2019年12月31日火曜日

第20回 ベスト10を作って2019年を振り返ろう。

皆さん、お久しぶりです。
このblog、とっくに忘れられていたと思われてた事でしょう。
なんせ最後の更新は4/30でしたから……

体たらく癖が思いっきり出てしまった……
すみません。
しかし、せめて一年を総括するベスト10だけは!
と、久々に投稿する次第です。
新旧問わず劇場で観た映画たちを、ランキングしていきます。

では早速、参りましょう!

10位 『バンブルビー』(2018 トラヴィス・ナイト)

マイケル・ベイ監督による実写トランスフォーマー・シリーズは実は1作目だけしか観ておらず、そんな自分が観ても良いのか……
と思いつつも「80年代の映画にオマージュを捧げている」「あの『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』(2016)の監督が手掛ける初実写映画」という前情報を聞いた日にゃ「うん、観てみねば!」となりました。 
結果は…… と~っても良く出来た娯楽大作でした。


主人公の成長っぷりとバンブルビーとの友情を上手いこと絡めており、なおかつベイの映画みたいに「画面の中で何が起きてるのかゴチャゴチャして分からん」という事もなく、とても観やすい映画でした。
スピルバーグ映画のように未知なるものとの接触を楽しく、かつドキドキするものとして描き、広々とした舞台に繰り広げられるドラマが、本作の爽やかさに見事にマッチしていました。
主人公たちがバンブルビーに乗ってドライブをする時、ティアーズ・フォー・フィアーズの「ルール・ザ・ワールド」が流れてくるというシーンが個人的にグッときましたねぇ。
80年代のヒット曲なので舞台設定が一発で分かるし、本作の雰囲気作りに一役買っていた選曲になっていたと思います。

9位 『羅小黒戦記』(2019 MTJJ)

京都市は出町柳にある映画館「出町座」で、とにかくプッシュされていた本作。
クリクリお目目の黒猫ちゃんが上の方を眺めているというポスターなので、可愛いなと思っても、一体どんな話なのか全然知らずに観たのです。
いやー、ぶったまげました。

可愛らしい妖精たちが沢山出てくるわ、可愛い見た目に反して凄まじいアクションシーンのつるべ打ちだわ、話の展開やキャラクターのデザインなど宮崎アニメみたいで親しみが持てるわで、「アニメのオイシイところ全部盛りだよ!」と言わんばかりのボリュームに大満足。
中国アニメのクオリティー、凄いですよ。これぞ一級の娯楽映画。
一部のミニシアターだけじゃなく、シネコンとかでバンバン上映して欲しいような映画です。
それだけ多くの人に観てもらいたい映画でした!



8位 『宝島』(2018 ギヨーム・ブラック)

『女っ気なし』(2011)『やさしい人』(2013)『7月の物語』(2017)などでフランス映画をささやかに元気にしている監督、ギヨーム・ブラックのバカンス映画です。バカンス映画って何ぞ?
これは「宝島」と称される大型のレジャー・アイランドをめぐる映画で、スタッフの会議やパトロール風景が映ったかと思えば、警備員の目を盗んで何とか園内に潜り込もうとする男の子たちの奮闘ぶりが映ったり、日向ぼっこしてるじいちゃんが語りだしたり、若者たちが橋の上から度胸試しのジャンプをしたりと「宝島」の中にいる人々の人間模様がパッチワークのように紡がれているのです。
映画を観ている間、カメラに映っている人々の振る舞いがあまりにも自然だったので「これってドキュメンタリー?」と感じていたのですが、それにしては様々な場所にカメラを置き、しかも被写体にカメラに映ることの抵抗感みたいなのがないな…… とも思いながら。

しかし。
この文章を書くために少し調べてみたところ、なんとカメラを160時間以上まわして膨大な素材を編集したものが、この『宝島』なんだそうで。

まごうことなきドキュメンタリー映画だったのです!
役者でもない一般の人々の自然な姿を、よくもまぁこんなに見事に切り取れたもんだと感心してしまいます。
単に皆が楽しんでいる姿ばかりでなく、遊びに来ている家族のお父さんがこれまでどんな境遇を過ごしてきた(この方は難民)とか、警備員のおじさんがこの「宝島」で働く事になった経緯など社会的な面もあって、この映画は非常に様々な顔を持っています。
早いところソフト化してもらって、時おり観返したい映画であります。

