2017年12月31日日曜日

第6回 どこまでも独りぼっち。『鉄砲玉の美学』の寂しさ。

 
今年も、もう残り僅か。
皆様は、初日の出を拝みに近くの山へ登ったりするのでしょうか。僕はおそらく、寝正月ですが!
地元に帰省し、初詣をする際に少し山を登るのですが、僕が山登りなんて言ったらそれくらい……やなぁ。

さぁ、気分を変えて!
山の出てくる映画で印象深かったのは、先日惜しくも亡くなった渡瀬恒彦主演の『鉄砲玉の美学』(1973)。
監督は、深作欣二や鈴木則文らと共に70年代の東映映画をリードした中島貞夫。
渡瀬とのコンビで撮った『狂った野獣』(1976)は、邦画屈指のカーチェイス映画だった。
普段は東映でバリバリ活躍している二人だが、この映画は日本アート・シアター・ギルド(ATG)で作られたもの。
低予算による製作スタイルは「1千万円映画」と言われながらも、映画会社からフリーになった監督(大島渚や吉田喜重)や新進気鋭の監督(黒木和雄や実相寺昭雄、寺山修司など)たちが、それぞれ自分の作りたい映画を作った。
この『鉄砲玉の美学』はATGの低予算で作られたものではあるが、キャストやスタッフはいつもの東映の面々。
なので普段作られていた東映の映画と比較してしまいがちだが、ヤクザをヒロイックに描く事が様式化していた当時の東映では作られなかったであろう、アンチテーゼの映画であった。

ウサギの路上販売をしながらブラブラと日々を過ごしているチンピラ、小池清(演:渡瀬恒彦)。
そんな彼はある日、九州進出を目論む天佑会が送り込む鉄砲玉として指名される。自由に使える100万円と拳銃を手渡されて。
宮崎県に飛んだ清のやるべき事は、地元のヤクザたちの縄張りで暴れ回り抗争のきっかけを作るというもの。
しかし派手に遊び回っても、喧嘩になるほど彼はまだヤクザになりきれない。地元のヤクザ南竜会も、事を荒立てようとしてこない。
逆に南竜会から送られてきたチンピラ(演:川谷拓三)に命を狙われたりするものの、清は彼を殺す事も出来ない。
彼はただひたすら、南竜会の杉町(演:小池朝雄)の情婦である潤子(演:杉本美樹)と情交にふける日々を過ごすのだった。
そんな中、南竜会が関東の組織のバックアップを受けたと知り、天佑会は九州進出を取り止めることに。
いよいよ用済みとなった清は、潤子から聞いた霧島に行こうとするが、彼女の姿も消えていた……

もしこの作品が東映で作られていたとしたら、小池清はうだつのあがらないチンピラながらも鉄砲玉として派手に暴れ回り、華々しい散り様を見せたかもしれない。しかし中島監督はわざわざATGという不慣れなグラウンドで、男の惚れるヒロイズムやアナキズムを一切纏わせず、徹底して「何でもない男」として小池清を描いた。

売れないウサギに必要以上の餌を与えずに「一にガマン、二にガマン。三四がなくて五にガマンや」とうそぶきながら、八百屋で拾った野菜くずを焼きそばにして食べる清。如何にくすぶった日々を過ごしているのかと分かる、良いシーンだ。
ウサギも清も、外へ弾ける(ウサギの場合は買われる、清の場合はヤクザとして認められる)瞬間を今か今かと待っている者同士に見えてくる。しかし彼らは、今までずっと外から目を向けられていなかった。
そんな時にかかった声に意気揚々とする清。
一緒に同居していた女とウサギを残して、一丁前にスーツを着込み、貰った拳銃に惚れ惚れする。
鏡の前で「ワイは天佑会の小池清や……」と何度もつぶやく様子は、『タクシー・ドライバー』(1976)よりも3年早く「ボンクラが急に力を手に入れて自分に酔うシーン」として描かれている。こういう男は、全世界共通だなぁ。
『タクシー・ドライバー』のトラヴィスは児童売春の娼婦として働いていたジョディ・フォスターを救う事で最終的に世間に認められるが、清はただの使い捨て役。彼が宮崎で暴れたとしても、それを評価する者は誰もいない。
鉄砲玉としての活躍も見込めず、ただ一時の快楽に耽る清。
それが永遠ではないと分かっていても、そこにすがるしか自分を保てない歯がゆさ。
自分に気があると思っていた女はふいと姿を消し、かつて同居していた女がやって来て、また一緒にいてあげると優しくかける言葉を拒絶してしまう。
どこで自分は間違ったのだろう。誰にこの気持ちをぶつけられるだろう。
彼は24歳の誕生日を誰にも祝ってもらう事なく、ちっぽけな、あまりにちっぽけな最期を遂げる。
オープニングの『ふざけるんじゃねえよ』をはじめ、要所要所で流れる頭脳警察の曲も、この映画では一介のチンピラによる、誰にも聞こえることのない遠吠えのように聞こえてくる。
憧れの霧島。彼にとって霧島とは何だったのだろう。





