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2024年11月2日土曜日

第36回 映画好きを喜ばせる男、黒沢清の最新作2本をレビューの巻。後半『Chime』篇。

 この記事を書いている10/23現在、天気は曇り。曇り模様の時に聞きたい音楽はサティ、観たい映画とくれば黒沢清。
というワケで、黒沢清の新作レビュー、2本目の作品をご紹介します!

『Chime』(2024年 監督・脚本:黒沢清 主演:吉岡睦雄)
料理学校で講師として生計を立てている男、松岡(演:吉岡睦雄)。ある日、生徒の一人が「チャイムのような音が聞こえる。誰かがメッセージを送ってきている」と言いだし、別の日に自害した。平凡な毎日を過ごしていたはずの松岡の生活が、「音」をキッカケに徐々に狂いだしていく……。

配信の独占販売という制作体制で作られた本作。映画館でもボチボチ上映されており、シネマ5での上映に乗っかる事が出来ました。上映時間が45分と中編規模の短さですが、その短さを活かして、最も黒い部分の「清エキス」が凝縮された形となっております。

最初のタイトルバックが料理教室の天井を映しているもので、パッと見「このメタリックなものはなんだ?」と不思議な感覚に陥ります。それがパンして、映っているものが調理風景だと認識して初めて料理教室の天井だと分かり、この不思議な導入からして只ならぬ雰囲気です。
「何か、なにかヤバい事が起こるぞ」と思わせる入り方です。
そして、生徒たちに優しく指導している松岡の姿。この時点で松岡の目に生気がない辺り、さらに不気味です。

そして、あらすじに書いた通りに進んでいくわけですが、本作は人物たちに聞こえている(であろう)「音」を際立たせるためか、音楽を基本的に流さず、調理器具や生活の場音などの「日々に溢れている音」を観客に意識させるような音響設計をしています。
包丁で材料を切る音が、包丁をまな板に置く音が、村岡の妻(演:田畑智子!)が取り憑かれたように空き缶を「ガラガラガラガラ」と捨てる音が、全てが薄気味悪い。
時々「おやっ?」と思わせる音が聞こえてきて、「これがチャイムの音なのかしらん」なんて思いながら鑑賞しつつ。

妻が取り憑かれたように~と書きましたが、今までの清映画がそうであったように、本作でも「家庭=安住の場所」ではありません。むしろ清映画においては、外界で起こっている不可解な出来事や事件ばりに「家庭=不穏な場所、休まる事のない場所」として描かれています。
「家庭を持つ事とは外へ向けたかりそめのもので、その実態は墓場のようなもの」とでも言っているかのようです。こわいなぁ。

聞こえたのか否か、中盤に村岡は「ある行動」に出ます。その時の感情が一切こもっていない表情、動作。
「あぁ、操られている人ってこう動くのかも」と思わせるほどの動きで、吉岡睦雄という役者は心底恐ろしい人だとドン引きしました。
(『Cloud』でも得体の知れない自警団メンバーを演じていて「なんだこの人は」と面食らいました。上手い人だ……)

疑心暗鬼にかられた村岡が家の中で見たもの、そして家の外を出てから見た、聞いたもの。
何が映っているのかよりも「何かが映ってしまっているように見える、何かが聞こえてしまっているように聞こえる」という描き方をしたこの一連のシーン。
このシーンで僕は「もう……もう、やめてくれぇ」と大変ゲンナリしてしまったのです。禍々しい雰囲気と音が、全身に襲い掛かって来るような感覚。
それまでのくだりも充分怖かったのですが、トドメを刺されてしまいました。

もう一回観たいと思いつつ、2日連続で観るような映画ではない(そんな事したら、数日動きたくなくなると思う)し、かといって一週間限定上映だったため、その時の1回で終わったワケですが……。嫌なもの、怖いものって頭にこびりつくものですね。
最近は『散歩する侵略者』(2017)『スパイの妻』(2020)『Cloud』(2024)など、メジャーな作品でも確かな手腕を発揮していた黒沢清監督。ここに来て、小粒ながら原点回帰とでも言いたくなる傑作を放ってくれました。
この監督は十八番演出が多いので、ともするとマンネリと揶揄されそうなものです。
しかし、どの作品もしっかりとハラハラドキドキ、時々ジメ~っと嫌~な気持ちにしてくるので、流石だなぁと新作を観る度に感心しちゃうのでした。

本作にも『Cloud』にも、ヒラヒラとなびきながら観客を恐怖へと導く
「清カーテン」の描写、ありますよ!