7位
『スパイダーマン:スパイダーバース』
(2018 ボブ・ペルシケッティ、ピーター・ラムジー、ロドニー・ロスマン)

サム・ライミ版スパイダーマン(2002~2007)と『スパイダーマン:ホームカミング』(2017)しかちゃんと観ていない体たらくな僕ですが、本作はとても楽しめました。こういう平行世界ものは、否応なしに燃えます。
これに近いものを思い返すと、現役ライダーを助けに来る先輩仮面ライダーたちとの共演回みたいなもんでしょうか。
(寄り道話。仮面ライダーたちの共演回は、先輩ライダーの声が違ってたりする事が多々あったにも関わらず、それでも結構燃えるのは何だったのでしょう。ウルトラマンたちは兄弟でよく集まってたってのもあるかな……)


映画こそ追いかけられてはいないものの、漫画の設定なんかはつまみ食いしているので、所々くすくす出来ました。生粋のスパイディ・ファンであれば、もっと楽しめたんでしょうが。
ところで本作は、庶民的なところから始まっているスパイダーマンを、もっと窓口を広くして観客に寄り添っている作品に見えました。
それすなわち、「誰でもヒーローになれるのだ」という事です。

スパイダーマンをスパイダーマンたらしめているのはクモ能力だけではなく、その力を授けられた人間が持つ勇気、責任。
そここそが、スパイダーマン、否、ヒーローに大事なことなのだと教えてくれます。
そして圧倒的な画面の密度、情報量!

とてもカラフルに彩られた超ポップなスパイディ・ワールド!
それを縦横無尽に飛び回る楽しさ、気持ちよさ!

これを大画面で観れたのは有難かった~。
ペニーちゃんも可愛かったしね!

(何のこっちゃと思う方は、是非とも本編を!)


6位 『屋根裏のポムネンカ』(2009 イジ―・バルタ)

高校生の頃、僕が初めて買った映画秘宝に本作を紹介している記事があり、ずっと観たかった映画でした。
上映の機会もそんなに無かったはずで、自分の中で幻の作品扱いだったのですが、京都みなみ会館でつい先日行われたチェコアニメ特集で遂に観ることが出来ました。
仲良く暮らしているポムネンカたちと悪の帝国との戦いが、とある家の屋根裏で行われるという話です。
いかにもお人形さんといった風情のポムネンカは可愛らしく、仲間たちもクマのぬいぐるみやマリオネット、ねんどの妖精など様々。
反対に悪の帝国のボスは銅像で、奇怪な虫や蛇のようにキョロキョロ動き回る目玉など、なかなかに不気味です。
しかしこの不気味さがチェコアニメの醍醐味といった感じで、たまりませんね。
本作は人形アニメで手作り感溢れており、むかし自分たちがおもちゃで遊んだときのような感覚を呼び起こしてくれます。
僕が観に行った時、2組ほど親子が来ていました。彼らは楽しんで観ていたようで、終わったとき「おもしろかったね」とお母さんに言っている女の子がいました。
映画って、いいもんですねぇ。



以上、10位から6位でした。
さぁ、続けて5位から1位だ!!

5位 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト』(1968 セルジオ・レオーネ)

タランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)のタイトル元ネタであるためか、突然リバイバル上映された本作。「昔々西部で……」という詩情に満ちたこのタイトルも勿論好きですが、大作感をででん!
と突きつけてくる旧邦題の『ウエスタン』も嫌いじゃないです。と言うか好き。
……というワケで、大好きなレオーネ映画の中でも特に好きな本作をシネコンの大スクリーンで観れたのは、ホントに感無量でした。
オープニングで汽車がやって来るまでの緊張感!

ヘンリー・フォンダやジェイソン・ロバーズが出てくる時のオペラのような演出!
ラストのブロンソンのとんでもアップ!
おかげで165分はあっという間。
多くを語らず画面で魅せるこの映画、「映画が好きで良かったなぁ」としみじみ思わずにはいられません。
レオーネ監督が僕らに遺してくれた、素晴らしい贈り物です。

4位 『細い目』(2004 ヤスミン・アフマド)

監督の没後10周年という事で出町座が特集を組んでいたので、たまたま観た映画です。一気に監督のファンになってしまいました。
舞台はマレーシア。
マレー人の女の子オーキッドと、中華系(華人)の男の子ジェイソンが恋に落ちて……
というボーイ・ミーツ・ガールものです。
ジェイソンくんは路上で海賊版VCDを売っているようなヤクザ者なので、オーキッドちゃんと仲良くなるのも苦労が絶えません。
その上、中華系であるジェイソンくんは、彼女の周りの友だちから「細い目」と揶揄されて良い思いをされていません。
2人の家族は、そんな子供たちを受け入れ、何とかこの恋が実るように温かく見守るのですが……

