2023年8月1日火曜日

第24回 『独立愚連隊西へ』戦争は痛快で、愉快で、悲しい。

こんにちは!

8月に入りました。今年は太平洋戦争の終戦から78年目の夏となります。

今回は、その戦時下を生きた映画監督、岡本喜八の代表作にして戦争映画の傑作をご紹介します。

 

『独立愚連隊西へ』(1960年 監督:岡本喜八)

 

舞台は中国北部。歩兵第四六三連隊が八路(パーロー)軍の攻撃を受け、軍旗を持って危機を脱した北原少尉(演:久保明)を残して玉砕。少尉ならびに軍旗の行方が分からなくなってしまった。

報告を受けた本隊は直ちに軍旗捜索隊を編成するが、第一次捜索隊はアッという間に全滅。

次なる捜索隊を探しあぐねているところに、数々の危険地帯に転属させられてきた噂の独立愚連隊、左文字小隊の名前があがった。かくして、左文字少尉(演:加山雄三)率いる左文字小隊は意気揚々と赴いた。

だが、この事は敵である八路軍の耳にも入っていたのだ…。

前作『独立愚連隊』(1959)はミステリと西部劇要素に溢れた快作でしたが、あまり悲観的に描かれない戦闘シーンのためか好戦的だという批判を多く受けました。戦場の虚しさを表現するために行った戦場描写が、かえって誤解されてしまったのです。

そこで本作は、戦闘シーンもあるものの極力人物たちの死亡シーンを抑えた形をとりました。代わりに大幅に加えられたのは、ユーモアとキャラクター描写です。

朗らか呑気に見えてキチっと締める若大将こと左文字少尉に始まって、小隊の頼もしい母ちゃんポジションの戸川軍曹(演:前作で主役を張った佐藤允)、神谷(演:堺左千夫)(演:中山豊)の一等兵漫才コンビ、本隊から合流した真面目一本の関曹長(演:山本廉)、中国の地理に詳しい神出鬼没の助っ人早川(演:中谷一郎)といった、一癖も二癖もあるメンバーは観ていて楽しい限り。

加えて、本作は東宝の映画のため、ゴジラを始めとする東宝特撮映画でよく見る顔が多く出てきます。前述の堺左千夫や山本廉だけでなく、久保明、平田昭彦、田島義文、沢村いき雄、堤康久などなど観ていて「あっ、この人は!」という発見がきっとあるはず。昔の映画は主役脇役問わず、その映画会社の「顔」というものがあって良いですね。

特に本作の堺さんと山本さんの活躍っぷりは、東宝特撮映画ファンからすると嬉しくなっちゃいますよ。

 

軍旗を追いかけているのは左文字小隊だけでなく、日本軍の士気を落とそうと画策する八路軍も出てきます。

そこで出会うのが梁隊長(演:フランキー堺だ!)率いる部隊なのですが、彼らに比べると左文字小隊は多勢に無勢。(余談ですが、この八路軍と左文字小隊が初めて出会うシーンはロバート・アルドリッチの痛快西部劇『ヴェラクルス』(1954)に似ています。西部劇好きの監督ですから、ひょっとすると参考にしたのかもしれません…?)

その窮地のくぐり抜け方は実に平和的かつ笑いの要素もありで、この辺の描写には監督の「他民族との触れ合いとは、戦闘ではなくこんな風に出会えたら良いのに」という願いが込められているように感じます。

旅の道中では、やむなく中国軍に身を転じた女性看護師(演:水野久美)や進んで中国軍のスパイになった中尉(演:中丸忠雄)にも出会います。彼らとの出会いも、戦争という大きな暴力の中でなければ疑い疑われたりといった関係ではなく、もっと気持ちよく、人間らしく出会えたろうに… と感じさせずにはいられません。

 

『独立愚連隊』シリーズ(1959~‘60)、『江分利満氏の優雅な生活』『戦国野郎』(共に1963)、『血と砂』(1965)、『斬る』『肉弾』(共に1968)、『赤毛』(1969)、『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971)、『吶喊』(1975)、『ブルークリスマス』(1978)といった作品群は、戦争映画、時代劇、SFなどジャンルは多彩ながらも各々の作品で描かれている事は常に一貫しています。

それは、「戦うことの虚しさ、戦って真っ先に死んでいくのはいつも末端の人間である」という怒りのメッセージ。

「映画は、まず、何と言っても面白くなくては…」とは監督の言葉ですが、戦争中の体験は「ささやかではあったけれども痛烈だった体験」でもありました。上官らの理不尽な仕打ち、友人たちの死。

岡本喜八監督は軍隊生活でのあまりに悲惨な体験を、ある時期を境に喜劇的に考えるようになったといいます。飢え、鬼教官、訓練といった事を“笑い”に転化する事によって、常に死の恐怖について考えるコトがなくなったのだと。監督の明るめの作風は、そのような体験から生まれ出たものなのです。

 

本作は数ある岡本監督の作品たちの中でも、娯楽映画としての度合いと反戦のメッセージが素晴らしく調和した一作だと思い、今回選ばせていただきました。

作風自体はユーモア多めとは言え、話の前提がボロボロになった軍旗ひとつのために戦場に赴くというものなのですから、そこに託された「戦争の愚かさ」のメッセージを、僕たちはただ楽しむだけでなく、しっかりと胸に刻んでいかなければなりません。

とは言え、まずは映画そのものを大いに楽しもうではありませんか。

驚き、笑い、怒り、悲しみ、そしてシミジミしましょう。

話はそれからだ、愚連隊、前へーっ!


イラスト:城間典子(絵を描きながら「加山雄三はイケメンだなぁ」と呟き、若大将シリーズに興味を示した彼女。そう言われるとこっちも「未見だし観てみようかなぁ」と気になる始末。そういえば若大将シリーズって、レンタルでお目にかけないような気が)

2023年7月18日火曜日

映画きらきら星 第1回『ダウン・バイ・ロー』

こんばんは!