*清を鉄砲玉として利用する天佑会のお偉方や他のヤクザたちの会話シーンが映画では直接描かれることなく、画面外からの声として流れる。明らかに会合シーンを撮るほどの予算が無いためであるが、かえって「主人公の知らない水面下で、何もかも計画されているのだ」というやるせなさ、狡さが表れているようで、こういう表現もありだな、と思った次第。

**
というわけで、今年の『映画、めくるめく冒険』は終了です。
今年最後の映画紹介が今作で良かったんかなとは思ってしまっても、否、やっぱり良いんです!
更新頻度が月イチという、凄~く亀の歩みなブログでありますが、どうか皆様、長~い目で当ブログを、来年からも応援していただきたく思います。
それでは、良いお年を~!

イラスト:城間典子

2017年11月12日日曜日

第5回 『SELF AND OTHERS』には、今日も風が吹いている。

はじめに}
この文章は、2016年2月29日発行の『taomoiya雑文集』に掲載された『映画、めくるめく冒険』第3回の文章を再録したもので、ほんの少しの加筆・修正を加えたものです。
前回、山形国際ドキュメンタリー映画祭について、と言うよりは佐藤真監督について書いたため、以前に書いていた『SELF AND OTHERS』の感想を載せる事にしました。
前回にも書いた事なのですが、この作品は特に好きなドキュメンタリー映画でして、好き好き具合が爆発しているかもしれません。悪しからず。



もう3月。春がそこまで来ている。 僕は毎年、春を風で感じる。
冬の冷たい風から温かな風に変わって、思わず顔も心も綻んでしまう。
春に一番重要なのは、生命の喜びを感じさせてくれる風だ。
同じように、映画にとっても風は重要な要素だ。
風を上手く描写している映画はそれだけで良い映画だと分かるし、反対に風をおろそかに描いているような映画は駄作だと断言出来る。
(例えば、宮崎駿の映画やアンドレイ・タルコフスキーの映画、エミール・クストリッツァの『アンダーグラウンド』などは良い風が吹くお手本のような映画たちだ)


今回紹介するドキュメンタリー映画『SELF AND OTHERS』(2000)にも、素晴らしい風が吹く。
この映画の監督は佐藤真。彼はドキュメンタリー作家で、デビュー作の『阿賀に生きる』(1992)が大反響を呼んだ人物である。この『SELF~』は、『阿賀に生きる』、『まひるのほし』(1998)に続く、3作目の映画(もっとも、この映画は僅か53分という短編映画だが)だ。
この映画は、1983年に36歳という若さで亡くなった、写真家の牛腸茂雄(ごちょう しげお)についての映画である。
しかし、牛腸茂雄がどんな人間でどんな生き方をしてきたのかを暴くドキュメンタリー映画ではない(人物紹介的なものは、冒頭でちょこっとのみ)。

では何を描いているのか。一言でいえば、牛腸が生前見ていたであろう物、風景をカメラが捉えていくという妙な映画なのだ。
かつて牛腸が被写体たちを撮影した(牛腸の撮る写真は、そのほとんどがポートレート写真である)場所にカメラが赴きその場所を映していると、さもフラッシュバックしたかのように以前そこで牛腸が撮影した写真が画面に映りこんでくる。
第三者であるはずのカメラが、映画そのものが回想をしているのだ!
これは何とも不思議な作りだ。

そして(今や超のつく有名俳優になった)西島秀俊による、牛腸が実の姉に送った手紙の朗読がそれらの風景に被さる。
手紙を読んでいるだけにもかかわらず、彼の日記を聞いているような錯覚も覚え、西島の声が牛腸本人の声のようにも聞こえてくる。
他にも、牛腸がまだアマチュアの頃に友人たちと撮影した短編映画『街』と『THE GRASS VISITOR』が流れたりする。
観ている側は、過去の風景と現在の風景が混じりあい、どんどん混乱していく。
ここで興味深いのは、そのような作りをしているのに映画そのものはノスタルジーに浸りきっていないという点だ。
そこには、もうすでに死者となった牛腸の視点の再現(佐藤監督たちは、牛腸の見てきたであろう風景を映すことは出来るが、それは牛腸本人の目線そのままではない)であるからという作り手側の第三者的な、俯瞰した目線があるからではないだろうか。

