではなく、当時の韓国の情勢を見事に取り込み、描ききった映画であるのです。
ただ、こう書くと人物たちの言動、動作といったものが図式化された、いわば「監督のメッセンジャーとしての機能」に陥ってはいやしないか、と考える方もいるかもしれません。
が、それは大丈夫です。それぞれの人物たちは「役の役割」を軽々と超え、見事に劇中の時間を「生きて」いますから!

本作では度々、ウニを背中から捉えたショットが映し出されます。
「見えない」という事が想像力を刺激するように、私たち観客も表情の見えないウニに想いを馳せます。
その場面で彼女の考えているもの、彼女が背負っているもの、そして彼女の視線の先にあるもの……。
この映画には様々な要素が散りばめられているワケですが、僕が本作をとても好きになってしまったのは、この絶妙な「背中ショット」があるから、つまりこのショットで築かれる「間」が、観客に対して、映画や人物についての想像の時間を与えてくれるからではないかなぁと感じます。
映画には時間経過を示す「視覚的な間」と、人物や映画そのものの内面に迫る「感覚的な間」の2つがあります(と、僕は常々思っています)。
『はちどり』は、この『感覚的な間』の描き方が、非常~に上手い気がしたのです。
単に「この背中ショット、決まってるねぇ!」と直感で気に入っただけかもしれませんが……。
ともあれ、この「背中ショット」は下手な人がやると本当に下手くそなので、やっぱり上手いんです。ショットを入れてくるタイミングや、映す長さが。

と、長々と書き連ねてきた『はちどり』覚え書きでしたが、やはり映画の魅力を言葉にするのは難しいです。
頭でっかちな文章だなぁと我ながら思うのですが、もしこれを読んで少しでも映画に興味を持っていただけたら(そして観ていただけたら!)、書いた甲斐もあるというものです。

挿絵:城間典子

2019年3月1日金曜日

第18回 『ディア・ハンター』を新年早々の映画にしてしまった事のヤバさについて。

明けましておめでとうございます!
と言っても、既に年が明けて既に3月1日。忙しさにかまけていたらコレです。
僕は本当にblogを書くのに向いていないなぁ、締め切り間近じゃなきゃ描けない漫画家かよ!?
と突っ込んでしまう事しばしばです。
(まぁ今回は挿絵の城間さんも随分待たせてくれたもんですから…… ザ・言い訳タイム)
反省ついでに、この1~2月は全然映画を観れなかった…… 劇場だけでなく、自宅でのDVD鑑賞も。
ホントに、どうしちゃったんだ。自分。


と、反省してばかりでは埒が明かないので、新年に突入して劇場で3番目に観た映画について書こうと思います。
(ちなみに1番目と2番目は、地元大分で観た『マイ・プレシャス・リスト』(2016)『ア・ゴースト・ストーリー』(2017)です)

その映画は…… マイケル・チミノ監督が1978年に放ったベトナム戦争映画『ディア・ハンター』です!
新しい年に入って早々、こんな暗い映画でいいのかと思いつつも、4K修復版の文字につられて観に行きました。結果、やはり気持ちが「ず~ん……」となってしまいました。


ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外にある町、クレアトン。
ロシア系アメリカ人のマイケル(演:ロバート・デ・ニーロ)、ニック(演:クリストファー・ウォーケン)、スティーヴン(演:ジョン・サヴェージ)、スタン(ジョン・カザール)、アクセル(チャック・アスペグレン)、ジョン(ジョージ・ズンザ)は、この町の製鉄所で働いており、休日には鹿狩りへ赴く仲の良いグループ。
そんな彼らにもベトナム戦争の波が押し寄せ、マイケル、ニック、スティーヴンが徴兵される。
北ベトナム兵らの捕虜となり、捕虜同士で行われるロシアンルーレットの賭け事に強制参加される3人。
この出来事が、後の彼らの人生を大きく狂わせる事となる……



本作を初めて観たのは4~5年前、京都みなみ会館によるオールナイト企画「マイケル・チミノ ナイト」の時でした。
それまでは、名前は知っていたものの(品質の良いDVDが出回っていなかったというのもあり)観ていなかったのです。
同時に上映された『天国の門』(1980)はデジタル修復版による美しい画面でした。
対して、『ディア・ハンター』は経年劣化したフィルムによる上映でした。
このフィルム上映も貴重極まりないものだったので感謝の念でいっぱいなのですが、フィルム傷は多い&画面が暗いために、映画の感触がとても生々しく感じられ、ただでさえ暗い内容の映画がより一層暗くなり、僕のトラウマ映画となってしまいました。
もう大学も卒業する頃だったというのに。

しかし今回見直して、やはりトラウマになるだけあるなぁとしみじみ観ていました。
「ロシアン・ルーレットの出てくる映画」と聞かれて真っ先に挙がるであろう本作は、なるほど凄まじい迫力。
マイケルたちが強制的に参加させられる賭けロシアン・ルーレットの描写は、本当にじわじわと嫌~な気分にさせてくれます。
圧倒的な恐怖、絶望、緊迫感……