とにかく優しさに満ち溢れた映画です。登場人物たちが他の人に向ける優しさ、監督が登場人物に向ける優しさ。
しかし優しいだけでは、甘いだけの映画になってしまいます。
アフマド監督が偉いのは、この世界は優しさだけではなく厳しさもあるのだと、きちんと掲示するところです。
ジェイソンくんが生きる裏世界の恐ろしさ。中華系だからと言う事でいわれのない悪口を言われてしまう民族間の溝。
そんな厳しさを何とか乗り越えて心を通じ合わせようとする主役2人の姿は、とても健気で美しいです。
この手の恋愛映画では侯孝賢の『恋恋風塵』(1987)が大好きなのですが、
この『細い目』もそれに匹敵するくらい好きな映画になりました。一緒に『タレンタイム 優しい歌』(2009)も観まして、こちらも傑作でした。

この人の映画は普遍的なものを持っていますね。
もう新作が観られないという事実は、あまりに残酷すぎます……



3位 『視覚障害』(1986 フレデリック・ワイズマン)

新作『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』(2017)が公開されるタイミングに合わせてか、
京都・大阪・神戸の映画館たちでフレデリック・ワイズマンの大規模な特集上映が組まれました。
彼はドキュメンタリー映画史に多大な功績を残している人物にも関わらずほとんどDVD化されていないので、今回の上映は極めて有意義かつ貴重だったと思います。そんな中に観た一本。


本作は「聾・盲シリーズ」の一作目であり、この作品に続くものとして『聴覚障害』『適応と仕事』『多重障害』(いずれも1986年)があります。
今回僕は、本作と『聴覚障害』を観ることが出来ました。


アラバマ州立の総合養護施設の中にある盲学校が舞台で、施設の子供たちが勉強や訓練をする光景をナレーションやテロップによる説明なしで映していくという、いつものワイズマン流で魅せていきます。
テレビのドキュメンタリー番組の作りだとよく説明が入るワケですが、そうなると僕たち視聴者は「どこか別の話、特別な話」のように感じてしまいます。
ワイズマンは説明を省き、映したものを淡々と掲示する事によって、観客は映画の中に引き込まれていきます。
彼の映画の中に「入り込んでゆく」感覚に陥るのです。
ジョン・カサヴェテスの映画も、このタッチに非常に近いものを感じさせます。その秘密は何なのか……
テストの成績が良かったため下の階にいる先生に答案用紙を見せに行こうとする子供のシーンが序盤にあるのですが、ここが凄い。
おぼつかないながらも、壁や手すりに沿って廊下や階段を渡ってゆく少年。その模様をずーっとワンカットでカメラは追いかけます。
観客は少年の足取りに緊張しながらも、予想以上に器用に歩いてゆくその姿を見て「おおっ」とも思います。
この「緊張と驚き」は、カメラを回しっぱなしのワンカットだからこそ体感できるのでしょう。
編集の段階で所々切らずに丸々使う。
この大胆さこそが、「映画が持ちうる自由」なのだと思うのです。



2位 『ひいくんのあるく町』(2017 青柳拓)

出町座は先日2周年目に突入したのですが、この映画はオープンしたての頃から「公開予定」のリストに入っておりました。
今年の7月に一週間限定で上映され、一応気にはなっていたものの特に期待せずに観たのもあるかもしれませんが……
本当に素晴らしい映画でした。これが卒業制作で作られた映画と聞いた日にゃ、ビックリです!


