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2024年8月30日金曜日

第34回 ここ最近観た映画たちを一気にレビュー!の巻。

 こんにちは!
台風10号のため、図らずも5連休を頂戴する事になった岩佐です!
連休初日の木曜日は、ダラダラ過ごす事からスタート。
このままではいかんと発破をかけて、ブログ書きに臨んでいる次第。

前回はスヌーピーと押切蓮介さんという僕の推しについて書いたのですが、元々このブログは映画の紹介ブログじゃないか!
このままではいかんと(2回目)、今回は手短ながら最近観て印象に残った映画たちのレビューをしちゃおうと思います!


『夜明けのすべて』(2024年 監督:三宅唱 主演:上白石萌音 / 松村北斗)
2024年に入って、最初に好きになった映画です。
人には言いづらい悩みを持つ2人の男女が、慣れ合うでもなく恋愛に発展するでもなく、互いの事を思いやって支えていく。そんな物語です。
主演の二人は既にメジャーな存在ながら、世俗に疎い僕は本作で二人の良さを発見しました。気張り過ぎない存在感が実に良き、です。
そして三宅監督の眼差し。まるで星空のように様々な光が明滅するこの世界で、大小様々な悩みを抱えて生きる人たちに寄り添うかのような目線で描写しています。
画面に映る風景も単に「街並み映してます」ではなく、人物たちが「一歩一歩を踏みしめて生きている場所」というこれ以上ない映し方であり、流石のストリート感覚だぁと思うのです。


『オールド・フォックス 11歳の選択』(2023年 監督:シャオ・ヤーチュアン)
バブル期の台湾。お金を貯めて、いつの日か理髪店を開業する事を夢見る親子、タイライとリャオジェ。慎ましく生きる二人をよそに、バブルの波が容赦なくやって来る……。
お人好しである父タイライと、腹黒いキツネと呼ばれる地主のシャ。二人の大人を軸に、どう生きていくのかを選択する少年リャオジェ。
少~し『ゴッドファーザー』のような、裏社会ものの匂いも漂う本作。ただ、悪役と呼べる人物はおらず、生き方の選び方が異なる人々を映しだし「それが正解なのかな」「あの時の選択で良かったのかな……」と観客に問うているような感じです。観ている観客自身にも置き換えられそうな、普遍的な話でもあると思いました。
雨に濡れる台湾の街並みがどこか懐かしく、そんなところも、本作が遠いようで近くに感じられる所以かもしれません。


『ルックバック』(2024年 監督:押山清高 主演:河合優実 / 吉田美月喜)
もともと原作コミックを妻の典子さん(以降、カミさんと記す)が持ってた&音楽がharuka nakamuraだった&何だか評判になってる、という理由で観に行った本作。
いやー、ビックラこいた&泣いた泣いた。一体なんなのか、この化け物映画は。
「漫画を描く」二人の少女が進んだ道のりを描いた本作は、クリエイターであろうとなかろうと響く物語ではないでしょうか。目の前には見えないけれど、目標、否、その人の背中を追い続けてあがく。努力、頑張る、というよりも、あがく。
人が生きる上で持っているであろう普遍的な感情を、圧倒的なアニメ力で描き切っており、原作の凄さをアニメの凄さでプラスに持って行った、原作と映画化の理想的な結婚と言っても過言ではないでしょう。
ちなみに、主役を演じた河合優実さん、吉田美月喜さんの事も、本作で知りました。凄い演技でした。正に役そのもの。彼女たちは、ドラマや映画に引っ張りだこなのですね。
嗚呼……疎いってのは、良いも悪いも一長一短。
(鑑賞後、藤本タツキを追いかけたい衝動に駆られて短編集や『チェンソーマン』を読破、アニメ版も鑑賞しました。いやー、この人のセンス、好きだわぁ)


『潜水艦コマンダンテ 誇り高き決断』(2023年 監督:エドアルド・デ・アンジェリス)
映画館でこんなに硬派な戦争映画を観たのは、久しぶりな気がします。しかも極力CGに頼らずセット中心で撮るというアナログっぷり!
さすがヨーロッパ最大級の映画撮影所、チネチッタを有しているイタリアです。
(何だかここ数年、ロケやCGではなくセットメインで撮っている映画を観ると、それだけで好感度あがるんですよ)
潜水艦バトルよりも乗員たちのドラマに主軸を置いており、屈指の名場面はフライドポテト。さっすが、食の国イタリアは違うねぇ!
骨太な映画をお探しの方、これは必見ですよ!