突然ですが… 僕のブログ更新頻度がなかなか遅い&一回の投稿量が多いため、「サクッと気負わずに書いてみよう!」と、ミニレビューもやっていく事にしました。

題して、映画きらきら星。

星の数ほどもある大好きな映画たち、一つでも多く紹介して観てもらえるキッカケになれば… という思いで頑張ります!

今回はその第一弾。大好きな監督の偏愛する作品をご紹介。

 

『ダウン・バイ・ロー』(1986年 監督:ジム・ジャームッシュ)

刑務所で一緒になったザック(演:トム・ウェイツ)ジャック(演:ジョン・ルーリー)ロベルト(演:ロベルト・ベニーニ)3人が、脱獄をしてすったもんだの珍道中。

 

ここが見所:

本作で初めてジャームッシュと組んだロビー・ミューラーの撮影。モノクロ画面が4050年代のフィルムノワールのような雰囲気で撮られていて、とってもクール!

トム・ウェイツの「Jockey Full Of Bourbon」をバックに数々の風景が映し出されるオープニングの格好良さに、掴みはバッチリ!

そして脱獄映画をパロディ化したような、どこかズレた感覚。脱獄自体はアッサリと成功するわ、逃亡の様子も次第に呑気な感じになっていくわで、独特のユルユル具合がクセになる!

当時、本業が俳優でなかった主演3人のアンサンブルも必見。みんな気取った体を醸し出すのが上手い!

ジャームッシュは、時に当て書きしてるのか?と思うくらいに演者とキャラクターが調和させてきますね。

ちょいとカッコよくて、適度に可笑しく、そしてホッコリする不思議なロードムービー。

それが『ダウン・バイ・ロー』なのです。

 

イラスト:岩佐悠毅

映画きらきら星では、いつもの城間さんのイラストではなく、僕の描いた場面イラストを載せていきます。新しいチャレンジを2つも!

人前に出すイラストなんて普段描かない&昔から絵が下手っぴなので恐れ多いのですが、ドウゾヨロシクオネガイシマス…。

2023年7月2日日曜日

第23回 夏だ、夏休みだ、『河童のクゥと夏休み』だ!

こんにちは!

梅雨だ梅雨だと言ってあまり降ってないゾと思っていたら、一週間まるまる雨続き…なんて週がようやく現れて、梅雨らしさを感じている今日この頃。これが終わると、いよいよ暑い暑い夏の到来、そして子どもにとっては楽しみな、親にとっては大変な夏休みももうすぐです。

今回のめくるめく冒険は、来たる夏休みにピッタリの映画、『河童のクゥと夏休み』をご紹介します。

『河童のクゥと夏休み』(2007年 監督:原恵一)


監督は、言わずもがなの大傑作『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001)『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』(2002)など「泣けるしんちゃん映画」を作った原恵一さん。

本作は原さん(監督より「さん」付けで呼びたくなる)がクレしんシリーズを離れて初めての劇場映画ということで、当時けっこう話題になっていました。

 

夏休み前のある日、小学五年生の少年・上原康一(声:横川貴大)は河原で不思議な石を拾う。

その石の中には、江戸時代より地割れに巻き込まれ仮死状態となっていた河童の子ども、クゥ(声:冨澤風斗)がいた。

最初は不気味がる上原家であったが、周囲に気づかれないようにクゥと暮らしていくなかで、だんだんと親しくなっていく…。

 

当時CMでは「俺(クゥ)と康一との、ひと夏の冒険だ!」みたいな冒険ファンタジー映画風の宣伝が行われていました。

間違いではないんですが、いい意味でもっと地味な感じ… なんですよねぇ。

本作は日常の中にやって来た「非日常」との日々を、あくまで日常のペースで、地味~に丁寧に描いています。

そのためか初見時は「河童の子どもを主人公としたホームドラマを観た」という印象でしたが、それは物語のみならず、内容に即したリアル志向な演出の緻密さでもって、アニメチックなファンタジーを完成させている事に対しての驚きだったのでしょう。

写実的なファンタジー、僕はそれを原イズムと呼んでいます。

 

例えばファーストシーン。江戸時代の夜、川の土手でクゥとクゥのお父ちゃんがジッとしている幕開け。

明るいのは蛍の光くらいで、全身像や周りの風景をハッキリと確認するほどに画面は明るくありません。人口の光なんてない当時の夜の暗さを「みんなに見えるように調節しよう」ではなく「当時の暗さをそのまま映してみよう」と決断して、このような画作りにしたそうです。

これは「分かりやすさ」が優先される現代において、なかなかチャレンジングな試みです。

しかしファーストシーンのこの試みがあるために、本作が「他とはちょっと違うかも?」と思わせます。

ところ変わって現代、舞台となる東久留米の梅雨らしいジメジメした風景を歩く子どもたち。ここでも東久留米市の風景が、実に写実的であります。

それまで原さんが担当してきたTVアニメ『エスパー魔美』『クレヨンしんちゃん』といった、日常描写をメインとした作品で培われた演出方法が本作で活きています。

人物たちが暮らす舞台を丹念に描くことによって、河童の子どもという異物が紛れ込む形になっても、ある種の説得力を持って迎えられるのです。

 

クゥが何かを食べる時のリアルさもミソ。魚を食べる時は一口でパクっではなくバリボリと美味しそうに食べるのですが、食べられた魚の臓物や骨の出具合なんかもキチンと描いており「食べる」というよりも「食らう」という表現がピッタリ。これ見よがしに描かず「まぁこういう食べ方になるよね」的な、ある種サラッと描写してみせる辺り、原イズムしてます。

極めつけは、ひーちゃんが持って帰ったカタツムリを食べるシーン。手に取って一瞥したかと思うと直ぐにチュ~っとカタツムリを吸い込むようにして食べてしまうのですから、ひーちゃんでなくとも面食らってしまいます。

このような生々しい描写により、クゥが単に可愛らしいキャラクターじゃなく、一匹の生き物なのだと再確認させられるのです。

リアルと言えば、登場人物たちも極端なデフォルメなどせず「普通の人々」として描かれます。

康一とお父さんはクゥに興味津々で受け入れるのも早いけれど、お母さんと妹の瞳(ひーちゃん)は慎重気味。

ひーちゃんに至っては、末っ子で可愛がられてきた立場がクゥに取って代わられやしないかという心境か、意地悪したり乱暴な物言いをしたりします。これは誉め言葉なのですが、ひーちゃんの可愛くなさと子どもあるあるっぷりは見事だな、と思います。

普通だったら、もっと可愛く描こうとしますもの!