物語は監督の故郷、山梨県市川大門の町並みを日々歩き回っている謎のおじさん、ひいくんを追いかけるところから始まります。
障がい者の自立施設に通っているひいくんは、空いている時間で町を歩き回り、みんなのお手伝いをしています。
なので町のみんなにとって、ひいくんは誰もが知っている有名人。
一方、青柳監督の伯父さんは、かつて電気店を営んでいました。が、脳出血を患い認知症も併発しリハビリ生活を送っています。
伯父さんはカメラが趣味で、ずっと市川大門の風景を撮影していました。
そこには、賑っていた町や幼いひいくんや監督の姿が映っていました。

過去と現在が、つながり始めたのです。

自分たちの住んでいる町は、かつての賑わいある町とは変わってきているけれど、ひいくんが歩くことで、おじさんが写真を撮ることで様々な人々の記憶に残り続けています。そしてその記憶が、人と人のつながりが、映画というマジックで一つになります。
特別何かがあるワケでもない町。

でも、そこに住んでいる小さな声に耳を傾けてみると、自分の知らない町の歴史が浮かび上がってくる。
ささやかな記憶だからこそ、映画となって映し出されるとき、そのかけがえのなさにグッときます。
映画って、こんな素敵な奇跡をも生み出してくれるんですね。



さぁ、2019年の岩佐悠毅的第1位は……
1位 『カーマイン・ストリート・ギター』(2018 ロン・マン)

今年の1位はコレです!
いや~、こんなに豊かな時間を過ごせた映画はなかったです。早くディスク欲しいっすね!

ニューヨーク州グリニッジ・ヴィレッジに、ニューヨークの建物の廃材を使ってギターを作るという
お店『カーマイン・ストリート・ギター』があります。
パソコンも携帯も持たないギター職人のリック、パンキッシュな装いの見習いシンディ、
そしてリックの母親の3人が、このギター・ショップの店員たち。
この風変わりかつ魅力的なお店には、様々なミュージシャンたちが訪れる……


黙々と作業するリック。出来たばかりの新作ギターをインスタに投稿するシンディ、掃除をしているお母さん。
映画の出だしからしてスローペース。

そしてカメラもどっしりと構えて、店内に漂う落ち着いた雰囲気を切り取っています。
ミュージシャンたちは店の評判を聞きつけてやって来ます。

リックと雑談したり、彼の作ったギターを弾いている時の彼らはとても幸せそう。
変わりゆく街並みに、変わらないお店と、その人々。
この映画は、そんな彼らのささやかな歴史を映した素敵な映画です。
まるでギター版『コーヒー&シガレッツ』(2003)のような味わいです。
そうそう、この映画はミュージシャンとしてジム・ジャームッシュ監督も登場します。
虫に食われた木の内部を見せて「脳みそみたいだろ」なんて談笑してましたよ。




というのが、今年のベスト10でした!
ドキュメンタリー多いな……

意識したワケではないんですが、感銘を受けた映画を並べるとこうなっちゃいました!
僕自身ビックリしています。


今回ベスト10には入らなかったものの、劇場で観て面白かった、良かった映画たちがまだあります。
10本一気にご紹介~。

『AK ドキュメント黒澤明』(1985 クリス・マルケル)
『きみと、波にのれたら』(2019 湯浅政明)
『恐怖の報酬』(1977 ウィリアム・フリードキン)
『グロリア』(1980 ジョン・カサヴェテス)
『COLD WAR あの歌、2つの心』(2018 パヴェウ・パヴリコフスキ)
『シシリアン・ゴースト・ストーリー』(2017 ファビオ・グラッサドニア、アントニオ・ピアッツァ)
『魂のゆくえ』(2018 ポール・シュレイダー)
『ノーザン・ソウル』(2014 エレイン・コンスタンティン)
『パンク侍、斬られて候』(2018 石井岳龍)


『グロリア』は自宅で何度観たか分からないくらい大好きな映画。
シネマ神戸という映画館で『恐怖の報酬』と2本立てだったので行ってきました。
大きな画面で何とも贅沢な2本立てをしてきました。
実は『バンブルビー』と『スパイダーバース』も、シネマ神戸さんで観てきたのです。
素晴らしい映画館で、すっかりファンになってしまいました。

『突撃!博多愚連隊』(1978)や『狂い咲きサンダーロード』(1980)の石井聰亙監督が、石井岳龍と改名してからはピンと来る映画がなくてイマイチだな…… 

と思っていたら『パンク侍』なるトンでもない爆弾をぶちかましていたんですね。これは快作でした!
『魂のゆくえ』は、いずれ本blogで取りあげたい映画です。色々と思うところありだったので。


さてさて。
『イエスタデイ』(2019 ダニー・ボイル)

『幸福路のチー』(2017 ソン・シンイン)
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』(2019 片渕須直)
『象は静かに座っている』(2018 フー・ボー)
『ラストムービー』(1971 デニス・ホッパー)
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019 クエンティン・タランティーノ)

等々を来年に持ち越して、今年は終わりたいと思います。
これらを持ち越しちゃマズいだろってのは、本人が一番わかってるので突っ込まないこと。
それにしても……

久しぶりに映画の紹介記事を書くと自分で「ああ、なんか腕落ちてないかぁ?」なんて思ってしまいますね。
やはり継続は力なり。

続けることで書く腕も磨かれていくんですよね。
来年はもっと更新できるように頑張りますので、どうか見捨てないでやってくださいね……

それでは、来年もどうぞよろしくお願いします!