終盤、突然か細い声が画面に割り込んでくる。
「もしもし、聞こえますか。これらの声はどのようにきこえているんだろうか」と。
これは、他ならぬ牛腸茂雄の肉声なのだ。
牛腸は幼少の頃から生死にかかわる重い病に患わされており、病弱な体であった。それが声にも表れている。蝋燭の火のように、フッと息を吹けば消えてしまいそうな声だ。
我々観客は、それまで西島による朗読の声で牛腸茂雄という人をイメージしているため、ここにきての本人登場は「おおっ、本物きた~!」というよりは「え、これが牛腸茂雄なの…?」という戸惑いの方が強い。
たった1つのショットや演技でその映画が決定的なものになることがよくある。
この『SELF~』においては、 それは間違いなく牛腸本人の声である。
今にも息絶えそうな声であるが、他のものを一切寄せつけないほどの声、強度のある声、まさに「生きている」としか言いようのない声。
この声を核として、佐藤真らはこの映画を作っ たに違いない。


冒頭、青草の茂る広い庭に一本の大きな木が映っている。そしてそこに風が吹き、木が揺れる。
僕が『SELF~』を思い出すとき、この木と風、牛腸の声を思い出す。あまりにも力強く印象的な木と、風。
この風景は、映画の最後にも再び登場する。映画そのものが旅をしてきて、一周回ってきた。
我々は知らず知らずのうちに、風に誘われて映画内の空間(それ即ち、牛腸空間なり)を旅し、
そしてまた最初にいた場所に戻ってくるのである。
この映画は牛腸茂雄についての映画であるが、同時に「記憶を辿るロードムービー」でもあるのだ。


イラスト:城間典子

2017年10月31日火曜日

第4回 山形国際ドキュメンタリー映画祭2017の備忘録。

10月4日から10月8日まで、僕を含めた4人の仲間で山形に行ってきた。目的は山形国際ドキュメンタリー映画祭2017。
みんな思い思いに様々な作品を観たようで、たった2日間の間だった(4~5日、および8日は車での移動だけに費やしてしまった。運転手は僕一人だった……)が、充実した時間を過ごせたと思う。
今回は、その映画祭で観た映画たちの感想をチラホラと書く事にしよう。とは言っても、観た作品のほとんどは佐藤真作品なのだが!



『阿賀に生きる』(1992)
何と言ってもコレを山形で観たいとずっと思っていた。

何度も観ている作品ではあるものの、いつ観ても人々の表情の映し方に感心する。
「新潟水俣病の映画」として企画されていたはずの映画が、「阿賀野川の川筋に住んでいる人たちの生活を見つめた映画」として誕生してしまう。正に「ドキュメンタリーは生き物」ではないか!
出てくる人たちほとんどが新潟水俣病の被害者であるにも関わらず、日々を喜々として過ごしている。
土方工夫の唄、継承される川舟作り、元気な餅つきお爺ちゃん、雨の中も田んぼで作業をする老夫婦……
出てくる人みんなの顔が、声が、動作が、そのまま阿賀野川の歴史なのだ。これぞ、生の讃歌。
もうオープニングから泣かされてしまって……



『まひるのほし』(1998)『花子』(2001)
この2作品は今回が初鑑賞となった。どちらも「障害者によるアート」をテーマとした作品。
『まひるのほし』は様々な知的障害者と彼らの作る作品をオムニバス映画ように映し、『花子』では夕食後に「食べ物アート」を欠かさない花子と、その家族を追っている。
正直言って、感想を書くのに戸惑ってしまう2作品だ。
両者とも「知的障害者」がテーマとして前面に出てくるからか?そうとも言えるし、それだけでないとも思いたい。
愉快な作品だと思うが、ある種の距離感も感じる。
愛おしい作品でもあるが、それだけに終わらせていいのかという思いも湧き上がってくる。
時々ハッとしてしまうようなショット(『花子』における、お姉さん初登場のトコとか)が出てきて、面食らってしまう。


たいがいにおいて僕は、ドキュメンタリーを観る時、「こういう人もいる。こういう世界もある。世界はこんな風に動いている。」という世界認識をしながら観ている。
そして、どこで「優れたドキュメンタリーであるか」を見出すのかと言えば、映し出される人々の表情や風景を、作り手が的確に捉えられているか、である。
その点で言えば、この2作のみならず、佐藤真作品はどれも「優れたドキュメンタリー」だと思う(とは言え、未だに「エドワード・サイード OUT OF PLACE」(2005)のみ未見なのだが)。
だが、この『まひるのほし』と『花子』の2作は、そんな次元を超えて、もっと自分のプライベートな部分に引っかかる作品だった気がする。

映画を通して僕は何故か、決して劇中の彼らと交わるはずのない故郷、大分で出会った数々の人たちを思い出していた。


この2作品の撮影として、小川紳介の『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968)や、一連の土本典昭作品のカメラマンとして有名な大津幸四郎を起用しているのは興味深い。
佐藤真の遺作となった「エドワード・サイード」も大津さんらしいのだが、そちらは未見なので何も言えず。



