2023年10月1日日曜日

第26回 京都みなみ会館のこと

こんにちは!
2023年930日、京都市内にある一つの映画館が閉館しました。
その名は、京都みなみ会館。
京都シネマや出町座など、京都市にはいくつかミニシアターがありますが、その中でも個人的に多く通っていたのが本館でした。
今回は通常の映画レビューをお休みし、この映画館についての思い出を書き留めようと思います。

*思い出があり過ぎて、一つの記事にまとめるには多すぎる事が判明しました。
なので3つの記事に分ける事にして、連日投稿します!
先ず1回目は「京都みなみ会館の思い出」について。
2回目は「京都みなみ会館のオールナイト上映」
3回目は「京都みなみ会館で印象に残った映画たち」についてです!



2011年。京都造形芸術大学映画学科の学生になって、大分県から京都市にやって来た僕が感じたことは、地元に比べて「文化が多い」というものでした。
恵文社やガケ書房といった個性的な本屋、数多くのカフェと喫茶店、ビデオ1とビデオ・イン・アメリカという、置いている作品の豊かさが尋常じゃないレンタルビデオ屋、そして映画館。


あの頃は、京都シネマと京都みなみ会館の二強でした。
京都シネマは四条烏丸のビルにある映画館で、ミニシアターらしいラインナップが魅力の映画館。地下鉄でアクセスしやすいのもあってか、ご年配の方々も多い印象。スクリーンは大小合わせて3つありました。
対して東寺の近くにある京都みなみ会館、その外観に最初は驚きを隠せませんでした。
なぜなら、見た目がパチンコ屋みたいだったから!

館内は名画座みたいなロビーで、スクリーンは大きなのが一つだけ!
なんて潔いんだ!?
上映される作品もアクションやホラー、インディーズ系の映画が多く「取っつきやすいアングラ映画館」といった雰囲気でした。

みなみ会館で最初に観たのは何の映画だったか、さすがに記憶の彼方なのですが、過去の上映スケジュールを見ているとオールナイト企画「松田龍平ナイト」か、エレイン・メイ監督の『マイキー&ニッキー』(1976)辺りかなぁと思われます。
でも『マイキー~』は予告編を観た気もするので一発目ではないか…?
しかし、オールナイトを一発目にする度胸もなかった気が……?
よもやソフィア・コッポラの『SOMEWHERE(2010)ではあるまいて。
人の記憶とは、いい加減なものです。
今でこそ映画鑑賞ノートをつけているものの、この頃はまだ付けてなかったので記録に残っていませんでした。トホホ。


大学生の頃は烏丸今出川と鞍馬口の中間あたりに住んでいた事もあって、必ずと言っていいほど自転車で向かっていました。
若くて元気があったワケですが、今なら毎回とはいかなくともバスや地下鉄を駆使したでしょう。地元の高校に20分ほどかけて通学していたので、北白川にある大学へ行くのも苦ではありませんでした。
その延長線上に「みなみ会館へはチャリで」があったのだと思います。


みなみ会館の斜め向かいには「喫茶 一本木」というお店があり、映画の前後によく利用していました。
店内は古き良き喫茶店ですが、置かれてある小さなテレビにはミュート状態にした往年の映画が流れていて、トイレには映画関係のポスターやポストカードが貼ってありました。
みなみ会館が一旦閉館してからもお店は続いていたようですが、新みなみ会館になった時には閉店していました。
大好きだったハンバーグサンドを「もっと食べたかった」と悔やんでも、後の祭りなのです。

閉館だの新みなみだのと書きましたが、みなみ会館は建物の老朽化による取り壊し&移転工事のため、20183月に一旦閉館しているのです。
この頃、一応は社会人として生きていたので以前ほど通えておらず、そのニュースにビックリしつつもどこかに距離を感じていたのが正直なところです。
 