さぁ、黒沢清監督の新作『Cloud』『Chime』の感想を書いてきました。
ここでお気づきかと思いますが、僕は柴咲コウ主演の『蛇の道』(2024)を見逃してしまいました……。哀川翔が主演のオリジナル版は、黒沢さん作品の中でも上位に来る好きな映画なのと、大好きなマチュー・アマルリックさんが出ている(舞台をフランスにしている!)のもあって凄く観たかったんですが……。場所とタイミングが合わなかった……悔しい。
何はともあれ、黒沢清監督はまだまだ衰え知らずの監督だという事で一つ、今回の記事の〆とさせていただきます。
ではまた!

2023年12月5日火曜日

映画きらきら星 第3回『ツィゴイネルワイゼン』

こんにちは!

みなみ会館の思い出記事から、随分経ちました…。
久しぶりの投稿は、映画きらきら星でお送りします!
今回は、生誕100年を迎えた映画監督・鈴木清順の代表作をご紹介します。

『ツィゴイネルワイゼン』(1980年 監督:鈴木清順)

ドイツ語学者にして無頼の中砂糺(演:原田芳雄)、士官学校教授・靑地豊二郎(演:藤田敏八)、中砂の妻と後妻(演:大谷直子の二役)、靑地の妻・周子(演:大楠道代)。
4人の男女がサラサーテ演奏の『ツィゴイネルワイゼン』のレコードを軸に、現実と幻想、生と死の境目を彷徨う怪奇幻想譚。

 

ここが見所:

『野獣の青春』(1963)『殺しの烙印』(1967)といった奇抜な映画を撮ったために日活を解雇された伝説の映画監督、鈴木清順。国内外の評価を得て世界中で愛されるカルト映画監督となった、そのキッカケとも言える本作。
「浪漫三部作」の後続作品である『陽炎座』(1981)『夢二』(1991)がより手作り感溢れる豪華絢爛な映画になっていくのに対し、本作はまだ抑制的というか派手なワケでもありません。
しかし必要最小限の画面から伝わってくる“音”やレコードを始めとする“円型の主題”など、映画を味わうのに十分な要素が盛りだくさん。一つ一つに目を凝らし、耳をそばだてる事で「おおっ」と感じたり「ゾワっと」したりと、五感に楽しい映画です。
野性味溢れる原田芳雄の色気、昭和初期の女性の雰囲気を見事に体現した大楠道代等、俳優陣の存在感も抜群です。常に戸惑っているような表情の藤田敏八も、ナイスなキャスティングです(本業は映画監督)。

映画を使って遊びに遊んだ趣のある本作は、今もなお、妖しくも人の興味を掴んで離さない危険な魅力を振りまいています。

*監督の生誕100年を記念して、現在「浪漫三部作」が4K修復版となって映画館で公開されています。より美しい画面で、映画の醍醐味を味わえる最良の機会です。
僕も先日、本作4K版を観に行ってきました!
何度も観ている映画ですが、より普遍的で面白い映画だと膝を打った次第です……。

 


イラスト:岩佐悠毅

この映画の顔と言えば、やはり原田芳雄でしょう。
当時の無頼派を体現しているような風貌や所作、そしてフラフラと旅をし、骸骨のように儚げにも見える人物。そんな彼を描いてみました。

2023年8月1日火曜日

第24回 『独立愚連隊西へ』戦争は痛快で、愉快で、悲しい。

こんにちは!

8月に入りました。今年は太平洋戦争の終戦から78年目の夏となります。

今回は、その戦時下を生きた映画監督、岡本喜八の代表作にして戦争映画の傑作をご紹介します。

 

『独立愚連隊西へ』(1960年 監督:岡本喜八)

 

舞台は中国北部。歩兵第四六三連隊が八路(パーロー)軍の攻撃を受け、軍旗を持って危機を脱した北原少尉(演:久保明)を残して玉砕。少尉ならびに軍旗の行方が分からなくなってしまった。

