2023年10月3日火曜日

第28回 京都みなみ会館で観た印象深い映画たちのこと

こんばんは!
2023年930日、京都市内にある一つの映画館が閉館しました。
その名は、京都みなみ会館。
京都シネマや出町座など京都市にはいくつかミニシアターがありますが、その中でも個人的に多く通っていたのが本館でした。
今回は通常の映画レビューをお休みし、この映画館についての思い出を書き留めようと思います。

*連続投稿の最終回は、京都みなみ会館で観てきた数多くの映画たちの中から、印象深かったものたちについて書いていこうと思います。
1回目に書いた「京都みなみ会館のこと」はコチラから。
2回目の「京都みなみ会館のオールナイトのこと」はコチラからご覧ください。
新旧みなみ会館の姿

2011年に観た映画たち

『マイキー&ニッキー』(1976年 エレイン・メイ)
俳優にしてインディーズ映画の父と言われたジョン・カサヴェテスの映画には、DVDでレンタルして既に心掴まれていました。本作は彼が盟友ピーター・フォーク(刑事コロンボの人)と出演した、異色のギャング映画です。派手なドンパチはなく、ひたすら夜の街中を走り抜ける二人の姿に、映画に身を委ねることの幸せを感じました。
オッサン二人がうろついて、飲み食いして、くっちゃべって、喧嘩する。たったそれだけの事が、どうしてこんなに切なくなるのか。それはきっと、誰にだって起こり得る事だから。
ジャンル映画の形を借りて人間普遍の姿をフィルムに焼き付けたエレイン監督は、素晴らしいなぁ。
本作については過去にレビュー記事を書いておりまして、良かったらコチラから見てみてください!
 

『天国の日々』(1976年 テレンス・マリック)
70年代アメリカ映画リバイバル企画により、ニュー・プリントのフィルム上映で観る事が出来ました。
大好きな映画でしたが、市販のDVDはちっとも綺麗な画質ではなかったため、大画面であの美しさを観れた事は映画人生で上位に来る感慨深さでした。
思い入れの深さも込みではありますが、マリック監督永遠のテーマである「人と自然が生きる事、人という生き物のちっぽけさ」をバランスよく見事に描いた作品は、やはり本作に尽きると思います。
 

『アンダーグラウンド』(1995年 エミール・クストリッツァ)
「映画を政治的に」とはゴダールが掲げたスローガン(のはず)ですが、本作のストレートっぷりは凄まじいものでした。政治から生まれた悲しみや怒りを賑やかな画面と音楽に乗せ、まるでお祭り騒ぎのように描いている!
戦争によって何を得られる?それ以上に何を失う?
現実に起こった事を寓話のように描き、強烈なメッセージと共に映画で届けた思いを、僕たちは今一度受け止めて現実と照らし合わせ考えていかなければなりません。
 

2012年に観た映画たち

『追悼のざわめき』(1988年 松井良彦)
邦画史におけるカルト映画の極北として、名前だけ記憶していた本作。それがデジタルリマスター版として上映されると聞いて、大学の友人と一緒に行きました。どんな恐ろしいものが映っているのかと思いきや、確かに描かれているものはタブーなものだらけ&現在だと通用しないだろうゲリラ撮影の数々でした。
しかし根底的なところは美しいものを観ているような、そんな気になっていました。
その上映回には松井監督のトークショーがあり、危なっかしい撮影の裏話も聞けました。
映画学科で映画制作を学んでいる身としてはタメになりましたが、さすがに真似は出来ません……。
観たのはその時の一回限りで忘れている箇所も多いので、今見返すと当時より驚いたり「げぇ~」となるかもしれませんが、それもまた映画との面白い再会だな、とも感じるのです。
 