イラスト:城間典子

2019年4月30日火曜日

第19回 平成最後の映画紹介は、絶対『ぐるりのこと。』にしようと決めていた。

{はじめに}
この文章は、2015年12月30日発行(こんな年末に最初の号を発行していたんですねぇ……)の『taomoiya雑文集』に掲載された『映画、めくるめく冒険』第1回の文章を再録したもので、ほんの少しの加筆・修正を加えたものです。



こんばんは!
新年度を迎えただけでなく、いよいよ平成があと数時間で終わるという今日!
いかがお過ごしでしょうか?
僕は相変わらず映画の鑑賞本数が少なく(でも、映画館には向かうようにしている…… しているんですよ!)、かと言って読書がメチャはかどっているワケでもない、タンジェリン・ドリームの音楽を改めて聞いて惚れ惚れしたり、ガンダムのポケ戦を観たので次は08小隊を観ようとしている日々です。
戦隊ものなら、五星戦隊ダイレンジャーが気になって見始めたら予想以上のジェットコースター展開に面食らっております。
……誰も聞いとらんっての。


ここ最近観た映画で面白かったのは、DVDで観たキャスリン・ビグロー監督の(単独での)監督デビュー作『ニア・ダーク/月夜の出来事』(1987)でした。
実は以前にも観ている作品で、ふとした時に観返したくなる映画なんです。
自分的に「オイシイ」と思っているポイントをことごとく押さえていて、たまらんのです。
(いつか紹介したい)

 

さて、今回紹介する映画は、橋口亮輔監督『ぐるりのこと。』(2008)です。
この映画、僕が邦画で一番好きな映画だったりします。
一番好きな邦画なので、以前taomoiya雑文集で映画レビュー連載をした時も、一番最初に取り上げました。
それくらい僕にとって本作は大事な映画なのですが、その魅力がちっとでも伝われば良いなぁと思いながら、その記事を再録したいと思います。
映画の内容も、90年代が終わって2000年代に突入していく話なので、平成から令和への移り変わりという節目に良いかな、と思いまして。
(再録記事のため、文章の書き方が「です・ます調」ではなく「である調」です。悪しからず)

 


この映画は、翔子(演:木村多江)とカナオ(演:リリー・フランキー)という一組の「何があっても絶対に別れない夫婦」の生活を、1993年から2001年までの約10年という時間をかけて描いている。
この約10年の間には、20世紀が終わろうとしているにもかかわらず(いや、だからなのかもしれない)、オウム真理教による地下鉄サリン事件や宮崎勤の幼女連続誘拐殺人事件、9・11テロなど陰惨な事件が相次いだ。
この映画の中でも、それらの事件が数々の裁判シーンによって(ある種のデフォルメを施されて)描かれる。
カナオは法廷画家であり、事件の当事者たちを目の当たりにしていく。
 

ここで興味深いのは、カナオが単なる観察者であるところだ。
彼は犯罪者たちを見て怒りに駆られるでもなく、淡々と法廷画の対象として彼らを描く。
この淡々と、という表現はカナオの翔子に対する態度でもあるし、映画のテンポでもあるし、何より橋口監督の目線である。
夫婦の周りで起こることをやたらドラマチックに見せたり、「平和なのにどこかネジが外れてきたような日本と日本人」に対し「これでいいのか!?」と声高に言う映画ではない。
そんなどこかおかしい日本で、それでも「淡々と」生きていく2人の物語なのだ。
俯瞰しているかのような目線だが、橋口監督が主役2人に向ける眼差しは限りなく優しい。

 

翔子は何事もきちんとしたい性格の、出版社に勤める女性。
母親や兄夫婦からは「あんな奴(飄々とした性格が災いしてか、翔子の家族らからはよく思われていないカナオである)とは別れた方が」と言われるものの、カナオとの生活が幸せだ。