新しい京都みなみ会館が出来たのは、翌2019年の8月。
前の雰囲気とは一新して2階建てのモダンな建物、スクリーンも巨大なスクリーン12階に小さめのスクリーン23があり、新しい映画館が誕生したのだと胸躍らされました。
新みなみで最初に観た映画は、石井岳龍監督の『パンク侍、斬られて候』(2018)でした。
『狂い咲きサンダーロード』(1980)『爆裂都市』(1982)など、パンクな映画を撮る人として知られる石井聰互監督が石井岳龍と改名してからは、映画もどこか内省的になったような気がして追っかけていませんでした。
「オープニング上映に選ばれてるし、どんなもんかな」とエラソーな気持ちで観てみたら何とも愉快痛快な映画で、石井監督の事も見直しましたし、綾野剛、北川景子、渋川清彦、村上淳といった「苦手だなぁ」と感じていた俳優陣が素晴らしい!
映画って出会いの場だよなぁと、つくづく痛感した新みなみ会館デビューでした。
 
過去の上映分を見てみると、新みなみは20192020年にかけて、出来てから12年に多く行っていたようです。
仕事も忙しくなってくると間隔が空いてしまい、ここ最近では「映画館に行くこと」自体が「よしっ、行くぞっ」みたいな、何か気合を入れて向かう感じになってきている始末。
以前のように「映画館で何か観よ」と軽いノリではなくなってきていました。
 

ただ、何度か通ううちに近隣のお店を開拓したり付近を散歩する事も増えていきました。
決めてかかっているお店が無い場合、新しい冒険も出来るというもの。
そこで見つけたのが、喫茶Cizzol(キズール)
かつて一本木のあった場所に出来ており、ちょっと覗いたろくらいの気持ちで入ってみました。お洒落なカウンターの奥には、一組のテーブルと小さなテレビ。そこにはロバート・デ・ニーロが監督と主演を兼ねた『ブロンクス物語』(1993)が流れていました。
ん、なんかデジャブ…。でもメニューは全然違うしなぁと思っていると、何と店主さんは一本木の方でした。
一本木が閉店した後、建て替え工事をして2020年にオープンさせたそう。
かつての一本木を知っている身からすると、こんなに嬉しいサプライズはありません。
映画だけでなく、素敵なお店時間も見つけてしまいました。
 

しかし、新みなみがオープンしてから4年。
今度こそ本当に閉館するというお知らせを受け取った時は、驚いたと同時に、12年間の京都生活に一つのピリオドのようなものが打たれたような感覚になりました。
唖然茫然とはこの事で、この23年の事を思い返して「もっと行って観ておけばよかった」と後悔しきりでした。僕だけでない、他のみなみ会館ファンの方々もそう思ったでしょう。
7月には『バニシング・ポイント』(1971)『エリック・クラプトン アクロス24ナイツ』(2023)8月は『恐怖の報酬』(1977)『戦争のはらわた』(1977)に行ってきました。いずれも大好きな、そして大スクリーンで観たかった映画たちでした。感無量とはこの事です。
 
そして先日9/26()、京都みなみ会館で観る最後の映画に行ってきました。
『アザー・ミュージック』(2019)というドキュメンタリーで、店員にもお客にもアーティストにも愛された一軒のレコードショップが閉店するまでの様子を撮影した映画です。
映画そのものも音楽愛、お店愛に包まれた素晴らしい作品だったのですが、みなみ会館の状況とどうしてもダブってしまい……。映画上映後、館内のロビーや建物の正面写真を撮ろうとした時に「うっ」と抑えられなくなりました。
本当に終わってしまうという実感が、不意に押し寄せてきたのです。
最後に観るにはあまりにも寂しく、でも、だからこそ最後で良かったとも思える唯一無二の映画体験でした。
 
京都みなみ会館は1964年からスタートしており、場所を変えながらも約60年間、映画を上映し続けてきました。
僕がみなみ会館に触れたのは12年間。長い歴史からすると短いものですが、全体の6分の一ほど共に過ごしたんだと思うと、何だか前向きな気持ちになれました。
僕の京都生活は、そのまま京都みなみ会館と過ごした時間でもあります。
映画館そのものはなくなっても、記憶はいつまでも残り続け、語り継がれていきます。
「かつて、京都市内にこんな映画館があったんだ」と……。

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