『我が家の出産日記』(1994)『おてんとうさまがほしい』(1994)
『我が家の出産日記』は、ずっと前から観たい作品だった。なんせDVD化がされておらず、特集上映の時に上映されるかされないかくらいの作品なのだから。
近頃では、セルフドキュメンタリーが大流行りしている。本作はその元祖的な作品のような気がする(だがもっと探っていけば、その流れの中に小川紳介や原一男を見つける事が出来るのだろう)。


話は、佐藤真(以下、佐藤さん)の奥さんである丹路(にじ)さんが次女(萌ちゃんと名付けられる)の出産のために入院し、残された佐藤さんと長女の澪ちゃんだけの生活が始まる……というもの。
文章くらいでしか佐藤真という人物の人となりを窺えなかった僕としては、最初から奥さんにタジタジな佐藤さんに笑ってしまい、かつ淋しさを覚える。

家と保育園と病院を行き来し、慣れない子育ての時間にアタフタしている佐藤さん。その慌ただしく、特別な、幸福な時間の流れに、思わず泣いてしまう。
後年、死を迎えてしまう佐藤さんの事を思うと、「何故……」と思ってしまう。
「人ん家の出産にまつわる一週間の出来事」と乱暴にまとめてしまうのは簡単だ。
しかし今作は、それだけに収まらない幸福な作品であるし、佐藤真自身が、自身とその家族を撮り、「撮る自分、撮られる自分」に意識的に向かい合った、とても重要な作品だとも思える。


『おてんとうさまがほしい』は、照明技師として映画界で活躍してきた渡辺生さんが、アルツハイマーの症状が出始め、介護施設に入らざるを得なくなった妻、トミ子さんを16mmカメラで撮影した作品。
カメラを回したのは渡辺さん本人なのだが、佐藤さんは今作の構成と編集に携わる。
結果生れたのは、渡辺さんの妻に対する愛とまばゆい光に満ちた作品であったと同時に、まぎれもない佐藤真作品であった。驚くべき作品!
佐藤さんはこの作品を編集しながら、「映画は編集室で生まれる」という信念を持ったそうだ。それも納得。


僕が佐藤さんの作品を好きなのは、少し前にも書いたが、人の表情と風景の映し方があまりに見事だからだ。
下手なドキュメンタリーほど風景はおざなりで、単に「どこそこで展開される話ですよ」という説明的ショットか、もっと悪いと風景なんて知らんと言わんばかりに風景を映し出さない作品もある。
場所の説明だけなら、確かに映し出す意味はない。例えば『阿賀に生きる』における阿賀野川周辺とは、ただ「かつて新潟水俣病の舞台だった」のではなく、「そこに暮らしている人々が日々見ている風景、一緒に共存している風景」だ。
風景に少しでも変化があったりすれば、そこに住む人の顔も自然と変わっていくものだ。
たとえ作品舞台と違う風景が入り込んできても、それは人物の心象風景であったり、作品のカラーを決める重要なショットだったりする。
佐藤さんの風景の切り取り方には、そういった意識が絶えずある。この作品にもだ。
渡辺さんもトミ子さんも年を取っている。しかし、渡辺さんが撮影し、佐藤さんが編集したこの作品を観ていると、何と若々しい感性なのだろうと驚く。アルツハイマーにかかった妻を撮影すると聞くと、暗くなりがちになってしまうが、この作品は「哀しさ、淋しさ」だけに終わらない。

若い頃だけじゃない、昔を振り返るだけじゃない。今こうして妻と向き合う時間こそキラキラと輝き、大事な時間なのだと語りかけるような、そんな作品だった。


『天竜区奥領家大沢 別所製茶工場』(2014)
今回の山形国際ドキュメンタリー映画祭において、佐藤真作品以外で観た映画は、コレと松本俊夫の短編特集のみだった。
この作品も存在自体は以前から知っていたのだがなかなか観れる機会がなく、逃すまいと観に行った次第。
ところが僕は、この作品の監督である堀禎一が今夏に亡くなっていた事を出発前くらいに知った。現在順次公開している『夏の娘たち~ひめごと~』(2017)が映画好きの間で密やかなフィーバーをしているので、当然のように堀監督もご存命だと思い込んでいたのだった。
(ところで、『夏の娘たち』の京都公開は一体どうなっているのだろう。京都シネマの公開待機作品であったのに、いつの間にか消えてるし!はやいとこ上映してくれよ!)