報告を受けた本隊は直ちに軍旗捜索隊を編成するが、第一次捜索隊はアッという間に全滅。

次なる捜索隊を探しあぐねているところに、数々の危険地帯に転属させられてきた噂の独立愚連隊、左文字小隊の名前があがった。かくして、左文字少尉(演:加山雄三)率いる左文字小隊は意気揚々と赴いた。

だが、この事は敵である八路軍の耳にも入っていたのだ…。

前作『独立愚連隊』(1959)はミステリと西部劇要素に溢れた快作でしたが、あまり悲観的に描かれない戦闘シーンのためか好戦的だという批判を多く受けました。戦場の虚しさを表現するために行った戦場描写が、かえって誤解されてしまったのです。

そこで本作は、戦闘シーンもあるものの極力人物たちの死亡シーンを抑えた形をとりました。代わりに大幅に加えられたのは、ユーモアとキャラクター描写です。

朗らか呑気に見えてキチっと締める若大将こと左文字少尉に始まって、小隊の頼もしい母ちゃんポジションの戸川軍曹(演:前作で主役を張った佐藤允)、神谷(演:堺左千夫)畑(演:中山豊)の一等兵漫才コンビ、本隊から合流した真面目一本の関曹長(演:山本廉)、中国の地理に詳しい神出鬼没の助っ人早川(演:中谷一郎)といった、一癖も二癖もあるメンバーは観ていて楽しい限り。

加えて、本作は東宝の映画のため、ゴジラを始めとする東宝特撮映画でよく見る顔が多く出てきます。前述の堺左千夫や山本廉だけでなく、久保明、平田昭彦、田島義文、沢村いき雄、堤康久などなど観ていて「あっ、この人は!」という発見がきっとあるはず。昔の映画は主役脇役問わず、その映画会社の「顔」というものがあって良いですね。

特に本作の堺さんと山本さんの活躍っぷりは、東宝特撮映画ファンからすると嬉しくなっちゃいますよ。

 

軍旗を追いかけているのは左文字小隊だけでなく、日本軍の士気を落とそうと画策する八路軍も出てきます。

そこで出会うのが梁隊長(演:フランキー堺だ!)率いる部隊なのですが、彼らに比べると左文字小隊は多勢に無勢。(余談ですが、この八路軍と左文字小隊が初めて出会うシーンはロバート・アルドリッチの痛快西部劇『ヴェラクルス』(1954)に似ています。西部劇好きの監督ですから、ひょっとすると参考にしたのかもしれません…?)

その窮地のくぐり抜け方は実に平和的かつ笑いの要素もありで、この辺の描写には監督の「他民族との触れ合いとは、戦闘ではなくこんな風に出会えたら良いのに」という願いが込められているように感じます。

旅の道中では、やむなく中国軍に身を転じた女性看護師(演:水野久美)や進んで中国軍のスパイになった中尉(演:中丸忠雄)にも出会います。彼らとの出会いも、戦争という大きな暴力の中でなければ疑い疑われたりといった関係ではなく、もっと気持ちよく、人間らしく出会えたろうに… と感じさせずにはいられません。

 

『独立愚連隊』シリーズ(1959~‘60)、『江分利満氏の優雅な生活』『戦国野郎』(共に1963)、『血と砂』(1965)、『斬る』『肉弾』(共に1968)、『赤毛』(1969)、『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971)、『吶喊』(1975)、『ブルークリスマス』(1978)といった作品群は、戦争映画、時代劇、SFなどジャンルは多彩ながらも各々の作品で描かれている事は常に一貫しています。

それは、「戦うことの虚しさ、戦って真っ先に死んでいくのはいつも末端の人間である」という怒りのメッセージ。

「映画は、まず、何と言っても面白くなくては…」とは監督の言葉ですが、戦争中の体験は「ささやかではあったけれども痛烈だった体験」でもありました。上官らの理不尽な仕打ち、友人たちの死。

岡本喜八監督は軍隊生活でのあまりに悲惨な体験を、ある時期を境に喜劇的に考えるようになったといいます。飢え、鬼教官、訓練といった事を“笑い”に転化する事によって、常に死の恐怖について考えるコトがなくなったのだと。監督の明るめの作風は、そのような体験から生まれ出たものなのです。

 

本作は数ある岡本監督の作品たちの中でも、娯楽映画としての度合いと反戦のメッセージが素晴らしく調和した一作だと思い、今回選ばせていただきました。

作風自体はユーモア多めとは言え、話の前提がボロボロになった軍旗ひとつのために戦場に赴くというものなのですから、そこに託された「戦争の愚かさ」のメッセージを、僕たちはただ楽しむだけでなく、しっかりと胸に刻んでいかなければなりません。

とは言え、まずは映画そのものを大いに楽しもうではありませんか。

驚き、笑い、怒り、悲しみ、そしてシミジミしましょう。

話はそれからだ、愚連隊、前へーっ!