『銀河鉄道の夜』(1985年 杉井ギサブロー)
他の映画を観に行く度に予告編が流れていた本作。ふ~ん止まりだったけど観に行ったのは、挿絵を担当しているパートナーの城間さんが先に鑑賞して「凄く良かったよ!」と勧めてくれたからでした。
そして観に行ったら…… 好きなアニメ映画のトップに躍り出ました。
こんなに静かで、神秘的で、美しくて、情熱的で、切ないアニメは観たことがありませんでした。
別役実による詩情をたたえた脚本。ますむらひろしによる「猫をキャラクターデザインにする」大胆さ。細野晴臣による身体の奥底にまで響いてきそうな美しい音楽。田中真弓、坂本千夏らによるキャラクターの「心」に寄り添った確かな演技。そしてそれらの要素をバラバラな印象にせず見事に紡ぎあげた、杉井ギサブローの演出力。
確か本作も、フィルムで観たような気がします。
フィルムで触れる暗闇は、どこまでも続くような魔力がありますね。
上映が終わって自転車での帰り道。地上の光であまり見えない真夏の星空を見上げながら想いを馳せたことは、言うまでもありません。
 

『一条さゆり 濡れた欲情』(1972年 神代辰巳)
『恋人たちは濡れた』(1973年 神代辰巳)
『㊙色情めす市場』(1974年 田中登)
『人妻集団暴行致死事件』(1978年 田中登)
『赫い髪の女』(1979年 神代辰巳)
『天使のはらわた 赤い教室』(1979年 曽根中生)

やくざ映画やポルノ映画を観る時って、何だか少し不良っぽい雰囲気を漂わせて行きませんか?
度々行われていたロマンポルノの特集に行く際、僕はいつもそんな感じでした。

神代監督の映画を観る時は物語云々よりも「神代節を観に行く」という感覚でいて、流動的なキャメラと男女の交わりに身を委ねていました。
一番好きな神代映画は『赫い髪の女』ですが、『恋人たちは濡れた』の美しい“運動”を映画館のスクリーンで観れた事は忘れられない体験です。
田中監督の場合は「きちんと物語を語っており、その中でハッとするようなイメージを持ち込む人」という印象。『めす市場』のゲリラ撮影による猥雑なリアリティーは、物語に重要だからこそ撮れた田中監督ならではの表現だと思いますし、『人妻集団~』での粗筋だけでは伝わらない映画の(若者たちの、と言っても良いか)躍動感と確かな描写は、たった一度の鑑賞にも関わらず今でもありありと思い出す事が出来ます(Blu-ray化かDVDの再版してくれー)
曽根監督は「映画を破壊しかねないアバンギャルドさを持った人」ですが、『赤い教室』で描かれた物語の情念と映像のねちっこさ(そして時にクールに突き放す)にはメガトン級の衝撃を受け、ショックこそ凄かったものの「凄い映画を観た」と場面を反芻しながら帰り道を歩いたものです。

*京都駅八条口の高架下には、ボロい雰囲気の天下一品があります。ロマンポルノを観た後にここでラーメンを食べると何だか昭和の時代にいるような感覚になって、誰にも共有されない満足感を得ていました。
ただ、現在は改装したのか以前より小綺麗になっていて、少し残念。
 

『惑星ソラリス』(1972年)
『鏡』(1975年)
『ノスタルジア』(1983年) 以上、監督:アンドレイ・タルコフスキー

特集上映で初めて触れた、ロシアの代表的映画監督であるタルコフスキーの映画たち。どれもウキウキして観たはずなのですが……。
ものの見事に寝てしまいました。DVDで再チャレンジしても寝落ちして、完走できたのは何度目のリベンジだったか。
しかし映画館で(不本意でなく)眠ることも、かけがえのない経験なのだとも思えました。
音楽を聴くように映画に身を浸すという例えが、この監督ほど似合う監督もいないのではないでしょうか。
 

『アレクサンダー大王』(1980年)
『霧の中の風景』(1988年)
『ユリシーズの瞳』(1995年)
『永遠と一日』(1998年) 以上、監督:テオ・アンゲロプロス

巖谷國士さんの映画本で名前を知ってから、観たかった監督の一人でした。
勇んで椅子にもたれかかると、いずれの作品も長尺で長回しが多く、またしても心地よい眠りに……。
しかし、どの映画にも忘れ難いショットやイメージがあり「ああ、この一つのショットだけでこの映画の事はずっと忘れないな…」と思ったものです。
時にシリアスで、時に(群衆のワチャワチャ具合が)ユーモラスに見えるアンゲロプロスの映画。
不慮の交通事故で亡くなってから11年になりますが、未だにショックが続いています。
 