この一連の「地獄のベトナム」がここまで効くのは映画の前半、つまり結婚式&壮行会のシーンがあるからでしょう。
正確な時間計測をしていないので分からないのですが、少なくとも映画が始まって1時間は、グループの一人であるスティーヴンの結婚式、それと兼ねて行われるマイケル、ニック、新郎スティーヴンの壮行会の模様が延々と描写されます。
以前オールナイトで観た時は「まだ続くのか」と思えるほど長く感じられたシーン、久々に観てどうだったか…… やはり長い。
6人の仲の良さや、密かにニックが想っている女性リンダ(演;メリル・ストリープ。若く、綺麗で、可愛らしい!)とのやり取りなどが描かれるワケですが、印象に残るのはダンス。

結婚式シーンの半分がダンスシーンじゃないの、と思ってしまうくらいにみんな踊っています。
しかしこの長い長い結婚式がある事によって、後のシーンに効いてくる。
ベトナムで地獄を体験した後のマイケルたちの有り様を観ていると、
「嗚呼、あの時はみんな笑い合っていたのに……」と悲しくなってきます。

後の超大作『天国の門』でも長すぎるダンスシーンがあり、その後大きな悲劇が主人公たちを襲うのですが、物語のバランス的に上手く作用していなかったような気がします。
『ディア・ハンター』の場合は、失敗すれすれのところで奇跡的に成り立っていると言っても過言ではないでしょう。



グループのリーダー的存在であり、鹿狩りの名手、ベトナムでも戦争の理不尽さに発狂しそうになった友人たちを鼓舞し続けたマイケルも、戦争から帰って来てからは寡黙になり、鹿を撃つ事も出来なくなってしまいます。
「俺はどうしちまったんだ」と分かりやすく自問したりするのではなく、鹿を、他者を見つめる眼差しで己の変化を観客に伝えるデ・ニーロの演技は流石の上手さです。


そして何と言っても、ニックを演じたクリストファー・ウォーケンですよ!
一回目を観た頃の彼の印象は「色んな映画に出ている上手い人」くらいの認識だったのですが、ある日『ゴッド・アーミー/悪の天使』(1995)での「死の天使ガブリエル」役を観て「スゴい色気だ!」と惚れてしまい。
そんなほの字で観てしまっているので、彼が序盤で魅せる笑顔が尊いこと……

後半からの彼を観る度に「嗚呼……」と溜め息ばかり。
演技も上手いし何とも言えない存在感だしで、まったく罪作りな人ですね、クリストファー・ウォーケンって俳優は!



なんだかラブレターみたいになってしまいましたが、話を戻して。

本作で重要なのは「主人公たちがロシア系アメリカ人であること」です。
この話を普通のアメリカ人の話としたら、序盤と最後に歌われる『ゴッド・ブレス・アメリカ』の意味合いがまるっきり変わってくるのです。
ベトナム戦争というアメリカが仕掛けた大規模な、しかも無意味な戦争は、移民である主人公たちをも巻き込み、他の多くの兵士と同様に、かつての平穏な日々を取り戻すことが出来ないくらいに心を破壊させます。
この映画でよく受ける批判として「加害者であるアメリカ側が被害者面をしている」という意見があります。

確かに、マイケルたちを「ただの」アメリカ人として見るならば、そう見えなくもないでしょう。
しかし、彼らはロシア系アメリカ人なのです。アメリカが戦った北ベトナムの背後にいた国家、それはロシアです。自分たちの真の故郷たるロシアと(冷戦という形ではあるものの)戦うことになり、ある者は精神を病み、ある者は死に行くのです。


なるほど、壮行会の際に歌われる『ゴッド・ブレス・アメリカ』は、現在アメリカに住むマイケルたちを、これからアメリカのために頑張って来いと鼓舞する意味で歌われたものでしょう。
しかし、ある者の死を通して最後に歌われる『ゴッド~』は、果たして同じような意味合いでしょうか?
僕には最後の歌の場面は、皮肉な運命に翻弄されたマイノリティーたちによる悲しみの象徴として見えました。
祖先たちが夢見てやってきた自由の国アメリカ。子孫である自分たちの運命を粉々にした国アメリカ。しかし此処しか彼らの帰る場所はない、そのやりきれなさ、悔しさ、悲しみ。それがあの歌に表れてはいないかと。



後の『天国の門』『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(1985)、もっと言えば監督デビュー作である『サンダーボルト』(1973)でも、マイケル・チミノはマイノリティーの悲しさをテーマとしていました。
彼が何故そこまで「彼ら」の存在を描き続けたのか、僕はまだ分かりません。
彼が遺した映画たちを観続ける事で、その疑問を考えていきたいと思います……



イラスト:城間典子

※今回の挿絵は、映画のクライマックス部分。
どんな絵を描いてくれるのかは僕も分からないので、今回の絵には「ほおっ!」と驚きました。
なんせ『ディア・ハンター』と言えば、猟銃を持ったデ・ニーロとかロシアン・ルーレットしてる時のウォーケンの写真とかが有名ですから。そういう「アップの画」を描くのかと思っていたのです。
しかしながら、この絵も、映画が映し出す「逃れられない地獄っぷり」を見事に捉えてるなぁ~と思います。
(シロート評論家か、あんたは)