4本一気に紹介してみました。どうでしょう、何か気になった作品、ありましたか?
『マッドマックス フュリオサ』
『越後奥三面 ~山に行かされた日々~』
『お母さんが一緒』
『クレオの夏休み』
『風が吹くとき』
『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ』
『THE FIRST SLAM DUNK』(以下、ファースラ)
『墓泥棒と失われた女神』
などなど、他にも素晴らしい映画たちを観ているものの、文章量がドエライ事になりそうなので諦めます。
ファースラがすんばらしくて、現在原作コミックをレンタルして読んでます。
大昔に読んだ事あったけど、いやー、改めて面白い漫画ですね。魅せ方が上手すぎる。アニメ版もこの流れで観ちゃうか……?


また次回、こんな感じで紹介記事を書けたらと思います。
……推しの記事もね!

2018年10月30日火曜日

第14回 『鬼火』が消える頃に。


僕の誕生日は10月2日、つまり秋のど真ん中。それもあってか、秋が一番好きな季節です。
カラッとした空気感が実に過ごしやすいし、芸術の秋と言われるだけあって、読書にもってこいの季節だし。
しかし同時に、寂しさの募る季節、という思いもあります。
空気感がそう思わせるのでしょうか。そしてそれ故でしょうか、ピアノの音が恋しくなってきます。
今年は何故か、特にピアノの曲が聴きたくなったので、手元にあるピアノアルバムを引っ張り出しては聴くのですが、
どうもジャズのアルバムだと違うようです。
『1999年の夏休み』のおかげで聴くようになった、中村由利子さんのアルバムは…… 良いですねぇ、ピッタリきますねぇ!
要するに、どこか湿り気と言うか、感傷的な雰囲気のピアノの音を求めているようなのです。
そしてもう一人、エリック・サティ。

彼の作り出したピアノの曲たちは、今の僕に深く沁みてきます。
一聴しただけだと暗いようなイメージを持ってしまうサティ。
しかし何度も聴いていくうちにその儚い音の調べが、自分に寄り添ってくれているような優しさを感じる事が出来ます。
いつでもサティの音楽に浸るため、高橋悠治氏によるサティのCDを購入しちゃいました。


さて、そんな中でお送りする「怒涛の4連発投稿」第3弾は
そのサティの曲が全編に渡って流れるフランス映画『鬼火』(1963)をご紹介します。
監督は『死刑台のエレベーター』(1958)で鮮烈な長編映画監督デビューを飾った、ルイ・マルです。



ニューヨークでの結婚生活に破れ、アルコール中毒となり、ベルサイユの病院で精神療養を受けている男アラン(演:モーリス・ロネ)。
彼は7月23日に自殺をしようと決めていた。今の彼にとって、人生は何もない空っぽの入れ物だ。
自殺するまでの48時間、彼はかつて青年時代を過ごしたパリへ赴き、街を歩く。そして、昔の友人たちを訪ねてゆく……



モーリス・ロネと言えば、『死刑台のエレベーター』で主人公ジャンヌ・モローの為に殺人を犯し、ふとしたミスでエレベーターに閉じ込められてしまう不倫相手を演じたり、『太陽がいっぱい』でアラン・ドロンによりなりすまし殺人の被害者となってしまった金持ち息子の役などが有名な、ここに書いただけでも「受難の役が多いなぁ」という印象を抱いてしまう役者です。
本作での全てを投げ出しているような虚ろな眼差しは、凄く説得力があります。


病院はかつて貴族が住んでいたであろう館で、立派な個室が与えられています。
アランの部屋にあるのは、かつて共に過ごした妻の写真たち、マリリン・モンローや何処かの少年が死んだ記事の切り抜き、フィッツジェラルドの本、こけし、そして拳銃。
彼は常に死に囲まれており、先生が部屋を訪ねて「人生はいいものだよ」と言っても、上の空。