2014年に観た映画たち

『野のなななのか』(2014年 大林宣彦)
『この空の花 長岡花火物語』(2012)から2年、長岡から北海道芦別を舞台に移した本作は、現在と過去が入り乱れ、個人史における戦争の悲惨さを描いた熱量の高い映画でした(大林映画は本作に限らず、いつだってエネルギーに満ちているんですけどね)
何故これが印象深いかと言うと、下世話な話ながら鑑賞中すさまじい腹痛と便意に襲われ、一刻も早くトイレに行きたかった映画体験だからなのです。
「トイレに行きたきゃ行けば良いじゃん」と言われると「ですね」としか答えようがないのですけど、やはり我慢できるものなら全編を目に焼き付けたいではありませんか!
171分ある内の何分くらいから行きたくなったのかな…… まだまだ中盤、といった辺りだったか。
よもや大林さんも、自分の映画でこんなにトイレを我慢されるとは思ってもいなかった事でしょう。
そんな大林さんも『海辺の映画館 キネマの玉手箱』(2020)を遺作として、彼岸の人となりました。
生きている時は最新作も「監督ってば、またこんな変な映画撮ってさ~」なんて冗談を言えたものですが、新作がない現在ではカオスの極み&ふざけ倒している旧作(『HOUSE ハウス』や『ねらわれた学園』など)すら、観ていると悲しくなってきます。
 

2019年に観た映画たち

『パンク侍、斬られて候』(2018年 石井岳龍)
2019年に移転オープンした新みなみ会館で、初めて観た映画です。
石井聰亙監督が石井岳龍に改名してからは、映画のノリが依然と変わっていて進んで観ていなかったのですが、試しに観てみるとコレが滅法面白い映画でビックリしたのでした。
綾野剛、北川景子、渋川清彦、村上淳、國村隼といった個人的に苦手な俳優陣(または「また出てるわ~」と見る度に思う人たち、とも言う)がスゴく良くて「撮る人次第で、俳優って魅力的に見えるもんだな~」と偉そうに感心してしまいました。
語り部だけかと思っていた永瀬正敏さんも、まさかあんな形で出てくる(いくら猿顔だからって)とは…… おふざけも極まれば芸術だ!
と言わんばかりの、痛快無比な映画でした。
パンク万歳!
 

『恐怖の報酬』(1977年 ウィリアム・フリードキン)
京都シネマで初鑑賞、シネマ神戸で2回目、新みなみ会館で3回目、そして今年(2023)7月に閉館のアナウンスを受け、同じく新みなみで4回目。この映画だけは、デカいスクリーンでかかっていると聞くと映画館へ足を向けちゃいます。
結末だって分かっているのに、それでも毎度ハラハラしてしまう。何度も観たクレジットなのに、いつも「カッコいいぜ!」と唸ってしまう(なぜか僕は、黒地にデカい白文字のタイトルクレジットが大好きなんです)
映画鑑賞って、単に「気になる映画を観に行く」時があったり「イベント的なノリで観に行く映画」の時もあります。
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)『シン・ゴジラ』(2016)『この世界の片隅に』(2016)といった一定数のファンがいる映画に起こるこの現象、僕にとっては本作がそれに該当するようなのです。
人物たちと一緒に崖っぷちを走り、吊り橋のシーンで運命のイタズラに驚愕・戦慄し、時折ホッと胸をなでおろす。大きなスクリーンで観るからこそ、こんな風に疑似体験的に映画を楽しめるんでしょうね。
 

『ラスト・ワルツ』(1976年 マーティン・スコセッシ)
数ある音楽ドキュメンタリーの中でもスコセッシ監督作品の中でも、トップに挙げちゃうくらい大好きな本作。
新みなみで上映される時点で既に出町座で上映されていましたが「やはりデカいスクリーンで観なきゃ!」というワケで行ってきました。
フィルムの味わいが良い意味で残っており、リマスター効果は言うほど感じなかったのが正直なところ。しかし「綺麗な画面で」よりも、「大きな画面&大音量で浴びるように鑑賞する事」が目的でしたから、大満足でした!
オープニングから涙ちょちょ切れ状態で、何度観てもジョニ・ミッチェルがカッコよくて、オイシイのはやっぱりボブ・ディランで、だけどザ・バンドの話からアメリカのロック音楽史が垣間見えるような気がして……。
エンドクレジットでは「はあぁ~ん。」と、幸せのため息をつきました。
 