イラスト:城間典子(絵を描きながら「加山雄三はイケメンだなぁ」と呟き、若大将シリーズに興味を示した彼女。そう言われるとこっちも「未見だし観てみようかなぁ」と気になる始末。そういえば若大将シリーズって、レンタルでお目にかけないような気が)

2023年7月18日火曜日

映画きらきら星 第1回『ダウン・バイ・ロー』

こんばんは!

突然ですが… 僕のブログ更新頻度がなかなか遅い&一回の投稿量が多いため、「サクッと気負わずに書いてみよう!」と、ミニレビューもやっていく事にしました。

題して、映画きらきら星。

星の数ほどもある大好きな映画たち、一つでも多く紹介して観てもらえるキッカケになれば… という思いで頑張ります!

今回はその第一弾。大好きな監督の偏愛する作品をご紹介。

 

『ダウン・バイ・ロー』(1986年 監督:ジム・ジャームッシュ)

刑務所で一緒になったザック(演:トム・ウェイツ)ジャック(演:ジョン・ルーリー)ロベルト(演:ロベルト・ベニーニ)の3人が、脱獄をしてすったもんだの珍道中。

 

ここが見所:

本作で初めてジャームッシュと組んだロビー・ミューラーの撮影。モノクロ画面が40~50年代のフィルムノワールのような雰囲気で撮られていて、とってもクール!

トム・ウェイツの「Jockey Full Of Bourbon」をバックに数々の風景が映し出されるオープニングの格好良さに、掴みはバッチリ!

そして脱獄映画をパロディ化したような、どこかズレた感覚。脱獄自体はアッサリと成功するわ、逃亡の様子も次第に呑気な感じになっていくわで、独特のユルユル具合がクセになる!

当時、本業が俳優でなかった主演3人のアンサンブルも必見。みんな気取った体を醸し出すのが上手い!

ジャームッシュは、時に当て書きしてるのか?と思うくらいに演者とキャラクターが調和させてきますね。

ちょいとカッコよくて、適度に可笑しく、そしてホッコリする不思議なロードムービー。

それが『ダウン・バイ・ロー』なのです。

 

イラスト:岩佐悠毅

映画きらきら星では、いつもの城間さんのイラストではなく、僕の描いた場面イラストを載せていきます。新しいチャレンジを2つも!

人前に出すイラストなんて普段描かない&昔から絵が下手っぴなので恐れ多いのですが、ドウゾヨロシクオネガイシマス…。

2019年3月1日金曜日

第18回 『ディア・ハンター』を新年早々の映画にしてしまった事のヤバさについて。

明けましておめでとうございます!
と言っても、既に年が明けて既に3月1日。忙しさにかまけていたらコレです。
僕は本当にblogを書くのに向いていないなぁ、締め切り間近じゃなきゃ描けない漫画家かよ!?
と突っ込んでしまう事しばしばです。
(まぁ今回は挿絵の城間さんも随分待たせてくれたもんですから…… ザ・言い訳タイム)
反省ついでに、この1~2月は全然映画を観れなかった…… 劇場だけでなく、自宅でのDVD鑑賞も。
ホントに、どうしちゃったんだ。自分。


と、反省してばかりでは埒が明かないので、新年に突入して劇場で3番目に観た映画について書こうと思います。
(ちなみに1番目と2番目は、地元大分で観た『マイ・プレシャス・リスト』(2016)『ア・ゴースト・ストーリー』(2017)です)

その映画は…… マイケル・チミノ監督が1978年に放ったベトナム戦争映画『ディア・ハンター』です!
新しい年に入って早々、こんな暗い映画でいいのかと思いつつも、4K修復版の文字につられて観に行きました。結果、やはり気持ちが「ず~ん……」となってしまいました。


ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外にある町、クレアトン。
ロシア系アメリカ人のマイケル(演:ロバート・デ・ニーロ)、ニック(演:クリストファー・ウォーケン)、スティーヴン(演:ジョン・サヴェージ)、スタン(ジョン・カザール)、アクセル(チャック・アスペグレン)、ジョン(ジョージ・ズンザ)は、この町の製鉄所で働いており、休日には鹿狩りへ赴く仲の良いグループ。
そんな彼らにもベトナム戦争の波が押し寄せ、マイケル、ニック、スティーヴンが徴兵される。
北ベトナム兵らの捕虜となり、捕虜同士で行われるロシアンルーレットの賭け事に強制参加される3人。
この出来事が、後の彼らの人生を大きく狂わせる事となる……



本作を初めて観たのは4~5年前、京都みなみ会館によるオールナイト企画「マイケル・チミノ ナイト」の時でした。
それまでは、名前は知っていたものの(品質の良いDVDが出回っていなかったというのもあり)観ていなかったのです。
同時に上映された『天国の門』(1980)はデジタル修復版による美しい画面でした。
対して、『ディア・ハンター』は経年劣化したフィルムによる上映でした。
このフィルム上映も貴重極まりないものだったので感謝の念でいっぱいなのですが、フィルム傷は多い&画面が暗いために、映画の感触がとても生々しく感じられ、ただでさえ暗い内容の映画がより一層暗くなり、僕のトラウマ映画となってしまいました。
もう大学も卒業する頃だったというのに。

しかし今回見直して、やはりトラウマになるだけあるなぁとしみじみ観ていました。
「ロシアン・ルーレットの出てくる映画」と聞かれて真っ先に挙がるであろう本作は、なるほど凄まじい迫力。
マイケルたちが強制的に参加させられる賭けロシアン・ルーレットの描写は、本当にじわじわと嫌~な気分にさせてくれます。
圧倒的な恐怖、絶望、緊迫感……


この一連の「地獄のベトナム」がここまで効くのは映画の前半、つまり結婚式&壮行会のシーンがあるからでしょう。
正確な時間計測をしていないので分からないのですが、少なくとも映画が始まって1時間は、グループの一人であるスティーヴンの結婚式、それと兼ねて行われるマイケル、ニック、新郎スティーヴンの壮行会の模様が延々と描写されます。
以前オールナイトで観た時は「まだ続くのか」と思えるほど長く感じられたシーン、久々に観てどうだったか…… やはり長い。
6人の仲の良さや、密かにニックが想っている女性リンダ(演;メリル・ストリープ。若く、綺麗で、可愛らしい!)とのやり取りなどが描かれるワケですが、印象に残るのはダンス。

結婚式シーンの半分がダンスシーンじゃないの、と思ってしまうくらいにみんな踊っています。
しかしこの長い長い結婚式がある事によって、後のシーンに効いてくる。
ベトナムで地獄を体験した後のマイケルたちの有り様を観ていると、
「嗚呼、あの時はみんな笑い合っていたのに……」と悲しくなってきます。

後の超大作『天国の門』でも長すぎるダンスシーンがあり、その後大きな悲劇が主人公たちを襲うのですが、物語のバランス的に上手く作用していなかったような気がします。
『ディア・ハンター』の場合は、失敗すれすれのところで奇跡的に成り立っていると言っても過言ではないでしょう。



グループのリーダー的存在であり、鹿狩りの名手、ベトナムでも戦争の理不尽さに発狂しそうになった友人たちを鼓舞し続けたマイケルも、戦争から帰って来てからは寡黙になり、鹿を撃つ事も出来なくなってしまいます。
「俺はどうしちまったんだ」と分かりやすく自問したりするのではなく、鹿を、他者を見つめる眼差しで己の変化を観客に伝えるデ・ニーロの演技は流石の上手さです。


そして何と言っても、ニックを演じたクリストファー・ウォーケンですよ!
一回目を観た頃の彼の印象は「色んな映画に出ている上手い人」くらいの認識だったのですが、ある日『ゴッド・アーミー/悪の天使』(1995)での「死の天使ガブリエル」役を観て「スゴい色気だ!」と惚れてしまい。
そんなほの字で観てしまっているので、彼が序盤で魅せる笑顔が尊いこと……

後半からの彼を観る度に「嗚呼……」と溜め息ばかり。
演技も上手いし何とも言えない存在感だしで、まったく罪作りな人ですね、クリストファー・ウォーケンって俳優は!