彼女がクゥと過ごすことにどう折り合いをつけていくのかも、絶妙なラインで描いていますよ。

上原家に飼われていて、クゥにとっては人間界を知る先輩格として登場する犬のオッサンも、良い味出してます。よきアドバイザーでありキューピット()でもある彼の存在は、クゥにとっても心の拠り所である様子。

そして、学校でいじめの対象になっている菊池紗代子。康一にとって若干気になる存在だけど近づきがたい雰囲気を持っていた彼女も、クゥをキッカケとして少しずつやり取りをしていくようになります。クゥだけでなく彼女との交流を通して、康一は夏休み以前とは違う彼に変わるのです。

 

家族それぞれの反応や心境の変化、交流をじっくり描くのと同時に、クゥを軸としてクラスメイトとの確執、マスコミや野次馬の追求といった物語の展開もあります。

特にクゥの存在が知られるようになってからは、家の前に張り付くマスコミ連中や興味本位で群がる野次馬など、ジワジワと(クゥたちだけでなく観ている僕たちも)精神的に落ち着かなくなってきます。

一緒につるんでいた同級生たちも、クゥを見せてくれない康一が面白くなく仲間外れにしていきます。ふとした事でいじめが始まるこの感覚、わかります。

僕自身も中学の頃いじめにあったことがあり、キッカケなんて「なんかムカつく」くらいの小さな事でしたから。

クゥと上原家がTV出演するシーンでは人間の醜さや愚かさがこれでもか!と映されていくため、観ているこっちとしては「もう止めてくれよ~」と思うようになり、加えて一つの大きな別れのシーンもあって… つらい。

しかし本作は「誰それが悪役で、成敗または改心されて良かったね」といった分かりやすい、観やすい筋立ては用意していません。

そのまま、なのです。

マスコミ騒動の後に誰かがクゥたちに謝ったり、クラスメイトのいじめがハッキリとなくなったかと言えば、そうではありません。騒ぎが収まると、また何事もなかったかのような日々が始まるのです。

この白黒つけない感じも、実に原さんらしいと思いました。

現実はそう単純に割り切れるものではない。だけどこうして映画に映されたものを観て、それをどう感じるか、観客に問うている気がします。

 



上原家とクゥとの温かい交流だけでなく、人間のエゴも画面に映した原さん。

だからと言って「人間ってヤダな」で終わらず、そんな中でもいくつかの出会いと別れを体験した康一の小さな成長が、この映画の希望であると感じます。

つらい事も多いですが、家族みんなでご飯を食べた時や相撲を取った時。クゥと二人で河童の仲間探しに遠野へ行った時。

一生に一度だけの夏休みは、かけがえのない美しさでもって康一に、そして僕たちの心に深く刻まれ続けます。

日常動作や心の機微をしっかり描くことで「単なる消費物」に終わらせず何かの折に想いを馳せられる、そんな素敵なアニメ映画です。


挿絵:城間典子

2023年6月1日木曜日

第22回 3年ぶりの『はちどり』は如何に映ったか?

こんばんは! 
皆さん、お元気でしょうか。
僕は元気です。なんと3年ぶりの更新となってしまいました。
このblogを楽しみにしてくれている(有難くも奇特な)皆さん、どうもお待たせしました!

3年以上もblog投稿が空くと「どんな具合で書けばいいんだ」とか「何を復活第一弾にすればいいんだ」などと、独りで意味もなくテンパってしまうものです。

そこで今回は、3年前の2020年当時、ベスト級に良かった映画を紹介する事にしました。
その作品は、キム・ボラ監督による韓国映画『はちどり』(2018)です。

『はちどり』(2018年 監督:キム・ボラ)


2020年に話題を呼んだ韓国映画と言えば、ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』(2019)が真っ先に思い浮かびますが、本作も結構話題の映画でした。
本作が長編デビュー作であるキム・ボラ監督の確かな演出力は世界各国で絶賛され、単に映画祭で評価されただけでなく、韓国内でも単館公開規模ながら公開一ヶ月で観客動員数12万人超という驚異の大ヒット。国内外で評価された映画だったのです。

もう数年前のことなので、何をキッカケとして観に行ったのか朧げなのですが、観終わった時に「この映画は、自分にとって大事な映画になるな」と思ったものです。
先日も観なおす機会があったため、久しぶりに本作と向き会いました。
今回は「どうして、自分にとって大事な映画だと思ったんやろう」と思いながら観ていました。
良い意味での疑問を抱きながら観、終わった頃には「うん、やっぱり大事だ」と改めて思わされました。
今回は、その「良いと思った何か」を自分なりに考えながら、紹介していきます。


1994年、韓国のソウル。14歳のキム・ウニは両親、兄、姉の5人で暮らしている。
両親からは世間体の良さばかりを求められ、学校にはなじめず、同じ塾に通う親友との時間や彼氏の存在が彼女にとって救いであり癒しでもある。
家庭や学校である種の息苦しさを感じていた彼女の前に、新しい塾の教師が現れて……。


男性優位的な社会観、そして「良い大学に入る」ことこそが最高のゴールだと言わんばかりの両親や学校。ウニでなくとも「嫌~な青春」というカテゴリーに入ってしまいそうな日々。
この作品の舞台となっている90年代は、正にキム・ボラ監督が13~14歳の少女として、青春を謳歌している時代でした。すなわち、ウニの姿は当時の監督の姿でもあるワケです。
「当時は当たり前すぎて疑問に思わなかった、考えていなかったけど、後から考えるとオカシナ事だったなぁ」と思ったりする機会が皆さんにもあるかもしれません。
ボラ監督も、そのように当時を振り返りながら撮影をしたのでしょう。