そんな彼が自殺を決意し、最後に友人たちを訪ねるわけですが、人生に落胆し、過去にすがる事でしか生きられないアランとは違い、
友人たちは結婚したり、新たなグループを作ったり、政治活動にのめり込んでいたりと、新たな生活を送っています。
アランは、そんな彼らの姿に愕然とし、ますます自分だけの孤独と言う名の硬い殻の中に入り込んでゆきます。
結婚した友人に対しては、彼が送っている「平凡な生活」に嫌気が差す。
麻薬という道具で日々を怠惰に、しかし希望だけは持って生きている仲間に対しては、その精神を理解する事すら拒む。
政治活動をしている友人たちの中に入って会話をしても、心は満たされない。
雨に降られながら訪れた友人の晩餐会では、自分が会話のネタにされて鬱々としてしまう。かつてアランが好きだった女性が優しく
接しても、もうアランにはその優しさは届かないのです。


終盤、彼は話し相手から「君は人を愛しているのか?」と問われ、
「僕は愛されたい。僕が愛するように」と答えます。
エゴだよそれは! と某ロボットアニメの主人公なら言いそうです。と言うか、僕も言いたい。
しかし、それが彼の考える愛であり、人生の理想なのです。
すごくワガママだなぁとも思うのですが、そんな気持ち、誰にだって少しはあるのではないでしょうか。僕にだってあります。
周りの人たちが自分の思うように接してくれなくて、自分以外の世界に対して常に怒り、絶望し、生きるのヤダナーと思う時。
そんな時、ある人は音楽を聴いたり、身体を動かしたりしてストレスを発散させるかもしれません。
または、その怒りのエネルギーで何かを創り出すかもしれません。
犯罪に走るかもしれません。
これがエヴ○ンゲリ○ンの主人公だと、「みんな死んじゃえ」となってしまう。
閉じこもり続けて、最後は「自分」を世界に突きつけようとするんですね。

アランは自殺という形で、世界に対し「自分」を刻み込もうとするのです。
それはあまりに哀しい事です。
自殺する事で世界に楔を打ち込んだと自殺する側(アラン)は思っていても、いずれ時が経ち、皆から忘れ去られてゆくのが、世の常なのですから。



中盤、アランはカフェの椅子から、道行く人々を眺めます。
楽しげに歩いてゆく人。考え事をしているような人。恋人たち。様々な人が、アランの目の前を通り過ぎていきます。そんな彼らの姿も、彼には虚しく映ります。何の感慨も、与えてくれません。
このシーン中、サティの『グノシエンヌ』が流れています。
北野武の監督デビュー作、『その男、凶暴につき』でも印象的な使われ方をした曲ですが、ここでは、アランの抱える虚無感を雄弁に物語っています。
サティの曲の中で特に有名な『ジムノペディ』『グノシエンヌ』が映画の節々で実に効果的に使われているので、そこも要チェックポイントですよ。



『鬼火』というこの映画は、暗く、寂しく、静かな映画です。
しかし、何かの折に観返してほしい、観返したい映画の一つです。
最初観た時はアランの心理について行けないと感じられても、次に観た時はまた違う風に見えてくるかもしれません。


イラスト:城間典子

2018年3月1日木曜日

第8回 『愛しのタチアナ』こと、ゆる旅コーヒーの巻。

{はじめに}
この文章は、2016年2月18日発行の『taomoiya雑文集』に掲載された『映画、めくるめく冒険』番外編の文章を再録したもので、ほんの少しの加筆・修正を加えたものです。

『はじまりのうた』に続く「春にピッタリ!? 怒涛の2連発投稿」の次なる作品は、大好きなフィンランドの監督、アキ・カウリスマキ監督の『愛しのタチアナ』です。
この掌編と言ってもいい映画が、大好きなんですよ……まぁ、本文中にも書いてあるとおり、コーヒーと旅がメインだから、という単純な理由が大きいのですが。
そう言えば先日、最新作の『希望のかなた』(2017)を観たのです。素晴らしいの一言でした。
この映画も、いずれ当ブログで取り上げたいと思います。



