2018年3月1日木曜日

第8回 『愛しのタチアナ』こと、ゆる旅コーヒーの巻。

{はじめに}
この文章は、2016年2月18日発行の『taomoiya雑文集』に掲載された『映画、めくるめく冒険』番外編の文章を再録したもので、ほんの少しの加筆・修正を加えたものです。

『はじまりのうた』に続く「春にピッタリ!? 怒涛の2連発投稿」の次なる作品は、大好きなフィンランドの監督、アキ・カウリスマキ監督の『愛しのタチアナ』です。
この掌編と言ってもいい映画が、大好きなんですよ……まぁ、本文中にも書いてあるとおり、コーヒーと旅がメインだから、という単純な理由が大きいのですが。
そう言えば先日、最新作の『希望のかなた』(2017)を観たのです。素晴らしいの一言でした。
この映画も、いずれ当ブログで取り上げたいと思います。



ドラえもんではないが、「あんなこと良いな、出来たら良いな」などと実生活において思うことはないだろうか。僕は何度となくあるが、中でも「車の中で淹れたてのコーヒーが飲めたら」が実現してほしいこと№1だ。
缶コーヒーでもドライブインのコーヒーでもなく、自分で淹れた、自分のコーヒーをである。
そんな僕の願望を、フィンランドの映画監督であるアキ・カウリスマキが映画の中で実現させていた。

その作品を観たとき、僕は「コレだよコレ!」と感嘆したものだ。
その映画こそ、今回ご紹介する『愛しのタチアナ』(1994)というモノクロのロードムービーだ。


アキ・カウリスマキという監督は、現役で活躍している映画監督の中で一番「人を食った」映画を撮る男である。
原色バリバリのセット、魅力的であろうフィンランドの風景をあえて撮らない、登場人物は始終しかめっ面で感情の起伏に乏しい。
映画の中に必ず1回は音楽の演奏シーンが挿入される(作品によっては、歌いきるまで映す作品も!)。
すっとぼけたユーモアが全編を覆っているが、ただ単に面白おかしいのではなくて、不況や難民といった政治的問題をテーマにしている作品が多い。
そのあまりにもブレない映画スタイルは、数多くのファンが世界中にいる。

『愛しのタチアナ』は62分という短い作品で、愛すべき佳作といった趣きなのだが、「カウリスマキ歴」においては重要な作品でもある。
彼のデビュー作『罪と罰』(1983)から出演し、カウリスマキ映画の看板俳優であり続けた俳優、マッティ・ペロンパーの遺作なのだ。
ちなみにこの愛しき俳優は、見た目がオットセイのような人相なので、彼の出ている作品を一度観てしまえば一発で覚えてしまう、俳優の顔を覚えるのが苦手という人にとても優しい俳優でもある。


物語は、コーヒー中毒の仕立て屋ヴァルトが母と家で仕事をしているところから始まる。
このヴァルトという(一応の)主人公が、只者ではなかった。
ヴァルトはコーヒー豆が切れている事にキレて、あろうことか母親を物置に閉じ込め、彼女のお金を拝借し、家を飛び出すのである。
僕もコーヒー大好き人間だが、いくらコーヒー豆が切れているからといって実の母親を閉じ込めはしないよ。
ヴァルトは修理に出していた愛車を引き取りに、修理工レイノ(これを演じるのが、我らがマッティである)の元へ赴く。そして2人は退屈な日常から解放されるため、車で旅へ出た!

……という爽やかな映画ではない。
初めのうちこそ、ヴァルトは車中で大好きなコーヒーを淹れて飲んだり(ここでドライブ用のドリップ式コーヒーメーカーを用いてコーヒーを淹れるのだ。欲しい!)、レイノはレイノで大好きなウォッカをラッパ飲みしながら喋りまくる。
カウリスマキ映画にしてはご機嫌な幕開けかと思いきや、夜になって2人はすっかり黙り込む。
よし、いつものカウリスマキ映画だ。

2人はある店に立ち寄るが、そこで2人の外国人女性と出会う。
1人はエストニア人の女性タチアナ(この役を演じるは、マッティに次いでアキ組常連の女優カティ・オウティネン)、もう1人はロシア人女性クラウディア。
彼女たちはフィンランドへ出稼ぎに来ていたらしく、ヘルシンキの港まで送ってほしいという。
男女4人のドライブ&恋愛ゲームの始まり……とはならない。
ホテルに一泊することになった4人。
さも当然かというように、タチアナはレイノの部屋へ行き、クラウディアはヴァルトの部屋へ。
2人きりになったからといって、ムフフな感じにならないのはお約束。
食堂に行ってもお金がなく、マズいコーヒーを飲むだけ、煙草を吸うだけ、つまらない話をするだけの殺伐とした状況。
しまいにはレイノが「もう寝る」と言い出す始末。
お互いにとって散々な夜だろう。