舞台は静岡県浜松市の最北部、標高740mにある斜面集落、大沢集落。
何とこの映画、凄まじい急勾配での茶摘みに始まり、それを乾燥させ茶葉にしていくという工程のみを64分、見せ続けるだけの作品なのだ!
台詞(というよりは日常会話)も必要最小限かつボソボソ喋り、かつ1ショットがと~っても長く、「大丈夫かな!?(体力的に)」と心配してしまうのだが、どっこい魅せてくれる映画だった。
何よりも、画面の構図がキマっている。どこに人がいて、どこに物があると映画らしいショットになるかを、堀監督は熟知しており、「えっ、そんなところにカメラが!?」と思うと同時に、正に「映画でしか出来ない、見られないような完璧なショット」となっている。
画面に映る犬の名俳優っぷりと言ったら!
なので上映時間である64分間は、ひたすら驚きの連続だった。

あまりにも完璧なので、ちょっと癪に障ると言うか、優等生的にも感じてしまったのだけれど。
ともあれ、他のシリーズ作品も早く観たい。しかし、もうこの監督の新作は無いのだと考えると、やはり淋しい。



機械なんかを撮る時のメカっぷりを魅せつけてくる感じは、どことなくダリオ・アルジェントの作品のようで面白かった。
あの監督も、まったく本筋に関係ないのにメカ描写に力を入れるからなぁ……




ざっとではあるものの、山形国際ドキュメンタリー映画祭2017で観た映画たちを振り返ってみた。
ホントは他に松本俊夫の短編特集や、『阿賀に生きる』に関するスペシャル・トークイベントなどもあったのだが、長くなること必至なので、ここで終わろう。
遠い山形の地で佐藤さんの映画ばかりを観たのは、やはり佐藤さん自身にも思い出深い山形で、彼の作品に触れたいと思ったからだ。
連続鑑賞する事で佐藤さんの軌跡を多少なりとも辿れた気がするし、各作品上映後にあったトーク・イベントに登壇した若い人たちの話を聞いて、佐藤さんが如何に後世の人たちに影響を与え続けているかを垣間見れた。
ドキュメンタリーなるものは、つくづく生き物なのだと、改めてその奥深さに気づかされた数日間だった。

(本当は、8日に上映された『SELF AND OTHERS』と『阿賀の記憶』の2本上映に一番行きたかったのに、その日の朝早くから出発せねばならなかった。
僕は数多くのドキュメンタリー映画の中で特に『SELF~』が大好きなので、それを観られない悔しさと恨めしさと言ったらもう……)

2017年10月1日日曜日

第3回 『散歩する侵略者』が、最高に面白いSF映画だった事に対する喜びと興奮について。

たまには、劇場で観た新作映画についても語ってみねばならない。映画好きというのは、懐古主義では駄目なのだ!
そんなワケで、今回ご紹介するのは黒沢清監督の『散歩する侵略者』(2017)である。

劇団イキウメの舞台が原作であるこの作品を黒沢監督がどのように料理したのか、期待と不安が半分ずつという面持ちだった。
何故そんな心境だったかと言うと、僕は大学生時代に、劇団イキウメではなく、他の劇団によって上演された『散歩する侵略者』を観ており、その時の感触がヒジョ~に良くなかった(個人的にノレなかった)のと、黒沢映画に対して「好きな作品も多いけど、いつも同じことばかりしている」というマイナス・イメージを抱いてしまっているためだった。
果たして……



真ちゃんこと加瀬真治(演:松田龍平)は、突然別人のようになって妻・鳴海(演:長澤まさみ)の前に現れる。戸惑う鳴海をよそに、真治は会社にも行かずに散歩をし始める。夫に何が起こっているのだろう?
その頃、一家惨殺事件を取材しようとしていたジャーナリストの桜井(演:長谷川博己)は、天野という謎の若者に遭遇。彼が探しているという女子高校生・あきらは、桜井もまた追いかけようとしていた人物であった。共通の目的を持つ2人は、あきらを一緒に探し始める。
そして彼らを取り巻く世界は、徐々に変わっていくのだった……



冒頭、何でもない一軒家に女子高校生が入っていく。
このショットだけでも「さぁ。これからとんでもない事が始まるぞ」と言わんばかりの、黒沢映画独特の空気が蔓延している。
(過去に彼が監督した『復讐 運命の訪問者』(1997)を思い出させる。これは黒沢監督の十八番ショットなのだ)
それに続く、黒沢映画史上ここまで派手なアヴァンタイトルも無いだろうというシーンを観ていると、タイトル後は松田龍平と長澤まさみのシーンに変わる。ここからしばらくは、黒沢監督らしさ全開の「じわじわと変化していく日常」がメインになる。
黒沢映画は、本当によくじわじわと観客の不安を掻き立てる。幽霊が現れたり、恐ろしい惨事が起きようと、いつもカメラはじわじわと映しだしていく。カメラがさも観察しているような……と言ったらいいだろうか。

それにしても、黒沢映画の描く家庭の空虚っぷりと言うか胡散臭さったらない。
「リアリティーがない」という次元ではなくて、もはや「家庭」がその後変化していく・崩壊していく世界の前身のように見えてくる。やはりコレは確信犯なのだろうか。