なんだかラブレターみたいになってしまいましたが、話を戻して。

本作で重要なのは「主人公たちがロシア系アメリカ人であること」です。
この話を普通のアメリカ人の話としたら、序盤と最後に歌われる『ゴッド・ブレス・アメリカ』の意味合いがまるっきり変わってくるのです。
ベトナム戦争というアメリカが仕掛けた大規模な、しかも無意味な戦争は、移民である主人公たちをも巻き込み、他の多くの兵士と同様に、かつての平穏な日々を取り戻すことが出来ないくらいに心を破壊させます。
この映画でよく受ける批判として「加害者であるアメリカ側が被害者面をしている」という意見があります。

確かに、マイケルたちを「ただの」アメリカ人として見るならば、そう見えなくもないでしょう。
しかし、彼らはロシア系アメリカ人なのです。アメリカが戦った北ベトナムの背後にいた国家、それはロシアです。自分たちの真の故郷たるロシアと(冷戦という形ではあるものの)戦うことになり、ある者は精神を病み、ある者は死に行くのです。


なるほど、壮行会の際に歌われる『ゴッド・ブレス・アメリカ』は、現在アメリカに住むマイケルたちを、これからアメリカのために頑張って来いと鼓舞する意味で歌われたものでしょう。
しかし、ある者の死を通して最後に歌われる『ゴッド~』は、果たして同じような意味合いでしょうか?
僕には最後の歌の場面は、皮肉な運命に翻弄されたマイノリティーたちによる悲しみの象徴として見えました。
祖先たちが夢見てやってきた自由の国アメリカ。子孫である自分たちの運命を粉々にした国アメリカ。しかし此処しか彼らの帰る場所はない、そのやりきれなさ、悔しさ、悲しみ。それがあの歌に表れてはいないかと。



後の『天国の門』『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(1985)、もっと言えば監督デビュー作である『サンダーボルト』(1973)でも、マイケル・チミノはマイノリティーの悲しさをテーマとしていました。
彼が何故そこまで「彼ら」の存在を描き続けたのか、僕はまだ分かりません。
彼が遺した映画たちを観続ける事で、その疑問を考えていきたいと思います……



イラスト:城間典子

※今回の挿絵は、映画のクライマックス部分。
どんな絵を描いてくれるのかは僕も分からないので、今回の絵には「ほおっ!」と驚きました。
なんせ『ディア・ハンター』と言えば、猟銃を持ったデ・ニーロとかロシアン・ルーレットしてる時のウォーケンの写真とかが有名ですから。そういう「アップの画」を描くのかと思っていたのです。
しかしながら、この絵も、映画が映し出す「逃れられない地獄っぷり」を見事に捉えてるなぁ~と思います。
(シロート評論家か、あんたは)

2017年12月31日日曜日

第6回 どこまでも独りぼっち。『鉄砲玉の美学』の寂しさ。

 
今年も、もう残り僅か。
皆様は、初日の出を拝みに近くの山へ登ったりするのでしょうか。僕はおそらく、寝正月ですが!
地元に帰省し、初詣をする際に少し山を登るのですが、僕が山登りなんて言ったらそれくらい……やなぁ。

さぁ、気分を変えて!
山の出てくる映画で印象深かったのは、先日惜しくも亡くなった渡瀬恒彦主演の『鉄砲玉の美学』(1973)。
監督は、深作欣二や鈴木則文らと共に70年代の東映映画をリードした中島貞夫。
渡瀬とのコンビで撮った『狂った野獣』(1976)は、邦画屈指のカーチェイス映画だった。
普段は東映でバリバリ活躍している二人だが、この映画は日本アート・シアター・ギルド(ATG)で作られたもの。
低予算による製作スタイルは「1千万円映画」と言われながらも、映画会社からフリーになった監督(大島渚や吉田喜重)や新進気鋭の監督(黒木和雄や実相寺昭雄、寺山修司など)たちが、それぞれ自分の作りたい映画を作った。
この『鉄砲玉の美学』はATGの低予算で作られたものではあるが、キャストやスタッフはいつもの東映の面々。
なので普段作られていた東映の映画と比較してしまいがちだが、ヤクザをヒロイックに描く事が様式化していた当時の東映では作られなかったであろう、アンチテーゼの映画であった。