結局何もないままホテルを後にし、旅を続け、野宿をする羽目になった4人。
ヴァルトとクラウディアが車中で休んでいる間、レイノは勇気を出して車から離れたところで座っていたタチアナの横へ座る。
するとタチアナ、無言でレイノの肩にもたれかかる。そしてレイノはタチアナの肩にそっと腕を回すのだ!
ホテルの時はロクに言葉も交わさなかった2人だが、ちゃんと心は伝わっていたようだ。
この映画唯一のラブシーンだが、「愛してる」などと言ったり、セッ○スをするでもない、不器用だがそれ故にグッとくるラブシーンだ。


別れる直前、女性2人が最後のお礼にと紅茶とサンドイッチを奢ってくれることに。
最初は男たちを小馬鹿にしていたようでもあったが(主にクラウディアが)、彼女たちは感謝の念を忘れてはいなかったのだ。
いつもコーヒーやウォッカばかり飲んでいる男たちの、微妙な反応がまた面白い。
港へ着いて、さぁお別れ。かと思いきや、心変わりした男2人も車ごと乗船してしまう。

思わぬ、だがユル~く再会した4人。
船上でレイノとタチアナのカップルはより仲を深めていく。
下船し、まずクラウディアとお別れ。彼女はヴァルトに小包を渡すが、これは一体なんだろう?
さて次は、タチアナを家まで送ろう。無事送り届けた男たち。
ヴァルトが帰ろうと促すが、レイノは残って彼女と暮らすと言い出した。しかも作家になるとまで宣言。
な、何故に作家なのだ。そんな伏線今まで1つも無かったがな。
大真面目に言うレイノことマッティ・ペロンパー。とりあえず笑わせてもらいました。

図らずも1人で帰ることになったヴァルト。
誰もいない船内で、クラウディアから貰った小包を開けると、なんと電気式コーヒーミルが。
これはたまらない。
コーヒー好きだから貰って嬉しいのは勿論のこと、ほとんど相手をしなかった女性から貰うなんて。なんて素晴らしい贈り物。
突然、あるお店に車が突っ込んだ。顔を出したのは別れたはずの4人。コーヒーを注文し、テレビに映るロックンロールに見とれる4人。

かと思えば、それはヴァルトの妄想だった。ドライブスルー的なお店のテレビで、ヴァルト1人がロックンロールの映像を見ていたのだった。思い出は彼方に……といった感じか。
家に帰ったヴァルトは、物置から母親を解放し、また仕立て屋の仕事に戻る。

冒頭のシーンに戻った。
だが決定的に違うのは、自分を含め4人でグダグダな旅をしたこと。かけがえのない贈り物を貰ったことである。


観客が「次はこう来るだろう」と思っている予想を、スルッと何食わぬ顔でかわしていくのがカウリスマキ映画の真骨頂であり、この映画も例外ではない。
まぁ、カウリスマキ映画に一般映画のような恋愛シーンを期待したりするのがそもそも間違いなのであるが。
カウリスマキ自身が明言するように、彼は小津安二郎やフランス人監督のロベール・ブレッソンの影響を多大に受けている。
したがって、
台詞が少ない、
フィックスの画、
手や小道具のアップ、
(リアクションのほぼない)俳優たちの顔のショットなどで映画が構成されている。

最初の方でカウリスマキ映画の特徴をつらつらと書いたが、まず第一にこのような映画の作り方をしているということが重要だ。
そのため、俳優たちの何気ない顔や動作に注意がいき、その動きがいちいち面白く感じられる。
意味深なショットを撮っているというよりは、「こういう語り口しか知らないんだよ」と言わんばかりなので、観ているこちらは滑稽に感じるし、彼のこうしたブレない撮り方に安心する。
ハマると一生抜け出せそうにないのが、アキ・カウリスマキの魅力だ。


何故、数ある作品たちの中から『愛しのタチアナ』を今回選んだのかというと、実はたいした理由はなく、観やすい上映時間、基本はすべて押さえてある(カラーではないのが押さえられていない箇所だが)カウリスマキ流映画作り、マッティ・ペロンパーの遺作であること、そして何より「コーヒー」と「車で旅をする」という、個人的にマストなポイントが前面に出ている映画であるからなのであった……

イラスト:城間典子

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