時同じくして描かれるのは、ジャーナリスト桜井と謎の若者・天野の奇妙な道行きなのだが、こちらの件が個人的にツボにハマってしまい。
黒サングラスにヒゲ面といういかにもな姿で現れる長谷川博己に「よしっ」と心の中でガッツポーズ。SF映画のジャーナリストは、こうでなくちゃ。
(ここで言う「こうでなくちゃ」とはSF映画独特の胡散臭さ、それに伴う「その人らしい風貌」に対しての「こうでなくちゃ」であり、『ブルー・クリスマス』(1978)の天本英世と岸田森の謎コンビ、『華氏451』(1966)の消防団などが当てはまる……かな)

余談だが、台本を読んだ長谷川博己は黒沢監督に対して「これは『ゼイリブ』(1988)ですね」と言ったらしい。黒沢監督はそこで勝利を確信したそうだが、さすがシネフィル俳優。
加えて劇中のサングラスも、『ゼイリブ』に対するオマージュから来ているのだとか。
んもう、長谷川さんたら…… 好きになってしまうでしょーがっ!


閑話休題。
(ここから多少ネタバレ在り。)
実は宇宙人であった天野とあきら(そして真ちゃんも)は、自分たちが侵略のために地球にやって来ており、その前に人間が如何なる生物なのかを知るために「概念」を奪っているのだと桜井に語る。
普通だったら逃げるか殺すかするのだろうが、彼はジャーナリスト。本当に宇宙人なのか疑いつつも、天野らに「独占取材」を申し入れる。その代り、天野は桜井に自分のガイドになれと言う。ここに、地球人と宇宙人の奇妙極まりない契約が交わされる。
旅をしながら、桜井は何と天野と共闘するまでになる。


一方では宇宙人となってしまった夫と地球人の妻の愛の物語、もう一方では地球人と宇宙人のバディもの(相棒もの)の物語。
この「異種間バディもの」というヤツを洋画ではよく観る(『ヒドゥン』(1987)とか『ゾンビコップ』(1988)とか)が、何気に日本映画ではなかなかお目にかかれない。それを観られた喜びが、個人的には大きい。

一度組んでしまったのだから、とことん付き合うだけ。これぞバディものの精神。立場や理屈じゃない。そこを突っ込んでしまうのは愚の骨頂。とかく人物の心理状況を台詞で言わせてしまう日本映画において、この潔さは観ていて本当に気持ちが良い。
終盤の2人のシーンは、正直言って主人公夫婦より泣けるぞ!


そしてもう1つ。黒沢監督の映画は、基本的にエコだ。
派手に建物が崩壊したり数台の車がクラッシュするなんて光景は、黒沢映画においてはほぼ無縁。廃墟や木が怪物のような存在感を放っていたり、淡々と銃撃戦が行われたり、画面を見せずに音のみで処理されたりする、なんて事が多い。想像して怖がらせたり驚かせたりするのが、黒沢監督は得意な人だ(その辺りが、先ほど書いた「じわじわ」にも繋がってくるのだと思う)。
しかし時々、どうだ!と言わんばかりの画面を見せつけてくる。近作の『リアル』(2013)然り、私的最高傑作である『回路』(2000)然り。

今作も、街頭の自衛隊登場シーンや病院のパニックシーン、気配を感じさせる家のシーンなど、「数の多さで決まるのではない」とハリウッド映画に言ってやりたいくらい必要最小限のモノ(人や小道具など)で魅せてくれるのだが、終盤に突如現れる飛行機に面食らってしまった。
先の自衛隊登場シーンでは、ヘリコプターの音こそするものの画面には登場しないので、「黒沢監督は、本当に音でスペクタクルしちゃう人だなぁ」なんて思っていたらコレである。
その抜け抜けと飛んでくる飛行機に、僕はまたしてもガッツポーズを取り、もう少しで泣きそうになった(何と大袈裟な、なんて言わないでくださいね。これは実話です)。
この『散歩する侵略者』は、あの20世紀末から21世紀に向けられ作られた黙示録映画『回路』と同じように、どこからともなく飛行機が飛んでくる。世界がどこに向かうか分からない時、黒沢映画では飛行機が飛んでくるのだ!!
そしてその飛行機を見届ける人物は……ここでは言えない!



何だか長谷川さんの件と飛行機についての感想しか言えていない気もするが、ともかく『散歩する侵略者』は必見だ。日本でも数少ない純然たるSF映画であり、バディムービーであり、愛の映画だ。1つの映画で3度美味しい。ごちそうさまでした!