ドラえもんではないが、「あんなこと良いな、出来たら良いな」などと実生活において思うことはないだろうか。僕は何度となくあるが、中でも「車の中で淹れたてのコーヒーが飲めたら」が実現してほしいこと№1だ。
缶コーヒーでもドライブインのコーヒーでもなく、自分で淹れた、自分のコーヒーをである。
そんな僕の願望を、フィンランドの映画監督であるアキ・カウリスマキが映画の中で実現させていた。

その作品を観たとき、僕は「コレだよコレ!」と感嘆したものだ。
その映画こそ、今回ご紹介する『愛しのタチアナ』(1994)というモノクロのロードムービーだ。


アキ・カウリスマキという監督は、現役で活躍している映画監督の中で一番「人を食った」映画を撮る男である。
原色バリバリのセット、魅力的であろうフィンランドの風景をあえて撮らない、登場人物は始終しかめっ面で感情の起伏に乏しい。
映画の中に必ず1回は音楽の演奏シーンが挿入される(作品によっては、歌いきるまで映す作品も!)。
すっとぼけたユーモアが全編を覆っているが、ただ単に面白おかしいのではなくて、不況や難民といった政治的問題をテーマにしている作品が多い。
そのあまりにもブレない映画スタイルは、数多くのファンが世界中にいる。

『愛しのタチアナ』は62分という短い作品で、愛すべき佳作といった趣きなのだが、「カウリスマキ歴」においては重要な作品でもある。
彼のデビュー作『罪と罰』(1983)から出演し、カウリスマキ映画の看板俳優であり続けた俳優、マッティ・ペロンパーの遺作なのだ。
ちなみにこの愛しき俳優は、見た目がオットセイのような人相なので、彼の出ている作品を一度観てしまえば一発で覚えてしまう、俳優の顔を覚えるのが苦手という人にとても優しい俳優でもある。


物語は、コーヒー中毒の仕立て屋ヴァルトが母と家で仕事をしているところから始まる。
このヴァルトという(一応の)主人公が、只者ではなかった。
ヴァルトはコーヒー豆が切れている事にキレて、あろうことか母親を物置に閉じ込め、彼女のお金を拝借し、家を飛び出すのである。
僕もコーヒー大好き人間だが、いくらコーヒー豆が切れているからといって実の母親を閉じ込めはしないよ。
ヴァルトは修理に出していた愛車を引き取りに、修理工レイノ(これを演じるのが、我らがマッティである)の元へ赴く。そして2人は退屈な日常から解放されるため、車で旅へ出た!

……という爽やかな映画ではない。
初めのうちこそ、ヴァルトは車中で大好きなコーヒーを淹れて飲んだり(ここでドライブ用のドリップ式コーヒーメーカーを用いてコーヒーを淹れるのだ。欲しい!)、レイノはレイノで大好きなウォッカをラッパ飲みしながら喋りまくる。
カウリスマキ映画にしてはご機嫌な幕開けかと思いきや、夜になって2人はすっかり黙り込む。
よし、いつものカウリスマキ映画だ。

2人はある店に立ち寄るが、そこで2人の外国人女性と出会う。
1人はエストニア人の女性タチアナ(この役を演じるは、マッティに次いでアキ組常連の女優カティ・オウティネン)、もう1人はロシア人女性クラウディア。
彼女たちはフィンランドへ出稼ぎに来ていたらしく、ヘルシンキの港まで送ってほしいという。
男女4人のドライブ&恋愛ゲームの始まり……とはならない。
ホテルに一泊することになった4人。
さも当然かというように、タチアナはレイノの部屋へ行き、クラウディアはヴァルトの部屋へ。
2人きりになったからといって、ムフフな感じにならないのはお約束。
食堂に行ってもお金がなく、マズいコーヒーを飲むだけ、煙草を吸うだけ、つまらない話をするだけの殺伐とした状況。
しまいにはレイノが「もう寝る」と言い出す始末。
お互いにとって散々な夜だろう。

