2018年10月30日火曜日

第15回 『マイキー&ニッキー』の儚さ、それは夜明けの匂い。

こっ恥ずかしいタイトルで始まった「怒涛の4連発投稿」第4弾、つまり最後の投稿です。
いや~、恥ずかしいタイトルなんて言っときながら
「フフフ、小説のタイトルとかにありそうやな……」とも思ってしまっているのが、輪をかけて恥ずかしい限り。
まぁ、僕なりの茶目っ気という事でひとつ。

思えば今回の連続投稿、『1999年の夏休み』『鬼火』そして『マイキー&ニッキー』と、どれも友情がテーマに絡んでいるのですよ。
偶然にしては出来過ぎている…… かと言って、狙ったワケでもないんですよ。言い訳がましいなぁ、我ながら。
秋と言えばハードボイルドな季節なので、偏愛しているこの映画を今回紹介しようと思い立ったワケです。



『マイキー&ニッキー』(1976 監督・脚本:エレイン・メイ)


まだ大学1回生だった2011年、今にして思えば、一番映画を観ていた頃だったかもしれません。←ホントか?
京都には数多くのレンタルビデオ店があり、ビデオ1やビデオ・イン・アメリカ(白梅町店も、下鴨店ももう無い……)などのおかげで、
ゴダールやタルコフスキー、アキ・カウリスマキ、レオス・カラックス、TSUTAYAでは並ばないような数多くのマニアックな邦画たちなどを一気に観ていました。
そんな中に、ジョン・カサヴェテスの映画もありました。
それまでカサヴェテスの名前を意識したことはなく、彼の事を知ってから
「ああ、『ローズマリーの赤ちゃん』の旦那さんだった人か! 『特攻大作戦』のやたら反抗的だったヤツか!」
と分かるようになったくらいでして。
そんな、「俳優カサヴェテス」が撮った映画ってどんなものだろうと思い『こわれゆく女』『オープニング・ナイト』を観て、どえらい衝撃を受けました。

こんなにパワフルで、ガツンと来る映画を撮っていた人やったなんて!
しかも調べてみると、俳優としても評価されているカサヴェテスですが、「インディペンデント映画界の父」なんて言われていたと書かれているではありませんか!
そんなに凄い人やったんか…… 唖然茫然。これは他のも観なくては!

彼の映画を追いかけていたそんな頃に、京都みなみ会館で『マイキー&ニッキー』の予告編を観たのでした。
主演はジョン・カサヴェテスと、彼の親友でありカサヴェテス組の常連であり、『刑事コロンボ』でお馴染みのピーター・フォーク。
予告編を観る限り、二人が夜の街を駆けまわるという筋書きらしい。

そして、何かよく分からんけど格好いい!
と言うか、二人が主演なら観ないワケにはイカンやろ! といった具合に、楽しみに待っていました。
さて、どんな映画だったかと言うと……


ニッキー(演:ジョン・カサヴェテス)は組織に切り捨てられ、追われる身となっていた。
マイキー(演:ピーター・フォーク)はニッキーと同じ組織に属し、彼を売るようにに命じられていた。
命令を守るのか、親友を救うのか、マイキーは悩んでいた。
彼らは、夜の街を駆け始めた……


一言で言えば、「中年ふたりが逃げながらも、くっちゃべり続ける映画」です。
身も蓋もない紹介の仕方ですね。
いわゆる「ギャング映画」のジャンルに分けられる映画なのでしょうが、そんなジャンル分けは無意味でしょう。
僕にとっては、これは「友情についての映画」であり、「ジョン・カサヴェテスとピーター・フォークという二人の名優の競演を味わい尽くす映画」だったりします。
(だからと言って、ファン受けするだけの映画かと言われたら「違うよ」と言いたい)



ニッキーが身を隠しているホテルからマイキーを呼びつけるシーンから始まるのですが、しょっぱなからニッキーはただ者ではなさそうな雰囲気、言動を観客に見せつけてきます。
自分から呼んでおいて、マイキーをドアの前でひたすら待たせたり、ようやく開けたかと思えば手にしている銃を向けるなど、彼の混乱っぷりにヒヤヒヤさせられます。
生きるか死ぬかの瀬戸際だから、こんなに疑り深かったりしてるのかな、と考えるものの、展開が進むにつれて、どうもニッキーは昔からマイキーの頭痛の種のようだと分かってきます。
そして、そんな大変な友人を持っていても大切な友人としてずっと一緒にいる、マイキーの優しさも。


狙撃されるのは嫌だと言って上着の交換をしたり、酒場に行けばカップルに絡み、映画館に行こうと言い出し、バスの中で急に「お袋の墓参りだ!」と決めて本当に赴いたり……
狙われているとは思えないくらいハチャメチャに動き回るニッキー、それに渋々ながら同行している(同時に、心の中では葛藤を繰り返す)マイキー。
息苦しいホテルの部屋を出たニッキーは、まるで水を得た魚。何とも楽しそうではあ~りませんか。
しかし、追手は確実に存在します。
刺客は太っちょの殺し屋(演:ネッド・ビーティ)です。
人懐っこそうな見た目とは裏腹に、デキる奴オーラがプンプン。ニッキーには、思い入れも無いですし。
とは言え、舞台は夜の都会のド真ん中。あと一歩というところで逃したり、なかなかチャンスに恵まれませんが。


バスの中、ニッキーが煙草を吸っています。オバチャンに注意されても知らん顔。アッカンベーてな具合。
それまで何とかニッキーをなだめたりリードしようとしていたマイキーが、ここではニッキーを「しょうがないなぁ」といった顔で見つめています。
きっと、ずっとこんな感じで彼を見てきたのでしょう。
ニッキーの母親が眠っている墓場で盛り上がる、子供の頃の話。
ヤクザな世界に生きる「悪ガキ精神を持ったままの大人たち」を描いた『エグザイル/絆』(2006)や『狼は天使の匂い』(1972)のように、二人っきりだと昔の姿に戻れるのです。
社会や組織のしがらみなどを気にせずにはしゃぎ回った、かつての自分たちに。



でも、そんな時間はあっという間。ニッキーが愛人の家を訪ねる辺りから、雲行きが怪しくなっていきます。
自分と愛人のイチャイチャぶりを見せつけたり(愛人は「マイキーがいるじゃないの……」と言うのですが、ニッキーはお構いなし)してくるので、マイキーはだんだんウンザリしてきます。
愛人宅を出た後、ふとした口論からニッキーは、マイキーの大事な腕時計を壊してしまいます。それは、死んだ父親の形見でした。
ニッキーは相変わらず「修理すりゃ大丈夫だろ」みたいな軽いノリです。マイキーはそうはいきません。
溜まっていたものが、ついに弾けてしまいました。
「もう知らん!」
マイキーは、ニッキーを置いて去ってしまいます。
果たして、ニッキーはどうなるのか…… それは観ていただきたいので秘密。



「友情」というヤツが持っている空気感と言いましょうか、その微妙なラインを、この映画は実に見事に描いています。
正反対な性格の彼らが、何故こうもずっと付き合っていられるのか。
彼らが過ごす、グダグダとした時間のあるある感。
長い友情にヒビが入る瞬間のあっけなさ。
ヒビが入ってしまってからの彼らの姿は、銃撃戦で誰かが死んだりするよりもよっぽど悲しく、やるせない。
僕らは、確かにこの時間たちを知っています。



たった一晩の物語です。
カサヴェテスもフォークも、既にこの世にはいません。
しかし、僕らがこれから何度も迎えるかもしれない一晩を刻んだ、永遠に輝き続ける映画です。



イラスト:城間典子

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