インタビューの中でも「人が生きるうえで感じるすべての感情を、少女の生活を通じて見せたかったし、政治、社会、フェミニズム、ジェンダーといった様々な社会的な問題を、少女の目を通じて、微細なところから見わたそうと努力しました」と言い切っています。
これはその当時を生きた監督が、今現在だから語れる、描けることであります。
いわば本作は、現在に生きる監督が、かつて自分が生きた90年代の韓国を批評するかのような作品でもあるのです。

映画にせよ本にせよ、どうも僕はこのような「個人を通して歴史を、限られた時代を描く作品」に弱いらしく、オールタイム級に大好きな『ぐるりのこと。』(2008)と本作の性格はよく似ていると、初見の際に感じたものです。
やはり大衆で物事を語られるより、個人の生き様で語ってくれる方が、観ている側にとって伝わりやすいからでしょうか。なんと身も蓋も無い分析なんでしょうか。

『はちどり』では、ウニの目線で全てが語られていきます。
自分に対し、やたら両親が冷たい態度をとっていると思いきや、その直後には何事も無かったかの如く一緒に食事をとっている不思議。
親の言う通りに勉強ばかりして、その鬱憤を自分に向けてくる兄の理不尽さ。
彼氏のところへ行ったり家へ連れ込んだりする姉の大胆さに、驚きと少しの憧れを抱かずにはいられなかったり。
皆それぞれの方向ばかり見ていて、まるで自分のことなんて見てくれやしない。
そんなやけっぱちな気分にもなってしまいそうですが、どっこいそこは家族と言うべきか、そこまで冷たい感じでもありません。

ウニの耳後ろ辺りにしこりが出来て、それを手術する際に「顔面麻痺が起こりうる」と医者に言われた時。ウニ以上に動揺し、声をあげて泣く父親の姿は、それまで映っていた家父長制社会の権化のようだった人物と別人のようです。しかし、娘を心配しなくこの姿も一つの顔なのです。
叱ったりすることも多いものの、ウニに「ダメな娘」という烙印を押し付けて放っておくでもなく、彼女のお腹が空いてそうならチジミを作ってあげる母親。
「この父親は〇という性格、母親は△な性格」というカテゴライズをするのではなく、「父親は〇な性格が主だけど、時には×な性格の時だってある」という通り一遍ではない描き方。
もっと言えば「人間の持つ割り切れなさ」を、本作は唐突に、しかし丁寧に描いています。


そしてウニの前に現れる一人の女性。漢文塾の新しい教師であるヨンジの登場は、ウニにとって「大人」の価値観を覆す出会いでした。
不良生徒のように煙草を燻らせる姿、授業前に描いていた漫画に興味をもって話しかけてくれたこと、友だちや彼氏との関係が上手くいかなかった時なども、お茶をふるまい話を聞いてくれた……。
自分の見てきた大人たちとは何かが違う、その何かに憧れや親しみを覚え、ウニはヨンジに心を開いていきます。
人はよく、自分にないものを相手に求め、それに憧れることが多々あります。
ウニも当初はそうだったでしょう。しかしウニは気づいていきます。
ヨンジは自分をひとりの人間として見てくれている。だから私はこの人といると安心するし、落ち着けるのだと。
自分よりも相手を下に見ている態度というものは、すぐ相手に伝わるものです。
「近頃の若いもんは…」「年上だから伝えれる事がある」「お前たちバカを私が鍛えてやる」「お前は俺のところに働かせてもらっているんだ」etc……ウンザリしちゃいますね!

ヨンジ自身が大学休学中である学生、つまりウニと年齢が近かったことも大きいのでしょうが、彼女は当時の世の中の流れとは対極的な存在であるかのように見えます。
労働運動で歌われた『切れた指』を歌う場面、大学を休学中でバイトを転々としている… と語る場面など、ヨンジは学生運動に参加していた人物ではないか(この事はパンフレットに記載されていた監督インタビューの中にも明記されていました)、つまりヨンジは、それまでの「世代」とは違う「新たな世代」の人であるということです。
新しい世代は何かと煙たがられるものです。ロックンロールが流行しだした頃など、良い例ですよね。しかし新世代の台頭は、よくも悪くも社会が変革する時。
ウニがヨンジと出会った時間こそ、それまでの価値観から一歩踏み出そうとしている韓国変革の真っ只中なのです。

両親たちの世代、ヨンジたちの世代、そしてウニたちの世代と、3つの世代が邂逅し、それぞれに変化が生じていく。
『はちどり』は単なる「少女が過ごした青春の一ページを切り取った映画」ではなく、当時の韓国の情勢を見事に取り込み、描ききった映画であるのです。
ただ、こう書くと人物たちの言動、動作といったものが図式化された、いわば「監督のメッセンジャーとしての機能」に陥ってはいやしないか、と考える方もいるかもしれません。
が、それは大丈夫です。それぞれの人物たちは「役の役割」を軽々と超え、見事に劇中の時間を「生きて」いますから!

本作では度々、ウニを背中から捉えたショットが映し出されます。
「見えない」という事が想像力を刺激するように、私たち観客も表情の見えないウニに想いを馳せます。
その場面で彼女の考えているもの、彼女が背負っているもの、そして彼女の視線の先にあるもの……。
この映画には様々な要素が散りばめられているワケですが、僕が本作をとても好きになってしまったのは、この絶妙な「背中ショット」があるから、つまりこのショットで築かれる「間」が、観客に対して、映画や人物についての想像の時間を与えてくれるからではないかなぁと感じます。
映画には時間経過を示す「視覚的な間」と、人物や映画そのものの内面に迫る「感覚的な間」の2つがあります(と、僕は常々思っています)。
『はちどり』は、この『感覚的な間』の描き方が、非常~に上手い気がしたのです。
単に「この背中ショット、決まってるねぇ!」と直感で気に入っただけかもしれませんが……。
ともあれ、この「背中ショット」は下手な人がやると本当に下手くそなので、やっぱり上手いんです。ショットを入れてくるタイミングや、映す長さが。

と、長々と書き連ねてきた『はちどり』覚え書きでしたが、やはり映画の魅力を言葉にするのは難しいです。
頭でっかちな文章だなぁと我ながら思うのですが、もしこれを読んで少しでも映画に興味を持っていただけたら(そして観ていただけたら!)、書いた甲斐もあるというものです。

挿絵:城間典子

2020年1月3日金曜日

第21回 2019年に観た旧作ベスト5ですよっ!?