イラスト:城間典子

2017年8月24日木曜日

第2回 『はだしのゲン』と向き合って

{はじめに}
この文章は、2016年7月30日発行の『taomoiya雑文集』に掲載された『映画、めくるめく冒険』第8回の文章を再録したもので、ほんの少しの加筆・修正を加えたものです。
もう8月も終わろうとしている中、自分の中で「8月」と聞いて絶対に外せないこの映画を、今回は再録という形ではありますが、紹介したいと思います。



はじめてこのアニメを観たときは、小学3年生のことだった。忘れもしない、音楽室の小さなテレビ(だが普通の教室に置いてあるものよりは大きい)で観たのだ。
原子爆弾による被爆シーンがあまりにも強烈で、音楽室を飛び出してしまった。あまりにも恐ろしく、グロテスクで、死んでいった人たちが可哀想だと思って、すっかり泣きじゃくって混乱していた。
そんなワケで、これから紹介するアニメ版『はだしのゲン』(1983)は長年僕のトラウマNo.1映画であったのだが、約10年ぶりに観たこの映画は、とても素晴らしいものだった。


昭和20年。小学2年生の中岡元とその家族は、周りから非国民と罵られながらも、懸命に生きていた。
母親のお腹の中に新しい命が宿り、そろそろ生まれてくるという頃、アメリカは原子爆弾を完成させ、8月6日、広島に投下される……父の大吉、姉の英子、弟の進次を失ったゲンは、生き残った母親と生まれてきた妹の3人で生きていかなければならなかった。


今回見返して思ったのは、このアニメ版『はだしのゲン』は反戦反核アニメである以上に、力強い人間讃歌の話であったという印象。
この映画では、ゲンの兄たち(海軍の予科練に入った長男と、疎開しに行く次男)、中岡家を非国民と罵り、数々の嫌がらせ行為をする町内会長の鮫島親子などが登場しなかったり、大吉が特高警察に暴行されたりゲンや英子が学校で尋問されるシーンなどがカット、そして人物たちの政治的な台詞が数多くカットされている。
逆にそれらがカットされたことによって、作者の伝えたかった「麦のように逞しく生きていく」というテーマがより一層際立っているように思う。
ちなみに、脚本を担当したのは、原作者の中沢啓治その人であった。

普通の一庶民である中岡元とその家族が普通の生活を送っていたなかで、原爆という理不尽で大きな力によってその生活を破壊されながらも、それに負けずに生きていく。
ゲンたちの姿は、原作以上に我々に近く、普遍性を帯びている。だからこそ、何度観ても元気をもらって「さぁ、生きてやるわいっ!」となる。
でなければ、何度も何度も観返したりしないだろう(普通の反戦映画であったなら、気が滅入って観返す頻度もそこまで多くなかろう)。

ここ最近観た作品(映画に限らず小説なども)よりも、やはり幼稚園や小学生の頃に観た作品の方がありありと覚えているもので、この『はだしのゲン』に関しても、原爆が投下されるまでの様々なシーンをほとんど覚えていた。
オープニング映像、幼女がB-29による機銃のえじきになったと聞かされるシーン、お母ちゃんの健康ために鯉を盗みに行くシーン…
とかく惨い被爆シーンが取り沙汰される本作であるが、この映画が秀でているのは家族と過ごす日常描写を(上映時間が少ないなりに)丁寧に描いているところであったり、被爆後のゲンたちの描写、つまり「真剣に生きている人物たちの描写」であるのだ。

ゲンは妹のミルク代を稼ぐため、政二という被爆者の身の回りの世話をすることに。それまで何人も仕事を請け負っては、政二のその醜い姿と悪環境に堪えきれず辞めていった。お金を稼ぐため、ゲンは政二の全身に巻かれたままの包帯を取り替えたり、ウジを取ってあげたり、血便まみれの部屋を掃除する。
最初は反発していた政二も、ゲンの真摯な態度に感動し、久しぶりに人の優しさを目にする。両手が使えなくなったからと諦めていた趣味の絵画も、めげないゲンの姿を見て考えを改めるようになる…
ゲンの生き抜く強さは、他人にまで影響を及ぼした。ゲンは優しさを政二に与え、政二は頑張って生き抜くのだと決心した。手が使えないなら筆を口でくわえ、そうして絵を描けば良いのだと気づく。挫折しそうになるが、それでも政二は諦めずに絵を描き続ける。
原作では政二はその後亡くなってしまうのだが、この映画では生きていく。希望を残したまま退場するのだ。
この辺りも、「麦のように逞しく生きていく」という作者のテーマが良い形で反映されているような気がする。


僕が幼い頃これを観たのは平和学習の時であって、それは戦争の惨たらしさを知るために観たのだった。勿論そのために作られたアニメであることには違いない。
けれど僕はそれ以上に、熱い熱い「人間ドラマ」のアニメとして、この『はだしのゲン』を評価したいし、下の世代にもそう伝えていきたい。
戦争の記憶はどうしたって風化していくものであるから、戦争そのものにリアリティーを感じられなくても、そこに生きた人々の生き様が本物であったなら、絶対心に響くはずなのだ。


