2023年7月18日火曜日

映画きらきら星 第1回『ダウン・バイ・ロー』

こんばんは!

突然ですが… 僕のブログ更新頻度がなかなか遅い&一回の投稿量が多いため、「サクッと気負わずに書いてみよう!」と、ミニレビューもやっていく事にしました。

題して、映画きらきら星。

星の数ほどもある大好きな映画たち、一つでも多く紹介して観てもらえるキッカケになれば… という思いで頑張ります!

今回はその第一弾。大好きな監督の偏愛する作品をご紹介。

 

『ダウン・バイ・ロー』(1986年 監督:ジム・ジャームッシュ)

刑務所で一緒になったザック(演:トム・ウェイツ)ジャック(演:ジョン・ルーリー)ロベルト(演:ロベルト・ベニーニ)3人が、脱獄をしてすったもんだの珍道中。

 

ここが見所:

本作で初めてジャームッシュと組んだロビー・ミューラーの撮影。モノクロ画面が4050年代のフィルムノワールのような雰囲気で撮られていて、とってもクール!

トム・ウェイツの「Jockey Full Of Bourbon」をバックに数々の風景が映し出されるオープニングの格好良さに、掴みはバッチリ!

そして脱獄映画をパロディ化したような、どこかズレた感覚。脱獄自体はアッサリと成功するわ、逃亡の様子も次第に呑気な感じになっていくわで、独特のユルユル具合がクセになる!

当時、本業が俳優でなかった主演3人のアンサンブルも必見。みんな気取った体を醸し出すのが上手い!

ジャームッシュは、時に当て書きしてるのか?と思うくらいに演者とキャラクターが調和させてきますね。

ちょいとカッコよくて、適度に可笑しく、そしてホッコリする不思議なロードムービー。

それが『ダウン・バイ・ロー』なのです。

 

イラスト:岩佐悠毅

映画きらきら星では、いつもの城間さんのイラストではなく、僕の描いた場面イラストを載せていきます。新しいチャレンジを2つも!

人前に出すイラストなんて普段描かない&昔から絵が下手っぴなので恐れ多いのですが、ドウゾヨロシクオネガイシマス…。

2023年7月2日日曜日

第23回 夏だ、夏休みだ、『河童のクゥと夏休み』だ!

こんにちは!

梅雨だ梅雨だと言ってあまり降ってないゾと思っていたら、一週間まるまる雨続き…なんて週がようやく現れて、梅雨らしさを感じている今日この頃。これが終わると、いよいよ暑い暑い夏の到来、そして子どもにとっては楽しみな、親にとっては大変な夏休みももうすぐです。

今回のめくるめく冒険は、来たる夏休みにピッタリの映画、『河童のクゥと夏休み』をご紹介します。

『河童のクゥと夏休み』(2007年 監督:原恵一)


監督は、言わずもがなの大傑作『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001)『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』(2002)など「泣けるしんちゃん映画」を作った原恵一さん。

本作は原さん(監督より「さん」付けで呼びたくなる)がクレしんシリーズを離れて初めての劇場映画ということで、当時けっこう話題になっていました。

 

夏休み前のある日、小学五年生の少年・上原康一(声:横川貴大)は河原で不思議な石を拾う。

その石の中には、江戸時代より地割れに巻き込まれ仮死状態となっていた河童の子ども、クゥ(声:冨澤風斗)がいた。

最初は不気味がる上原家であったが、周囲に気づかれないようにクゥと暮らしていくなかで、だんだんと親しくなっていく…。

 

当時CMでは「俺(クゥ)と康一との、ひと夏の冒険だ!」みたいな冒険ファンタジー映画風の宣伝が行われていました。

間違いではないんですが、いい意味でもっと地味な感じ… なんですよねぇ。

本作は日常の中にやって来た「非日常」との日々を、あくまで日常のペースで、地味~に丁寧に描いています。

そのためか初見時は「河童の子どもを主人公としたホームドラマを観た」という印象でしたが、それは物語のみならず、内容に即したリアル志向な演出の緻密さでもって、アニメチックなファンタジーを完成させている事に対しての驚きだったのでしょう。

写実的なファンタジー、僕はそれを原イズムと呼んでいます。

 

例えばファーストシーン。江戸時代の夜、川の土手でクゥとクゥのお父ちゃんがジッとしている幕開け。

明るいのは蛍の光くらいで、全身像や周りの風景をハッキリと確認するほどに画面は明るくありません。人口の光なんてない当時の夜の暗さを「みんなに見えるように調節しよう」ではなく「当時の暗さをそのまま映してみよう」と決断して、このような画作りにしたそうです。