こんにちは!
正月休み、どのようにお過ごしですか?
僕は実家に帰っていないため、ヒジョ~にダラダラとした時間を過ごしております。

こんなに年末年始感のない日々は初めてだったりします。
ま、そんな事は置いといて……


昨年も映画館以外で、色んな映画を観る事が出来ました。
それも、観たかった映画を沢山。
なので今回は、DVDやBlu-rayで観た映画たちの中で印象に残った作品をランキングします。
一応、初見の映画を並べますです。
さぁ、いってみましょう!




5位 『メイド・イン・L.A.』(1989 マイケル・マン)

マイケル・マンの代表作『ヒート』(1995)の元ネタとして長いこと気になっていたTV映画です。
観て驚き桃ノ木。
主人公刑事ヴィンセントの娘の件や強盗団の細かい人間模様などがシーンとして無いくらいで、あとはほぼ『ヒート』のまんまじゃまいか!
本編90分少々というTV映画だからこその尺となっており、上映時間
がやたらと長いことで有名なマイケル・マン映画の中では相当に短い!
おかげでテンポ良く進み、一気に魅せてくれます。


『ヒート』では主役二人がアル・パチーノとロバート・デ・ニーロの激シブオヤジたちだったのに対し、こちらの2人は30歳くらいの若いキャスティングです。
二人とも若さゆえの自信の表れや野心を持っており、フレッシュな感覚に満ちています。
物語の流れは同じなのに、人物設定を少し変えるだけで物語の意味合いまで変わってくるものなんですね。
『ヒート』の名シーンとなっているコーヒーショップでの会話は、こちらでも良いシーンとなっています。
常に緊張感を漂わせている強面オヤジたちより、若い兄ちゃんたちが話しているからこそ
「一見穏やかそうに見えて互いの心の中では闘志が……」というのが際立っているような気がして、僕はこちらの方が好きだったりします。


そして『ヒート』と言えば、実銃を使ったという約10分に渡る伝説の大銃撃戦。
勿論、こちらにもあります。規模こそ小さいですが、こちらの銃撃戦もなかなかの迫力。
ヴィンセントが仲間を助けるため、敵の弾をくぐり抜けながら車のボンネットの上を転がり、着地して銃を撃ちまくるトコなんてカッコいいですよ~。
あと、ドアーズの「LAウーマン」をビリー・アイドルがカバーしているバージョンが本作のEDで流れるのですが、これも良いっ!



4位 『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー(ディレクターズ・カット版)』(1981 マイケル・マン)

我ながら「何度も観ているこの映画を入れるのはど~なんだ」と思うんですが、まぁディレクターズ・カット版(以下、DC版)なので勘弁してください。
大好きな本作のBlu-rayをつい先日手に入れまして、メインの劇場公開版だけじゃなく特典とし「4Kリマスター版本編」なるものがありまして、何だと思って観てみたらDC版だったのです。
ちなみに海外だと、マイケル・マン本人が公言しているのもあってか、DC版がメインだそうで。


というワケで、初めてDC版を観たんですよ。
な~るほど。
物語の流れに大きな違いはなく小さなシーンをチラッと足したりくらいなので、作品の補完の意味では確かにコレをオフィシャルとするのも納得です。
例えば…… OPのスタイリッシュなダイヤ強奪シーンから一転して、釣りをしている黒人のオッチャンと一緒に朝日が昇るのを主人公のジェームズ・カーンが見ているのですが、しみじみと良いシーンです。
こういう「物語に直接関係はないけど、入ることによって人物に膨らみが出るシーン」を、DC版では入れているのです。

が、劇場公開版と一番変わっていたのは、画面の色彩です。
彩度を抑え、黒を沈ませたその画面は公開版と比べると非常に陰影に富んだ、フィルム・ノワール的な面を強調した雰囲気になっています。

逆に公開版の方が、様々な明るめの色がしゃしゃり出ているように感じられるくらいです。
マン自身が監修したDC版は、長編映画デビュー作である本作をより普遍的な映画にしようとした執念のバージョンなのです……



3位 『夜の人々』(1948 ニコラス・レイ)

ニコラス・レイと言えば、ジェームズ・ディーンの『理由なき反抗』(1955)の監督で知られる方です。
そしてフィルム・ノワールや西部劇、歴史ものなど様々な映画を撮った職人監督でもあり、ヌーヴェル・ヴァーグの連中やヴィム・ヴェンダースに非常に尊敬された監督だったりします。
あと何と言っても、そのヴェンダースの『アメリカの友人』(1977)に出た時の強烈な存在感。


そんな彼の、デビュー作です。
フィルム・ノワール初期の名作として有名な映画であると同時に、フリッツ・ラングの『暗黒街の弾痕』(1937)と並んで、『勝手にしやがれ』(1959)『俺たちに明日はない』(1967)『地獄の逃避行』(1973)『ボウイ&キーチ』(1974)など多くの「男女逃亡もの映画」の元祖とも言うべき映画です。
こういった何かの元祖と呼ばれるものは、その歴史的価値のみにおいて評価される事がままあり、面白さを伴っているのかと言われると口を閉じたくなる場合が多かったりしますが、この映画はとても素晴らしいものでした。


映画は往々にして、作られた時代の流行だとか社会的な背景が映り込むものです。
しかしこの映画は、ボウイとキーチの男女二人の肉体的・精神的交流をひたすら追い続けます。
彼らの愛は、今観ても全然古びていません。
この映画が「永遠の処女作」と呼ばれる所以も、ここにあるのでしょう。


撮影も実験的かつ面白い試みをしています。
ボウイたちを乗せた車が走っているのを、ヘリによる空撮で捉えたオープニング場面。
それまでの映画にも、空撮による舞台の説明ショットはあったにせよ、本作のようにアクションの流れとしてのショットは、実はこの映画から始まったのだと言います。何と偉大な発明!
そして特筆すべきは、中盤の結婚式シーンでしょう。
いわれのない罪を背負って逃げる羽目になったボウイとキーチ。