2人は子供を授かっていた。
だが、生まれたばかりの子供は亡くなって(泣き崩れる2人や病院でのシーンがあるワケではなく、位牌と飴玉だけでそれを表現している。これぞ映画表現)しまう。
この頃から、彼女は心を病んでいく。

カナオに秘密で2人目の子供の中絶手術を受け、より深い罪悪感に追い詰められる。
そんな彼女がある台風の夜、ついにカナオに対し心のわだかまり、不安、恐れをぶつけ、取り乱す。
だがカナオは慌てず騒がず、彼女が殴りつけても咎めない。カナオは取り乱している彼女を受け入れる。


「どうして私と一緒にいるの?」と、翔子が泣きながら訊く。
「好きだから…… 好きだから一緒にいたいと思ってるよ」と、カナオは静かに言う。

この言葉に嘘はない。
不器用な2人だからこそ、この一連のシーンに胸を打たれる。
僕は、何度もこのシーンで救われた気がする。
(鼻水とちょっとエッチな話がこれに続いて、いかにもリリー・フランキーらしい自然さ&橋口監督らしい観察描写で素晴らしい)


ここがちょうど映画の半分ほどで、かつ一番の盛り上がりどころと言っていいだろう。
嵐の夜を乗り越えて、翔子はまた1人の人間として生き生きと動き出す。
天井画を描き始める翔子と、法廷画家の仕事を続けるカナオ。また2人に、幸せなリズムが息を吹き返していく。

この後も素晴らしいシーンと演技の連続なのだが、此処では割愛。
僕が書きたいのは「何があっても絶対に別れない夫婦」の事だ。
個人的な話で恐縮だが、この映画を観たとき「理想の夫婦だなぁ、こういう人になりたい」と思ったものだ。
不器用で世渡りが決して上手とは言えない2人。
しかし互いを信頼し、絆を深め合い暮らしていくことで、彼らが真に芯の強い人間なのだと分かる。
それは人間的な強さで在り、人が生きていくうえで必要なものだと僕は思う。

まず、相手を受け入れてみる。相手を観察する。
そこから、相手のみならず自分自身も見えてくるのではないだろうか。



リリー・フランキーは、この前にも映画に数本出演している
(演技&映画デビュー作は何と、キング・オブ・カルトな映画を連発した石井輝男の遺作『盲獣vs一寸法師』だ!)のだが、この『ぐるりのこと。』が本格的な映画出演作と言っていい(はず)。
今や人気俳優として活躍している彼だが、本作での演技は正直言って拙い(つまり本作以前の彼の演技は…… 推して知るべし)。
だが、その拙さはカナオの不器用さにきちんと繋がっているため違和感はない。
 


 橋口監督は『ぐるりのこと。』を「主役2人のドキュメンタリーを撮るつもりで臨んだ」と発言している。まさにその通り。
この映画は、基本的に長回しで人物の動きや会話をフレームに収めるのだが、その緊張感たるや。
最近の映画では日常の倦怠感や時間のダラダラしている様を映すために長回しを使っているが、
橋口監督の場合だと事態はそれほど甘くない。
彼が執拗なほど長回しを使うのは、人物たちがどのように他者と近づいてコミュニケーションをとるのか、どのように人は他者と距離を置いたりするのかという「観察者」である彼の性質、姿勢から来ているものだ。
時に冷たいその目線は我々観客を不安にさせるが、安心しよう。
彼はどんな絶望的な状況下に置かれている人物たちにも一抹の光を与えてくれる。


 

余談。
この映画でリリー・フランキーは演者として目覚め、役者として大成するきっかけを得たのだが、
それは翔子を演じた木村多江にとっても同じで、この映画で彼女は初めて主演した。それまでは脇役止まりだったのだ。
この役を演じた後も、ちょこちょこ主演しているものの、やはり脇役が多い。
妙に演者づいてきたリリー・フランキーばかりが主役・準主役級に出演し、木村多江のような女優を放っておく日本の映画界とは一体どれほど愚鈍であるのだろうか!

