2018年10月29日月曜日

第13回 『1999年の夏休み』を忘れない。

{はじめに}
今まで僕は再録記事の事もあり、文章の書き方を「である調」で書いていたのですが、これからは再録記事はなるだけそのまま、
あらすじのみを「~だ調」とし、基本的には「ですます調」で書いていこうと思います。
突然変えたくなったというワケではなくて、以前から「大した事も書いてないのにである調で書くのは、何だか論文を書いてるみたいで気取ってるなぁ」などと思っていたのです。
僕自身、映画の紹介やエッセイなどですます調の方が、すんなりと文章の中へ入っていけるのです。
肩肘張って「~なのだ、か。フムフム」となるより、気軽に読んで頂きたい。そんな思いから、文体の変更をする事となりました。
そんな新スタイルでお送りする「怒涛の4連発投稿」第2弾は……


お金も無いくせに、同じ映画を2回観に行ったのです。
まさか自分も、連続で観に行く事になるとは、観る前は考えもしませんでしたが、1回目の鑑賞の際にすっかりその物語、世界観にハマり込んでしまいました。
そして、こうも思いました。
「この映画は、これからもずっと自分にとって大切な映画になるのだ」と。
今年もすでに10月、様々な映画たちを映画館や自宅で観ましたが、ここまで思わせてくれたのはジョン・フォードの『わが谷は緑なりき』(1941)と、フレディ・M・ムーラーの『山の焚火』(1985)くらいでしょうか。
「もう一度、今度は1番前の席に座って、彼らの姿を観ておきたい」(初見の時は、前から2番目の席で、前の座席の方の頭が時おり邪魔になってしまったのです)と、観終わった時に直ぐ決めました。
その映画は1988年に作られた、『1999年の夏休み』という邦画です。
監督は、後に平成ガメラシリーズで日本映画史に名を残すこととなる、金子修介さん。
初めて自らの企画で作られた映画なのだそうです。


物語は1999年、ある全寮制の学院が舞台。山と緑に囲まれたこの場所で、少年たちは共同生活をしていた。
ある夜、悠(演:宮島依里)は崖から湖に身を投げてしまう。
そんな事件が起き、学院は夏休みを迎え、帰るあてのない少年たち3人が残った。
以前から悠が自分のことを想っていたにも関わらず、それを拒んでいたことで自責の念に駆られている少年、和彦(演;大寶智子)。
そんな和彦に深い思いやりで接する、リーダー格の直人(演:中野みゆき)。
和彦の悠に対する想いに強い嫉妬のようなものを抱いている、下級生の則夫(演:水原里絵)。
3人で過ごす夏休みが始まったかと思いきや、悠にそっくりの転入生、薫(演:宮島依里)が現れ、3人は動揺する……



この映画には、原作と言うか原案として、少女漫画家 萩尾望都の『トーマの心臓』があるのですが、クレジット上にはその名前は載りません。原作を読んでみると、今作は『トーマの心臓』を下敷きとした、一種の翻案なのです。
よく映画の宣伝文句で「5人だけで展開される、衝撃のサスペンス!」とか「3人の世界が……」といった、まるでその人数だけが映画に登場するかのような言い回しをしているものが多いですが、往々にしてそんな事はなく、モブなんかがワチャワチャいるもの。
しかしこの映画、本当に4人しか画面に出てこないのです(正確には、ナレーターの方もいて、その人もきちんとクレジットあり)。
脚本が劇作家でもある岸田理生ということもあってか、けっこう演劇のような作りです。
あらすじ部分を読まれて「んっ!?」と思われたかもしれませんが、そう、本作では10代の少年たちの役を10代の少女たちが演じています。
特に、則夫役を演じた水原里絵は本作がスクリーンデビュー作であり、その後、深津絵里という名前で有名になる女優なのです……(えーっ!)
初見時は一瞬「え、どこだ?」となったのですが、力強い目を見て分かりました。分かった上で、ちゃんと男の子っぽいのです。
ぱっと見、石井隆監督の『GONIN』(1995)に出演した時の本木雅弘に似てるんですよ。
まぁ、両方とも刈り上げ頭で目が大きいために、そう思うのでしょうが。
悠と薫の2役を演じた宮島さんも、遠くから見ると「どこかのお金持ちのおぼっちゃん」に見えて仕方ないし、和彦役の大寶さんもクールな感じの雰囲気をまとっており、「これは女の子人気を独占だな!」と思わせてくれます。
(事実、このblogで挿絵を担当している城間さんは和彦が良いんだそうで)
ただ一人、直人役の中野さんは男の子には見えにくい気がするのですが、役どころを考えると、それも有りな気がしてきます。
「女性が男性の役をする」なんて、舞台ではともかく映画だとコスプレに陥ってしまうのが多々あるワケですが、この作品は題材が題材なだけに奇跡的に上手くいっています。
彼女たちが彼らを演じるからこそ生まれる、キャラクター、及び世界観の純度の高さとか、禁欲的なエロチシズムとか……
このあたりの的確なキャスティングと演出の仕方は、さすが金子監督。