愛し合っているのに心が休まらない二人は、ふと逃亡先で簡易結婚式場を見つけます。
気休めとは言え結婚しよう。
そう言って2人はささやかな結婚式を挙げるというシーン。
式場の前に立っている二人をカメラは後ろから撮っています。なので見えるのは二人の後ろ姿。
そこからカメラは動き出し、二人が式場の人と結婚の手続きをするのをずっと背中越しに見守っています。

まるでカメラが、二人の見届け人であるかのような撮り方です。
それを結構な時間を使って映しています。つまり長回しですね。
このようなカメラワークは、撮影時間の節約、物語の必要最小限の説明をしてくれると同時に、本作のテーマである「二人の行く末をただ見守るしかないという事」を、見事に画面の中で描いた描写と言えます。
しかも「ここぞ!」と言うべきところで長回しをしているため、現在のように長回しばかりで退屈だとかカメラの存在がチラつく事もありません。
やっぱり長回しは、使い方次第ですよね!
(誰に向けて言ってんだか)


まぁそんな事を抜きにしても、実に美しい映画でありました。
時おり観返してしみじみとしたくなる、大切な映画になりました。



2位 『キラー・エリート』(1975 サム・ペキンパー)

『ワイルドバンチ』(1969)や『ゲッタウェイ』(1972)『戦争のはらわた』(1977)など「バイオレンス・アクション映画の巨匠」であるサム・ペキンパー監督の中で珍作扱いされている本作。
やれ「カンフー映画ブームに便乗した」だの「忍者が出てきてオカシイ」だの「スパイアクションのなりそこない映画」等々、散々な言われようをあちこちで目にします。
加えて蓮實重彦を筆頭に、青山真治や黒沢清などいわゆる「そっち方面」の人々にえらく気に入られている映画でもありまして、それはそれで気になってしまう始末。
気に入らんかもしれんけど、ペキンパーファンとしては一回くらい観てみたい」と思うのが人情じゃあないですか。


そんなこんなしていると、キングレコードからDVDとBlu-rayが出て、TSUTAYAでも気軽にレンタル出来るようになってしまいました。
早速レンタルして、どんなもんだとチェックしました。
結果…… わざわざBlu-rayを買ってしまいました。

気に入っちゃったんですよ、コレが!
我ながらビックリしました。

これが世に言う、ペキンパーの黒歴史『キラー・エリート』なのかと。普通に面白いじゃないかと。
普通、なんて言うのは良くないですね。とても面白いじゃないかと!
自分の中のペキンパー・ランキングに、結構な上位に来る作品です。


ペキンパー印のスローモーションは言わずもがなですが、男の友情と裏切り、癒しと死を象徴する水の存在も、きちんと入っている!
忍者やカンフーは物語上の刺身のツマみたいなもんで、そこばかり突くのは野暮だと言い切りましょう。
爆薬を仕掛けるOPからして格好いい&ドキドキさせてくれるし、主人公であるジェームズ・カーンが守らなくてはならないアジアの要人が飛行機に乗ってやって来るシーンでの飛行機着陸シーンは、サスペンスの演出という点において、ひとつ前の映画『ガルシアの首』(1974)より明らかに上手くなっています。
そして親友でもあり今や敵となってしまったロバート・デュバルとの、反カタルシスな決着のつけ方……


確かにギクシャクした物語かもしれませんが、ペキンパーのニヒリズムに満ちた視点により「これは映画なのだよ」と開き直って観ることが出来ます。
すなわちこの映画は、オイシイ味つけをされたペキンパー流の冗談なのです。
冗談、と僕が受け取ってもいいくらいに、この映画は観客に対して開かれていると思います。
嘘だと思ったら、是非ともレンタルして観てみて下さい。
「こりゃ面白い!」となるか「くっだらねぇ代物だ!」と怒るかは、あなた次第ですが……


余談
『ワイルドバンチ』や『ゲッタウェイ』では「主人公たちの足を引っ張るダメな若者の役」として出ているボー・ホプキンスが、この『キラー・エリート』では非常に有能な銃使いの役で出てきます。
ペキンパー映画で一番評価されていない本作で、それまでと違う一番良い役で出てくるのは一体何の皮肉なんでしょう……


余談2
自分の中のペキンパー・ランキング。


1位 『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(1973)
2位 『ワイルドバンチ』(1969)
3位 『昼下りの決斗』(1962)
4位 『戦争のはらわた』(1977)
5位 『キラー・エリート』(1975)
次点 『ガルシアの首』(1974)

奇を衒っているワケではないんですが、こういうランキングになりましたとさ。
未だに観れていない『コンボイ』(1978)と遺作となった『バイオレント・サタデー』(1983)の「ペキンパー最晩年の二本」を、早いところ観たいものです。



1位 『愛欲の罠』(1973 大和屋竺)

ありとあらゆる映画の中で「死ぬまでに観たい映画ベスト1」だったのが、この桃色(要するにピンク)ハードボイルド映画『愛欲の罠』です。
監督の大和屋竺は、鈴木清順と若松孝二の弟子みたいな人で、『ルパン三世』などアニメの脚本家でも知られ、なおかつ日本映画の中で最もアバンギャルドなハードボイルド映画『荒野のダッチワイフ』(1967)を監督した人。
初期のルパン三世が好きで、『荒野の~』にゾッコン惚れ込んだ自分としては、何が何でも観たい映画でした。
それが去年の夏、東京に行く用事があって歌舞伎町のTSUTAYAで本作のレンタルDVDが置いてあり、信じられない気持ちのまま、すかさず借りました。
そして自宅で観た感想は…… 最高だぁ!