最後に、僕は「三大・夫婦もの映画」という、夫婦もの映画の中で特筆ものの3本を自己満足で選んでいる。1つは今回紹介した『ぐるりのこと。』で、あとの2つはジョン・カサヴェテス監督の『こわれゆく女』(1974)豊田四郎監督の『夫婦善哉』(1955)なのだが、いずれ紹介出来たらなぁと思う。



といった内容でした!
この後『こわれゆく女』は、雑文集で無事(?)紹介する事が出来ました。
しかし最後の『夫婦善哉』は紹介出来ておらずで、両作ともいつか紹介したいです。
では、令和を迎えても、細々と続けてゆく当blogを何卒よろしくお願いします。



イラスト:城間典子
(僕の映画レビューに初めて彼女の絵が載った、記念すべき一枚です。ここから始まったのかと思うと、感慨深いです。)

2019年3月1日金曜日

第18回 『ディア・ハンター』を新年早々の映画にしてしまった事のヤバさについて。

明けましておめでとうございます!
と言っても、既に年が明けて既に3月1日。忙しさにかまけていたらコレです。
僕は本当にblogを書くのに向いていないなぁ、締め切り間近じゃなきゃ描けない漫画家かよ!?
と突っ込んでしまう事しばしばです。
(まぁ今回は挿絵の城間さんも随分待たせてくれたもんですから…… ザ・言い訳タイム)
反省ついでに、この1~2月は全然映画を観れなかった…… 劇場だけでなく、自宅でのDVD鑑賞も。
ホントに、どうしちゃったんだ。自分。


と、反省してばかりでは埒が明かないので、新年に突入して劇場で3番目に観た映画について書こうと思います。
(ちなみに1番目と2番目は、地元大分で観た『マイ・プレシャス・リスト』(2016)『ア・ゴースト・ストーリー』(2017)です)

その映画は…… マイケル・チミノ監督が1978年に放ったベトナム戦争映画『ディア・ハンター』です!
新しい年に入って早々、こんな暗い映画でいいのかと思いつつも、4K修復版の文字につられて観に行きました。結果、やはり気持ちが「ず~ん……」となってしまいました。


ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外にある町、クレアトン。
ロシア系アメリカ人のマイケル(演:ロバート・デ・ニーロ)、ニック(演:クリストファー・ウォーケン)、スティーヴン(演:ジョン・サヴェージ)、スタン(ジョン・カザール)、アクセル(チャック・アスペグレン)、ジョン(ジョージ・ズンザ)は、この町の製鉄所で働いており、休日には鹿狩りへ赴く仲の良いグループ。
そんな彼らにもベトナム戦争の波が押し寄せ、マイケル、ニック、スティーヴンが徴兵される。
北ベトナム兵らの捕虜となり、捕虜同士で行われるロシアンルーレットの賭け事に強制参加される3人。
この出来事が、後の彼らの人生を大きく狂わせる事となる……



本作を初めて観たのは4~5年前、京都みなみ会館によるオールナイト企画「マイケル・チミノ ナイト」の時でした。
それまでは、名前は知っていたものの(品質の良いDVDが出回っていなかったというのもあり)観ていなかったのです。
同時に上映された『天国の門』(1980)はデジタル修復版による美しい画面でした。
対して、『ディア・ハンター』は経年劣化したフィルムによる上映でした。
このフィルム上映も貴重極まりないものだったので感謝の念でいっぱいなのですが、フィルム傷は多い&画面が暗いために、映画の感触がとても生々しく感じられ、ただでさえ暗い内容の映画がより一層暗くなり、僕のトラウマ映画となってしまいました。
もう大学も卒業する頃だったというのに。

しかし今回見直して、やはりトラウマになるだけあるなぁとしみじみ観ていました。
「ロシアン・ルーレットの出てくる映画」と聞かれて真っ先に挙がるであろう本作は、なるほど凄まじい迫力。
マイケルたちが強制的に参加させられる賭けロシアン・ルーレットの描写は、本当にじわじわと嫌~な気分にさせてくれます。
圧倒的な恐怖、絶望、緊迫感……


この一連の「地獄のベトナム」がここまで効くのは映画の前半、つまり結婚式&壮行会のシーンがあるからでしょう。
正確な時間計測をしていないので分からないのですが、少なくとも映画が始まって1時間は、グループの一人であるスティーヴンの結婚式、それと兼ねて行われるマイケル、ニック、新郎スティーヴンの壮行会の模様が延々と描写されます。
以前オールナイトで観た時は「まだ続くのか」と思えるほど長く感じられたシーン、久々に観てどうだったか…… やはり長い。
6人の仲の良さや、密かにニックが想っている女性リンダ(演;メリル・ストリープ。若く、綺麗で、可愛らしい!)とのやり取りなどが描かれるワケですが、印象に残るのはダンス。