結局何もないままホテルを後にし、旅を続け、野宿をする羽目になった4人。
ヴァルトとクラウディアが車中で休んでいる間、レイノは勇気を出して車から離れたところで座っていたタチアナの横へ座る。
するとタチアナ、無言でレイノの肩にもたれかかる。そしてレイノはタチアナの肩にそっと腕を回すのだ!
ホテルの時はロクに言葉も交わさなかった2人だが、ちゃんと心は伝わっていたようだ。
この映画唯一のラブシーンだが、「愛してる」などと言ったり、セッ○スをするでもない、不器用だがそれ故にグッとくるラブシーンだ。


別れる直前、女性2人が最後のお礼にと紅茶とサンドイッチを奢ってくれることに。
最初は男たちを小馬鹿にしていたようでもあったが(主にクラウディアが)、彼女たちは感謝の念を忘れてはいなかったのだ。
いつもコーヒーやウォッカばかり飲んでいる男たちの、微妙な反応がまた面白い。
港へ着いて、さぁお別れ。かと思いきや、心変わりした男2人も車ごと乗船してしまう。

思わぬ、だがユル~く再会した4人。
船上でレイノとタチアナのカップルはより仲を深めていく。
下船し、まずクラウディアとお別れ。彼女はヴァルトに小包を渡すが、これは一体なんだろう?
さて次は、タチアナを家まで送ろう。無事送り届けた男たち。
ヴァルトが帰ろうと促すが、レイノは残って彼女と暮らすと言い出した。しかも作家になるとまで宣言。
な、何故に作家なのだ。そんな伏線今まで1つも無かったがな。
大真面目に言うレイノことマッティ・ペロンパー。とりあえず笑わせてもらいました。

図らずも1人で帰ることになったヴァルト。
誰もいない船内で、クラウディアから貰った小包を開けると、なんと電気式コーヒーミルが。
これはたまらない。
コーヒー好きだから貰って嬉しいのは勿論のこと、ほとんど相手をしなかった女性から貰うなんて。なんて素晴らしい贈り物。
突然、あるお店に車が突っ込んだ。顔を出したのは別れたはずの4人。コーヒーを注文し、テレビに映るロックンロールに見とれる4人。

かと思えば、それはヴァルトの妄想だった。ドライブスルー的なお店のテレビで、ヴァルト1人がロックンロールの映像を見ていたのだった。思い出は彼方に……といった感じか。
家に帰ったヴァルトは、物置から母親を解放し、また仕立て屋の仕事に戻る。

冒頭のシーンに戻った。
だが決定的に違うのは、自分を含め4人でグダグダな旅をしたこと。かけがえのない贈り物を貰ったことである。


観客が「次はこう来るだろう」と思っている予想を、スルッと何食わぬ顔でかわしていくのがカウリスマキ映画の真骨頂であり、この映画も例外ではない。
まぁ、カウリスマキ映画に一般映画のような恋愛シーンを期待したりするのがそもそも間違いなのであるが。
カウリスマキ自身が明言するように、彼は小津安二郎やフランス人監督のロベール・ブレッソンの影響を多大に受けている。
したがって、
台詞が少ない、
フィックスの画、
手や小道具のアップ、
(リアクションのほぼない)俳優たちの顔のショットなどで映画が構成されている。

最初の方でカウリスマキ映画の特徴をつらつらと書いたが、まず第一にこのような映画の作り方をしているということが重要だ。
そのため、俳優たちの何気ない顔や動作に注意がいき、その動きがいちいち面白く感じられる。
意味深なショットを撮っているというよりは、「こういう語り口しか知らないんだよ」と言わんばかりなので、観ているこちらは滑稽に感じるし、彼のこうしたブレない撮り方に安心する。
ハマると一生抜け出せそうにないのが、アキ・カウリスマキの魅力だ。


何故、数ある作品たちの中から『愛しのタチアナ』を今回選んだのかというと、実はたいした理由はなく、観やすい上映時間、基本はすべて押さえてある(カラーではないのが押さえられていない箇所だが)カウリスマキ流映画作り、マッティ・ペロンパーの遺作であること、そして何より「コーヒー」と「車で旅をする」という、個人的にマストなポイントが前面に出ている映画であるからなのであった……

イラスト:城間典子