監督デビュー作の『裏切りの季節』(1966)と『荒野の~』はモノクロ、『毛の生えた拳銃』(1968)はパートカラー、そして最後の監督作である本作は初めて全編カラーで撮っています。
何と言ったらいいんでしょうか。映画を撮っていることが楽しくて仕方ないという気持ちが、ビンビン伝わってきます。
そして「これは映画という魔法であり、作り物であり、絵空事の結晶なのだ」と言わんばかりの大胆なハッタリのかまし方。
今まで自分が脚本、監督してきた「殺しのナンバー1を賭けて戦う男たちの世界」の集大成みたいな内容。

いや~、たまりません。

清順の『殺しの烙印』(1967)や若松孝二の『処女ゲバゲバ』(1969)長谷部安春の『野良猫ロック セックスハンター』(1970)松本俊夫の『ドグラ・マグラ』(1988)等々、脚本家として著名な人物にも関わらず、今回は同じ清順組の田中陽造が脚本を担当しています。
そのためでしょうか、清順がのちに手掛ける『ツィゴイネルワイゼン』(1980)『陽炎座』(1981)『夢二』(1991)の「浪漫三部作」に通じるものが、そこかしこに感じられます。


とまぁ色々置いといて…… 役者です。
主人公の殺し屋・星を演じるのは、荒戸源次郎。のちの映画プロデューサーであり映画監督である、あの人です。
阪本順治、豊田利晃、大森立嗣をメジャーにした人ですね。
この頃は劇団「天象儀館」なるものを率いており、『愛欲の罠』はその劇団による「第一回製作映画」となっています。二回目以降があったのかは知りません……
プロの役者ではないので、演技がヒジョーにロー・テンションです。

常にボソボソ喋り、セックスするシーンもやる気なさげ。
そんな全身ひねくれオーラをプンプンさせているのが、かえって役にハマっているんだから不思議です。


星の愛している女・眉子は「日活ロマンポルノ」を代表する女優、絵沢萠子です。
僕はこの人のムンムン熟女演技が正直言って苦手な方なのですが、本作における彼女は素晴らしいです。
こんなに魅力的だったのかと驚きました。撮り方が良いんでしょう。

とんでもなく綺麗に見える時が、ふとした瞬間あります。
他にも夢子役の安田のぞみとか港雄一&山本昌平の『荒野の~』コンビだとか色々言いたいのですが、やはり目玉はこの人らです。


殺し屋コンビのマリオと西郷を演じた、秋山ミチヲと神宮ガイラ。
神宮ガイラは単にガイラとも、小水ガイラとも様々な名前で呼ばれる人物ですが、小水一男としてピンク映画を数多く監督した人で、特に『処女のはらわた』『美女のはらわた』(ともに1986年)は、ピンク映画にスプラッター要素を持ち込んだという事で有名な映画です。
そんなガイラが演じた殺し屋西郷は、無口無表情の巨漢という「でくの坊とは正にこれ」といった風貌で、おっかない雰囲気満々。
しかし、西郷はまだ序の口。

問題は殺し屋のくせにマリオネットという設定のマリオこと、秋山ミチヲです。

秋山ミチヲ。
秋山道男と書いた方が有名かもしれないこの男は、若松孝二のピンク映画で歌を歌ったかと思えば出演したり、プロデューサーをしたり、あの『おでんくん』で「おでん屋のおじさん」の声をしていたりの人物なのです。あの妙に素人っぽい喋りは、そういう理由だったのです。
この映画のミチヲはマリオネットなので、全身そういう格好をしていて、ガイラ演ずる西郷に引っ張られながら行動します。
いっこく堂を思い浮かべてください。あんな感じで、マリオばかりがベラベラと喋ります。
まぁ不気味ったらないです。
大の大人がピエロもどきな恰好をして、ウヒャヒャと笑いながら人を殺したり女を犯す(ん?)のですから。
冗談抜きで、軽くトラウマになってしまいそうなインパクトを持っています。
初めてマリオの顔が映るシーンは、時どき夢に出てくるくらいシャレになりません。
それまでの空間が魔空間に変わってしまうほどに、マリオが出ているシーンは異質です。
ホントに、どうしたらこういう発想に至れるもんだと思います。
さすが、『ルパン三世』屈指の名編と言われる『魔術師と呼ばれた男』の脚本を書いた男です。


余談
そう言えば初期のルパンは「誰が裏世界を生きるのにふさわしいか」みたいな感じで、ナンバー1の座を巡って殺し合いばかりしてました。
『魔術師~』に登場するパイカルしかり、あの五ェ門しかり。
大和屋竺の世界観は、ルパン三世ともリンクしていたんですねぇ。

最後に。
『愛欲の罠』は映画史上最も律義な態度でもって終わります。これを律義ととるか悪ふざけの極みととるかは、あなた次第。
噂には聞いていましたが、ホントにずっこけました。いい意味で。




案の定『愛欲の罠』について結構書いてしまいました。
思い入れが強いと、その分書く量も多くなっちゃいますね。しゃーねーなー。
映画館でも『恐怖の報酬』(1977)を大画面で観る機会が二度もあったり『屋根裏のポムネンカ』(2009)を観れたりと、去年は本当に(自分の中の)幻の映画たちに出会えた一年でした。

ありがたや……
なお、今回のベスト5には入らなかったけれど面白かった映画たちも書き出します。


『裏切りの季節』(1966 大和屋竺)
『死の谷』(1949 ラオール・ウォルシュ)
『ブラック・エース』(1972 マイケル・リッチー)
『マーティン 呪われた吸血少年』(1977 ジョージ・A・ロメロ)
『Let The Right One In』(2008 トーマス・アルフレッドソン)


『裏切りの季節』は、大和屋監督のデビュー作です。
話は結構込み入った作りなんですが、奇怪なイメージが曼陀羅のようにドバドバと流れ出てきます。めまいを起こしてしまいそう。
極めつけは不気味な傘!
あんな凄い描写をデビュー作でやってのけてしまうんですから、やはり大和屋竺は恐ろしい人です。
『Let~』とは、『ぼくのエリ 200歳の少女』の原題です。あの邦題が本当に嫌いでして……。
映画自体は、最初に日本で公開された時からずっと心の片隅にある、大好きな映画です。
しかしご覧になった方は分かると思いますが、日本版はあるカットでボカシを入れてしまっているんですよ。作品の理解にとても重要なのにも関わらず。
なので僕は数ヶ月前に、無修正である海外盤Blu-rayを購入しました。
約10年の年月を経て、ようやくあるべき形の『Let~』に出会えました。Blu-rayだから画質も綺麗ですし……



といったベストでした!
次回は普通の映画レビューで、お会いしましょう!