Let the Right One In(2008年 トーマス・アルフレッドソン)
邦題が『ぼくのエリ 200歳の少女』で知られる、ヴァンパイア映画の美しすぎる傑作。
同じ原作者の映画『ボーダー 二つの世界』(2018)公開記念で、特別にフィルム上映されました。
まだ大分県にいた高校生当時、今はなき映画秘宝で本作の存在を知り、地元の映画館シネマ5で観たのが最初でした。
静かな雪景色に映える人間の赤黒い血。そして雪のように真っ白な肌をした少年少女たちの触れ合いに胸が熱くなり、大切な映画の一つになりました。
輸入盤Blu-rayも持っていた(わざわざ輸入盤なのは、国内盤にあった無粋極まりないモザイクが無かったから)けれど「映画館で再び、しかもフィルムで観れる!」とあって、問答無用で鑑賞してきました。
いつ観ても感動の映画ですが、その時ほど待ちわびて堪能した時間はなかったです。
何度か観ていたぶん細かいところまで目が届き、改めて丁寧に描かれた映画なのだと気づきました。


2021年に観た映画たち

『アメリカン・ハニー』(2016年 アンドレア・アーノルド)
今や新作が発表される度に話題をさらう映画スタジオ、A24。この映画はイギリス人作家アンドレアが監督したアメリカを旅する若者たちを描いたロードムービーで、この「ロードムービー」という一点に興味を惹かれ鑑賞しました。
なんせ監督もキャストも知らず、唯一名前を知っていたのは『トランスフォーマー』シリーズに出ていたシャイア・ラブーフのみ。あの頃は“ラブーフ君”といった風情でしたが、本作ではチョイと危ない大人の雰囲気を見事にたたえており、成長の月日を感じずにはいられませんでした。
生活に困っていたり、新しい土地で人生を始めようとする若者たちがバンで移動しながら、雑誌販売で生計をたてるという筋書き。演技経験のない人たちを集めたと言いますが、どの人物も存在感ありありで演技の引き出し方が上手いんだと思います。主人公スター(ティーンエイジャーの女の子)は当初戸惑うものの、この移動するコミューンに慣れてきて疑似家族のような関係になっていきます。
定住の日々で味わっていたクソみたいな毎日から抜け出し、決して楽ではないけど楽しみも悲しみも共有できる仲間がいる。これは逃避でもなんでもなく、それぞれが自分の意思で導き出した生き方の一つ。
果てしなく旅は続くけど、映画には限りがあります。163分の長尺も、流れに乗ってしまうとあっという間の時間でした。
日本ではソフト化されていない&上映がたった1(後日、もう1日だけ上映されました)とあって、大盛り上がりの上映でした。
 

いかがだったでしょうか。
薄々分かっていた事ですが、旧作率高いな…。そして印象深かった映画たちを集めたからって、やっぱり2011~2012年が多いな…。
ただ、みなみ会館のリバイバル上映のおかげで初めて観れた旧作が多かったものですから!

ゴダールやトリュフォー、アキ・カウリスマキの特集上映や、大好きなロックオペラ『Tommy(1975)を大音響で観れた事、オールタイムベスト1映画であるジャームッシュの『デッドマン』(1995)を念願叶って映画館で観れた事など、書き足りないものがまだまだあります。
本当に個人的に印象的な映画の列挙だったので、「お前の話なんか知らんよ」と思われるかもしれません。
でも、こうして思い出しながら書き留める事で頭の中に残っていた映画たちが文章となって残り、映画の記憶だけでなく無くなった映画館そのものの記憶も、いつだって思い出す事が出来るのです。

京都みなみ会館に携わった全ての方へ。
数々の映画と、それにまつわる思い出を有難うございました。
アキ・カウリスマキ特集の際に貼られていた、当時のポスター。
『愛しのタチアナ』は本編も大好きだけど、ポスターも可愛らしくてメチャ欲しい。

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