 イラスト:城間典子
 

2017年7月15日土曜日

第1回 モノクロームの夢、『デッドマン』

{はじめに}
この文章は、2016年9月30日発行の『taomoiya雑文集』に掲載された『映画、めくるめく冒険』第10回の文章を再録したもので、ほんの少しの加筆・修正を加えたものです。
今は7月だと言うのに、しょっぱなから唐突に「10月が僕の誕生月云々」と書いているのは、そういう事情です。



私事ながら、10月は僕の誕生月である。なので今回は、僕の一番好きな映画、僕の映画人生を決定づけた映画を紹介しようと思う。その作品は『デッドマン』(1995)。
監督・脚本はジム・ジャームッシュ、主演はジョニー・デップ。そう、あのジョニデですよ、奥さん! ちなみに本作のポスターは、ヴィレヴァンのポスターコーナーに行くと結構な確率で置かれてあるので、ご存知の方も多いのでは。
(顔にペイント施したジョニデが、こちらに向かって拳銃を構えてるアレである)
ヴィレヴァンにポスターがあるように、どうも巷では『デッドマン』をお洒落モノクロ映画として認識しているようなのだが、そんな単純な映画ではないと思うゾ。


舞台は19世紀の西部。会計士のビル、本名ウィリアム・ブレイク(演:ジョニデ)は、ある町に職を求めてやって来るが、門前払いを喰らう。その夜、花売りの娘を助けたばかりにお尋ね者となり、自身も胸に銃弾を受ける。瀕死の重体で町から逃れたビルは、ある一人のネイティヴ・アメリカン、ノーボディ(演:ゲイリー・ファーマー)と出会う……
話の内容は、「ビルが追手に追われながら、死の方へどんどん近づいてゆく」というそれだけ。なのに何故、それだけの話に惹かれるのか。おそらく、ロードムービーに付きものである「ある場所に着くための目的」の希薄さと、映画に漂う「死の空気感」が妙に心地いいからだろう。
ロードムービーは通常、「主人公が或る場所に赴いて誰かに会う為、そこに何かがある為に」移動するのだが、この映画の主人公であるビルには、その「誰か、何処か」という明確な目的がない。
状況を掴めぬまま町から逃げ出し、何処に向かうのか分からず、ただ追手から逃れるためだけ、そしてノーボディという心強い者がいるから森の中を旅する。
ノーボディもノーボディで、ビルを詩人のウィリアム・ブレイク(18世紀のイギリスに実在した詩人)の亡霊だと勘違いし、敬意を払い、彼を魂の故郷へ還すため森を案内しているに過ぎない。
ビルたちがどこへ向かうのか、我々観客はビルと同じように分からずじまい。だが中盤、ある変化が訪れる。

こんなシーンがある。ビルは道中、死んだ仔鹿を発見し、その仔鹿から流れる血を自らの顔にペイントの如く施し、寄り添って身を横たえる。このシーンの美しさといったらないのだが、このシーンを境に、ビルは命が残り少ないと悟りながらも旅を続け、追手や無法者たちを事もなげに殺していく。まるで神話の登場人物のように。
もはやこの頃になると、自分がお尋ね者であるという現実に抗う様子もなく、前半のように挙動不審で常に何かに怯えているような態度でもない。
ビルは「胸に銃弾を喰らう前」の健康体である時より、「喰らった後」の「死がどんどん近づいてきている状態」の方が生き生きとしていくのだ。

「死」がビルを覚醒させていくように、この映画の中では「死」という概念は一般的な「怖いもの」「悲しいもの」とは違い、「生きとし生けるものが当たり前に辿る、純粋かつ崇高なもの」として描かれる。
森を歩けば仔鹿の死体が当たり前のように転がっているし、銃で撃たれれば人はアッサリと死に、ノーボディ(をはじめとするネイティヴ・アメリカンたち)は「死」を魂の還る儀式だと認識している。死は、何時でも何処でも誰にでも存在する、とても身近なものだ。
僕は昔から人一倍、生きているもの全てが必ず迎えることになる「死」というものに怯え、その不条理さを恨み、涙を流す事が多かった。まだまだ(今もなお)幼い僕にとって、「死」はずっと先の事である(はずだ)にも関わらず、否、先の事であるが故に、「恐怖」でしかなかった。
そんな僕にとってこの映画は、ちょっとした薬のような作品でもある。
前向きになるとまではいかないが、この映画の中で起こる突発的な死、誇張の無い死に、僕はどこか救われるのだ。


ロードムービーであるから、ロビー・ミューラーによるモノクロ撮影が美しいから、ニール・ヤングの音楽が痺れるほど格好良いから、ジョニデのベストアクトだから、ジャームッシュの放つ(ブラック気味の)ジョークが最高だから等々、この映画の魅力は尽きないのだが、この映画の「死の捉え方(と、その描かれ方)」にある意味励まされているからというのが、僕がこの映画を一番愛する理由なのかもしれない。



イラスト:城間典子