これは「分かりやすさ」が優先される現代において、なかなかチャレンジングな試みです。

しかしファーストシーンのこの試みがあるために、本作が「他とはちょっと違うかも?」と思わせます。

ところ変わって現代、舞台となる東久留米の梅雨らしいジメジメした風景を歩く子どもたち。ここでも東久留米市の風景が、実に写実的であります。

それまで原さんが担当してきたTVアニメ『エスパー魔美』『クレヨンしんちゃん』といった、日常描写をメインとした作品で培われた演出方法が本作で活きています。

人物たちが暮らす舞台を丹念に描くことによって、河童の子どもという異物が紛れ込む形になっても、ある種の説得力を持って迎えられるのです。

 

クゥが何かを食べる時のリアルさもミソ。魚を食べる時は一口でパクっではなくバリボリと美味しそうに食べるのですが、食べられた魚の臓物や骨の出具合なんかもキチンと描いており「食べる」というよりも「食らう」という表現がピッタリ。これ見よがしに描かず「まぁこういう食べ方になるよね」的な、ある種サラッと描写してみせる辺り、原イズムしてます。

極めつけは、ひーちゃんが持って帰ったカタツムリを食べるシーン。手に取って一瞥したかと思うと直ぐにチュ~っとカタツムリを吸い込むようにして食べてしまうのですから、ひーちゃんでなくとも面食らってしまいます。

このような生々しい描写により、クゥが単に可愛らしいキャラクターじゃなく、一匹の生き物なのだと再確認させられるのです。

リアルと言えば、登場人物たちも極端なデフォルメなどせず「普通の人々」として描かれます。

康一とお父さんはクゥに興味津々で受け入れるのも早いけれど、お母さんと妹の瞳(ひーちゃん)は慎重気味。

ひーちゃんに至っては、末っ子で可愛がられてきた立場がクゥに取って代わられやしないかという心境か、意地悪したり乱暴な物言いをしたりします。これは誉め言葉なのですが、ひーちゃんの可愛くなさと子どもあるあるっぷりは見事だな、と思います。

普通だったら、もっと可愛く描こうとしますもの!

彼女がクゥと過ごすことにどう折り合いをつけていくのかも、絶妙なラインで描いていますよ。

上原家に飼われていて、クゥにとっては人間界を知る先輩格として登場する犬のオッサンも、良い味出してます。よきアドバイザーでありキューピット()でもある彼の存在は、クゥにとっても心の拠り所である様子。

そして、学校でいじめの対象になっている菊池紗代子。康一にとって若干気になる存在だけど近づきがたい雰囲気を持っていた彼女も、クゥをキッカケとして少しずつやり取りをしていくようになります。クゥだけでなく彼女との交流を通して、康一は夏休み以前とは違う彼に変わるのです。

 

家族それぞれの反応や心境の変化、交流をじっくり描くのと同時に、クゥを軸としてクラスメイトとの確執、マスコミや野次馬の追求といった物語の展開もあります。

特にクゥの存在が知られるようになってからは、家の前に張り付くマスコミ連中や興味本位で群がる野次馬など、ジワジワと(クゥたちだけでなく観ている僕たちも)精神的に落ち着かなくなってきます。

一緒につるんでいた同級生たちも、クゥを見せてくれない康一が面白くなく仲間外れにしていきます。ふとした事でいじめが始まるこの感覚、わかります。

僕自身も中学の頃いじめにあったことがあり、キッカケなんて「なんかムカつく」くらいの小さな事でしたから。

クゥと上原家がTV出演するシーンでは人間の醜さや愚かさがこれでもか!と映されていくため、観ているこっちとしては「もう止めてくれよ~」と思うようになり、加えて一つの大きな別れのシーンもあって… つらい。

しかし本作は「誰それが悪役で、成敗または改心されて良かったね」といった分かりやすい、観やすい筋立ては用意していません。

そのまま、なのです。

マスコミ騒動の後に誰かがクゥたちに謝ったり、クラスメイトのいじめがハッキリとなくなったかと言えば、そうではありません。騒ぎが収まると、また何事もなかったかのような日々が始まるのです。

この白黒つけない感じも、実に原さんらしいと思いました。

現実はそう単純に割り切れるものではない。だけどこうして映画に映されたものを観て、それをどう感じるか、観客に問うている気がします。

 



上原家とクゥとの温かい交流だけでなく、人間のエゴも画面に映した原さん。

だからと言って「人間ってヤダな」で終わらず、そんな中でもいくつかの出会いと別れを体験した康一の小さな成長が、この映画の希望であると感じます。

つらい事も多いですが、家族みんなでご飯を食べた時や相撲を取った時。クゥと二人で河童の仲間探しに遠野へ行った時。

一生に一度だけの夏休みは、かけがえのない美しさでもって康一に、そして僕たちの心に深く刻まれ続けます。

日常動作や心の機微をしっかり描くことで「単なる消費物」に終わらせず何かの折に想いを馳せられる、そんな素敵なアニメ映画です。


挿絵:城間典子