薫が現れることによって、悠の事を思い出さざるを得なくなった3人と、薫の謎、愛が物語の主軸ではありますが、僕がこの映画をここまで愛してしまったのは、この映画の中に流れる「時間」の捉え方に、ひどく心打たれたためでしょう。
この映画は愛の映画です。
しかしそれだけではなく、スクリーンを見ている我々観客がもう戻ることの出来ない「かつて誰にでもあった時間」を思い起こさせてくれます。
僕は小~高校までの友人たちを、友人として愛しています。特に中学時代の友人たちでしょうか。
僕は大分県の田舎で育ったため、小学校の友だちはそのまま中学校の友だちでした。
見慣れた友人たちと、中学校という事でそれまでとは違う校区からも数人やって来て、中学時代を過ごしました。
中学時代が、いちばん物を吸収し、様々な事に悩んでいたように思います。
時に友人、時に敵となった皆。そんな皆と喋り、学び、遊んだ日々。
そんな平穏と激動が混ぜこぜになってやって来ていた毎日を、僕は思い出していました。
特に僕は、将来の深津絵里こと則夫に自分を重ねて観ていたようです。
彼は最年少であることから、他の3人について行こうとしたり、生意気にも口を挟んでみたり、月日の流れを考えて焦ってみたりします。
終盤が始まる頃、4人が花火で遊ぶシーンがあります。このシーンはとても美しく、同時に儚く、今思い出しても胸に来るものがある本作のハイライトとも言える名場面ですが、ここで則夫は突如として独りになります。花火で戯れる3人を目にしながら、これから起こる月日の流れがもたらす別れを感じてしまうのです。
どこか語り部のような役割を持っていた、主軸から外れたように見えていた則夫が、ここに来て
「この作品が持っていた時間」を体現していたんだぁ……となり、観てるこちらは「ううっ、則夫ぉ……」となってしまう始末。
(気持ち悪っ! などと思わぬこと!)


書き出せばキリがない映画です。何処を観てほしいか、と聞かれると「全て!」としか言えません。
キャスト、脚本、世界観、美術、音楽、演出…… そう言えばこの映画、則夫と悠を除いて、
少年たちの声を3人の声優さんがあてています。
薫の声は、今や日本一知られている名探偵、コナン君でお馴染みの高山みなみ。
一声聞いただけで分かってしまうくらい特徴的な声の高山さんですが、この映画の時はまだデビュー1年目。
「薫は高山みなみ」と何度言われても分からないくらいの、(今とは違う)少年声をやっています。
和彦の声は、『AKIRA』(1988)の鉄雄や、TVアニメ『幽☆遊☆白書』(1992~'95)の浦飯幽助が有名な佐々木望さん。
この方は、ある時期を境に声が文字通りガラッと変わった声優さんですが、この頃はバリバリの少年声。しかも、いつもの高い調子ではなく低めのトーンで喋るため、最初は「どれが佐々木さんだ?」と分かりませんでした。
しかし、中盤で3人が行方不明になった則夫を探すシーンで和彦が「則夫何処だ~っ!」と叫ぶところで「あ、これは佐々木さんだな」と思いました(笑)
この人は叫び声が特徴的なのですね。
直人の声を充てた村山博美さんは…… 失礼ながら存じ上げておりませんでした。
リーダー的存在である直人のキリっとした雰囲気を、実に見事にあてておりました。
そして地声で悠を演じた宮島依里さんは現在声優として活躍されており、調べてみるとあんな映画やこんな映画の吹き替えを担当しており、「えっ、『500(日)のサマー』のサマー声やっとんの!?」となりました。

そして何と言っても、この映画を彩る要素で欠かせないのは音楽。
中村由利子さんが演奏するピアノの美しいこと!
本当はこの映画用の音楽ではなく、中村さんの1stアルバム『風の鏡』(1987)を金子監督が「本作にピッタリだ!」と気に入って使ったのですが、見事に作品世界にマッチ。
リマスター版のBlu-ray発売が待たれる今、何度もこの映画を思い出したい僕は、思わず『風の鏡』
をAmazonで買いましたよ。そして、ほぼ毎日ヘビロテで聞いております。ええ、幸せです。


嗚呼、キリがないと書きつつ、またつらつらと書いてしまいました。それだけオススメの映画なのです。
だがしかし! この度のリマスター版上映は終わってしまい、かつて発売されていたDVDも今や廃盤状態。
これから必ず発売してくれるであろう、リマスター版Blu-ray、DVDを共に待とうではありませんか!
そして、是非とも観ていただきたい。きっと、あなたの大切な映画になることと思います。


イラスト:城間典子

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