結婚式シーンの半分がダンスシーンじゃないの、と思ってしまうくらいにみんな踊っています。
しかしこの長い長い結婚式がある事によって、後のシーンに効いてくる。
ベトナムで地獄を体験した後のマイケルたちの有り様を観ていると、
「嗚呼、あの時はみんな笑い合っていたのに……」と悲しくなってきます。

後の超大作『天国の門』でも長すぎるダンスシーンがあり、その後大きな悲劇が主人公たちを襲うのですが、物語のバランス的に上手く作用していなかったような気がします。
『ディア・ハンター』の場合は、失敗すれすれのところで奇跡的に成り立っていると言っても過言ではないでしょう。



グループのリーダー的存在であり、鹿狩りの名手、ベトナムでも戦争の理不尽さに発狂しそうになった友人たちを鼓舞し続けたマイケルも、戦争から帰って来てからは寡黙になり、鹿を撃つ事も出来なくなってしまいます。
「俺はどうしちまったんだ」と分かりやすく自問したりするのではなく、鹿を、他者を見つめる眼差しで己の変化を観客に伝えるデ・ニーロの演技は流石の上手さです。


そして何と言っても、ニックを演じたクリストファー・ウォーケンですよ!
一回目を観た頃の彼の印象は「色んな映画に出ている上手い人」くらいの認識だったのですが、ある日『ゴッド・アーミー/悪の天使』(1995)での「死の天使ガブリエル」役を観て「スゴい色気だ!」と惚れてしまい。
そんなほの字で観てしまっているので、彼が序盤で魅せる笑顔が尊いこと……

後半からの彼を観る度に「嗚呼……」と溜め息ばかり。
演技も上手いし何とも言えない存在感だしで、まったく罪作りな人ですね、クリストファー・ウォーケンって俳優は!



なんだかラブレターみたいになってしまいましたが、話を戻して。

本作で重要なのは「主人公たちがロシア系アメリカ人であること」です。
この話を普通のアメリカ人の話としたら、序盤と最後に歌われる『ゴッド・ブレス・アメリカ』の意味合いがまるっきり変わってくるのです。
ベトナム戦争というアメリカが仕掛けた大規模な、しかも無意味な戦争は、移民である主人公たちをも巻き込み、他の多くの兵士と同様に、かつての平穏な日々を取り戻すことが出来ないくらいに心を破壊させます。
この映画でよく受ける批判として「加害者であるアメリカ側が被害者面をしている」という意見があります。

確かに、マイケルたちを「ただの」アメリカ人として見るならば、そう見えなくもないでしょう。
しかし、彼らはロシア系アメリカ人なのです。アメリカが戦った北ベトナムの背後にいた国家、それはロシアです。自分たちの真の故郷たるロシアと(冷戦という形ではあるものの)戦うことになり、ある者は精神を病み、ある者は死に行くのです。


なるほど、壮行会の際に歌われる『ゴッド・ブレス・アメリカ』は、現在アメリカに住むマイケルたちを、これからアメリカのために頑張って来いと鼓舞する意味で歌われたものでしょう。
しかし、ある者の死を通して最後に歌われる『ゴッド~』は、果たして同じような意味合いでしょうか?
僕には最後の歌の場面は、皮肉な運命に翻弄されたマイノリティーたちによる悲しみの象徴として見えました。
祖先たちが夢見てやってきた自由の国アメリカ。子孫である自分たちの運命を粉々にした国アメリカ。しかし此処しか彼らの帰る場所はない、そのやりきれなさ、悔しさ、悲しみ。それがあの歌に表れてはいないかと。



後の『天国の門』『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(1985)、もっと言えば監督デビュー作である『サンダーボルト』(1973)でも、マイケル・チミノはマイノリティーの悲しさをテーマとしていました。
彼が何故そこまで「彼ら」の存在を描き続けたのか、僕はまだ分かりません。
彼が遺した映画たちを観続ける事で、その疑問を考えていきたいと思います……



イラスト:城間典子

※今回の挿絵は、映画のクライマックス部分。
どんな絵を描いてくれるのかは僕も分からないので、今回の絵には「ほおっ!」と驚きました。
なんせ『ディア・ハンター』と言えば、猟銃を持ったデ・ニーロとかロシアン・ルーレットしてる時のウォーケンの写真とかが有名ですから。そういう「アップの画」を描くのかと思っていたのです。
しかしながら、この絵も、映画が映し出す「逃れられない地獄っぷり」を見事に捉えてるなぁ~と思います。
(シロート評論家か、あんたは)