2018年10月29日月曜日

第12回 『最前線物語』という名の、もう1つの『この世界の片隅に』。


{はじめに}
この文章は、2017年3月15日発行の『taomoiya雑文集』に掲載された『映画、めくるめく冒険』第14回の文章を再録したもので、ほんの少しの加筆・修正を加えたものです。
皆さま、ご無沙汰しております。僕は元気です。
なんと、以前の投稿から約4ヶ月も経っていました…… 投稿されるのを楽しみに待っていたという方、お待たせしてすみませんでした。
苦しい言い訳を重ねるのは簡単な事ですが、ここではそんな事は止めにして、ひたすら投稿されなかった分の記事を読んでもらいたいと思っております。
愛想を尽かしてさった方々にも、いずれまた見てもらえるような素敵なblogを書いておこうと思うのです。
そんなワケで今回は、「岩佐悠毅のゴメンナサイ! 怒涛の4連発投稿!」と題して、
夏らしい2本、秋に似合う2本の計4本を連続で投稿します。
つまり1本目は夏らしい作品の紹介なのですが…… これは再録記事です(オイッ!)。


去年は、ノーランの『ダンケルク』やメルギブの『ハクソー・リッジ』といった力作戦争映画が公開された年です。
僕は記事(*以前taomoiya雑文集で、この記事を投稿した時です)の中で『この世界の片隅に』を観ながら、
『最前線物語』の事を思い出していたと書いたのですが、『ダンケルク』を観た時も思い出してしまったのです。
あの映画は「兵士たちの行動のみ」に重点を置いた、今時珍しい戦争映画でした。
あえて今までのような複雑な語りを止め(とは言え、最初のうちは誰が誰で何処でと混乱しかねないですが)、行動のみで語るシンプル極まりない映画になっていて、そこがずっとノーランを苦手としていた僕は「良いな」と思えたのです。
しかし! 『最前線物語』は「行動」だけでなく、「ドラマ」も上手く絡み合って
「兵士たちの日常」を見事に描いています。
何だか、色々比較できて面白いものですね。では、どうぞ。



『この世界の片隅に』が怒涛の勢いだ。映画雑誌で軒並み1位を獲得し、日本アカデミー賞も獲得。
片渕須直監督は先日、上映のためにメキシコに行ってしまった。
(追記:そして今度は長尺版である『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が公開されますね!)
「片隅」どころか、全世界に羽ばたいている『この世界の片隅に』である。
なぜ今回、こんな事から書き出し、思いっきり『この世界~』人気にあやかったかのようなタイトルにしたのかには、勿論理由がある。
あやかっているワケでもないぞ。

『この世界~』公開初日、僕はスクリーンを見つめながら1つの映画を思い出していた。
その映画とは、1980年のアメリカ映画『最前線物語』。
監督は『拾った女』(1953)『殺人地帯USA』(1961)『ショック集団』(1963)『裸のキッス』(1964)
など数々のB級映画を監督してきたサミュエル・フラー。
タイトルがいかにもキワモノ臭い作品が多いが、実際に観てみると社会的テーマを上手く作品のなかに溶け込ませている。
彼は、映画監督になる前はジャーナリストであった。
彼はどの映画においても単に刺激や快感を与えるだけの映画にせず、世界に、とりわけアメリカに対する警鐘を鳴らしていた。
『最前線物語』は、そんな彼の集大成のような映画だ。

第一次大戦を生き延びた、1人の老軍曹(演:リー・マーヴィン)。
彼は第二次世界大戦では「ビッグ・レッド・ワン」=アメリカ第1歩兵師団の分隊長として従軍し、
4人の若い兵士たちと様々な戦場を巡る事となる……

というのが大まかな筋で、この映画において筋運びは大して重要ではない。
この映画は、様々な場所で戦闘を行いつつも何故か死なない軍曹と4人の兵士たちが主人公という、ちょっと不思議な映画なのだ。
多くある戦争映画は、何かしらの主人公たる要素(実際の人物を基にしていたり、ヒロイズム溢れるキャラクターだったり)
があるものだが、この『最前線物語』においてはそんな通常の戦争映画に出てくるような人物たちは皆無に等しい。
それどころか、4人の若者を率いる軍曹は名前すら無い! 非常に匿名性を帯びた存在だ。
北アフリカ上陸作戦、ロンメル戦車軍団との激戦、ノルマンディー上陸作戦(Dデイ)、ベルギーでの奇襲作戦……
この映画で5人は数多くの戦場に赴き、生き残る。
5人だけではままならんという事で、主人公たちの分隊に配属される若い兵士たちが何度か登場するのだが、
彼らはあっけなく死んでいく。
死に際のドラマなんて勿論描写されない。主人公たちの歩む道には、敵味方関係なく多くの屍が転がっている。
かと思えば、あるフランス人農婦が産気づく現場に出くわし、赤ん坊の出産に立ち会う。(コンドームをゴム手袋代わりに使う!)
この映画では、生と死がまさに等しく描かれている。死に関する描写が圧倒的に多いのだが、
それは兵士たちにとって日常的な出来事として描かれる。
『この世界~』の中で、空襲の頻度があまりにも多いため、すずさんたちが辟易するシーンがある。
そこで描かれるのはすずさんたちの日常だが、他の場所では、その空襲で亡くなっている人もいる。
その「主人公の日常と並行して描かれる誰かの死」が、この『最前線物語』と非常によく似ているのだ。
かたや一兵士たちの日常。かたや一市民の日常。
どちらも「戦争」という大きな「流れ」を俯瞰ではなく、個人の視点から見つめている点も特徴的であり、かつ似ている。


ラストにかぶさるナレーションに、こんな言葉がある。
「この戦記は生き残った連中に捧げよう。やっと助かったんだから」
戦争における真の栄光というものは、
重大な任務を達成する事でも、何十人殺した事でもなく、はたまた見事に特攻をやり遂げる事でもない。
生き残る事だ。
戦争が終わった後も、すぐ隣で死んだ戦友たちの分まで精一杯生きる事だ。
サミュエル・フラーは自身の従軍経験を活かし、それを成し遂げた。声高ではない、だが、非常に力強い映画を作り上げた。
この映画はフラーから僕ら未来の世代に対する、遺言のような作品だ。
『この世界の片隅に』を観て感銘を受けた方々は、本作もご覧になる事を強くオススメする。


イラスト:城間典子
(最初に載せたイラストは雑文集掲載時のもの。
次に載せたものが、今回の記事のために描かれたもの。
両方とも、同じ軍曹を描いているのですよ!)

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