ウサギの路上販売をしながらブラブラと日々を過ごしているチンピラ、小池清(演:渡瀬恒彦)。
そんな彼はある日、九州進出を目論む天佑会が送り込む鉄砲玉として指名される。自由に使える100万円と拳銃を手渡されて。
宮崎県に飛んだ清のやるべき事は、地元のヤクザたちの縄張りで暴れ回り抗争のきっかけを作るというもの。
しかし派手に遊び回っても、喧嘩になるほど彼はまだヤクザになりきれない。地元のヤクザ南竜会も、事を荒立てようとしてこない。
逆に南竜会から送られてきたチンピラ(演:川谷拓三)に命を狙われたりするものの、清は彼を殺す事も出来ない。
彼はただひたすら、南竜会の杉町(演:小池朝雄)の情婦である潤子(演:杉本美樹)と情交にふける日々を過ごすのだった。
そんな中、南竜会が関東の組織のバックアップを受けたと知り、天佑会は九州進出を取り止めることに。
いよいよ用済みとなった清は、潤子から聞いた霧島に行こうとするが、彼女の姿も消えていた……

もしこの作品が東映で作られていたとしたら、小池清はうだつのあがらないチンピラながらも鉄砲玉として派手に暴れ回り、華々しい散り様を見せたかもしれない。しかし中島監督はわざわざATGという不慣れなグラウンドで、男の惚れるヒロイズムやアナキズムを一切纏わせず、徹底して「何でもない男」として小池清を描いた。

売れないウサギに必要以上の餌を与えずに「一にガマン、二にガマン。三四がなくて五にガマンや」とうそぶきながら、八百屋で拾った野菜くずを焼きそばにして食べる清。如何にくすぶった日々を過ごしているのかと分かる、良いシーンだ。
ウサギも清も、外へ弾ける(ウサギの場合は買われる、清の場合はヤクザとして認められる)瞬間を今か今かと待っている者同士に見えてくる。しかし彼らは、今までずっと外から目を向けられていなかった。
そんな時にかかった声に意気揚々とする清。
一緒に同居していた女とウサギを残して、一丁前にスーツを着込み、貰った拳銃に惚れ惚れする。
鏡の前で「ワイは天佑会の小池清や……」と何度もつぶやく様子は、『タクシー・ドライバー』(1976)よりも3年早く「ボンクラが急に力を手に入れて自分に酔うシーン」として描かれている。こういう男は、全世界共通だなぁ。
『タクシー・ドライバー』のトラヴィスは児童売春の娼婦として働いていたジョディ・フォスターを救う事で最終的に世間に認められるが、清はただの使い捨て役。彼が宮崎で暴れたとしても、それを評価する者は誰もいない。
鉄砲玉としての活躍も見込めず、ただ一時の快楽に耽る清。
それが永遠ではないと分かっていても、そこにすがるしか自分を保てない歯がゆさ。
自分に気があると思っていた女はふいと姿を消し、かつて同居していた女がやって来て、また一緒にいてあげると優しくかける言葉を拒絶してしまう。
どこで自分は間違ったのだろう。誰にこの気持ちをぶつけられるだろう。
彼は24歳の誕生日を誰にも祝ってもらう事なく、ちっぽけな、あまりにちっぽけな最期を遂げる。
オープニングの『ふざけるんじゃねえよ』をはじめ、要所要所で流れる頭脳警察の曲も、この映画では一介のチンピラによる、誰にも聞こえることのない遠吠えのように聞こえてくる。
憧れの霧島。彼にとって霧島とは何だったのだろう。





*清を鉄砲玉として利用する天佑会のお偉方や他のヤクザたちの会話シーンが映画では直接描かれることなく、画面外からの声として流れる。明らかに会合シーンを撮るほどの予算が無いためであるが、かえって「主人公の知らない水面下で、何もかも計画されているのだ」というやるせなさ、狡さが表れているようで、こういう表現もありだな、と思った次第。

**
というわけで、今年の『映画、めくるめく冒険』は終了です。
今年最後の映画紹介が今作で良かったんかなとは思ってしまっても、否、やっぱり良いんです!
更新頻度が月イチという、凄~く亀の歩みなブログでありますが、どうか皆様、長~い目で当ブログを、来年からも応援していただきたく思います。
それでは、良いお年を~!

イラスト:城間典子