2019年12月31日火曜日

第20回 ベスト10を作って2019年を振り返ろう。

皆さん、お久しぶりです。
このblog、とっくに忘れられていたと思われてた事でしょう。
なんせ最後の更新は4/30でしたから……

体たらく癖が思いっきり出てしまった……
すみません。
しかし、せめて一年を総括するベスト10だけは!
と、久々に投稿する次第です。
新旧問わず劇場で観た映画たちを、ランキングしていきます。

では早速、参りましょう!

10位 『バンブルビー』(2018 トラヴィス・ナイト)

マイケル・ベイ監督による実写トランスフォーマー・シリーズは実は1作目だけしか観ておらず、そんな自分が観ても良いのか……
と思いつつも「80年代の映画にオマージュを捧げている」「あの『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』(2016)の監督が手掛ける初実写映画」という前情報を聞いた日にゃ「うん、観てみねば!」となりました。 
結果は…… と~っても良く出来た娯楽大作でした。


主人公の成長っぷりとバンブルビーとの友情を上手いこと絡めており、なおかつベイの映画みたいに「画面の中で何が起きてるのかゴチャゴチャして分からん」という事もなく、とても観やすい映画でした。
スピルバーグ映画のように未知なるものとの接触を楽しく、かつドキドキするものとして描き、広々とした舞台に繰り広げられるドラマが、本作の爽やかさに見事にマッチしていました。
主人公たちがバンブルビーに乗ってドライブをする時、ティアーズ・フォー・フィアーズの「ルール・ザ・ワールド」が流れてくるというシーンが個人的にグッときましたねぇ。
80年代のヒット曲なので舞台設定が一発で分かるし、本作の雰囲気作りに一役買っていた選曲になっていたと思います。

9位 『羅小黒戦記』(2019 MTJJ)

京都市は出町柳にある映画館「出町座」で、とにかくプッシュされていた本作。
クリクリお目目の黒猫ちゃんが上の方を眺めているというポスターなので、可愛いなと思っても、一体どんな話なのか全然知らずに観たのです。
いやー、ぶったまげました。

可愛らしい妖精たちが沢山出てくるわ、可愛い見た目に反して凄まじいアクションシーンのつるべ打ちだわ、話の展開やキャラクターのデザインなど宮崎アニメみたいで親しみが持てるわで、「アニメのオイシイところ全部盛りだよ!」と言わんばかりのボリュームに大満足。
中国アニメのクオリティー、凄いですよ。これぞ一級の娯楽映画。
一部のミニシアターだけじゃなく、シネコンとかでバンバン上映して欲しいような映画です。
それだけ多くの人に観てもらいたい映画でした!



8位 『宝島』(2018 ギヨーム・ブラック)

『女っ気なし』(2011)『やさしい人』(2013)『7月の物語』(2017)などでフランス映画をささやかに元気にしている監督、ギヨーム・ブラックのバカンス映画です。バカンス映画って何ぞ?
これは「宝島」と称される大型のレジャー・アイランドをめぐる映画で、スタッフの会議やパトロール風景が映ったかと思えば、警備員の目を盗んで何とか園内に潜り込もうとする男の子たちの奮闘ぶりが映ったり、日向ぼっこしてるじいちゃんが語りだしたり、若者たちが橋の上から度胸試しのジャンプをしたりと「宝島」の中にいる人々の人間模様がパッチワークのように紡がれているのです。
映画を観ている間、カメラに映っている人々の振る舞いがあまりにも自然だったので「これってドキュメンタリー?」と感じていたのですが、それにしては様々な場所にカメラを置き、しかも被写体にカメラに映ることの抵抗感みたいなのがないな…… とも思いながら。

しかし。
この文章を書くために少し調べてみたところ、なんとカメラを160時間以上まわして膨大な素材を編集したものが、この『宝島』なんだそうで。

まごうことなきドキュメンタリー映画だったのです!
役者でもない一般の人々の自然な姿を、よくもまぁこんなに見事に切り取れたもんだと感心してしまいます。
単に皆が楽しんでいる姿ばかりでなく、遊びに来ている家族のお父さんがこれまでどんな境遇を過ごしてきた(この方は難民)とか、警備員のおじさんがこの「宝島」で働く事になった経緯など社会的な面もあって、この映画は非常に様々な顔を持っています。
早いところソフト化してもらって、時おり観返したい映画であります。

7位
『スパイダーマン:スパイダーバース』
(2018 ボブ・ペルシケッティ、ピーター・ラムジー、ロドニー・ロスマン)

サム・ライミ版スパイダーマン(2002~2007)と『スパイダーマン:ホームカミング』(2017)しかちゃんと観ていない体たらくな僕ですが、本作はとても楽しめました。こういう平行世界ものは、否応なしに燃えます。
これに近いものを思い返すと、現役ライダーを助けに来る先輩仮面ライダーたちとの共演回みたいなもんでしょうか。
(寄り道話。仮面ライダーたちの共演回は、先輩ライダーの声が違ってたりする事が多々あったにも関わらず、それでも結構燃えるのは何だったのでしょう。ウルトラマンたちは兄弟でよく集まってたってのもあるかな……)


映画こそ追いかけられてはいないものの、漫画の設定なんかはつまみ食いしているので、所々くすくす出来ました。生粋のスパイディ・ファンであれば、もっと楽しめたんでしょうが。
ところで本作は、庶民的なところから始まっているスパイダーマンを、もっと窓口を広くして観客に寄り添っている作品に見えました。
それすなわち、「誰でもヒーローになれるのだ」という事です。

スパイダーマンをスパイダーマンたらしめているのはクモ能力だけではなく、その力を授けられた人間が持つ勇気、責任。
そここそが、スパイダーマン、否、ヒーローに大事なことなのだと教えてくれます。
そして圧倒的な画面の密度、情報量!

とてもカラフルに彩られた超ポップなスパイディ・ワールド!
それを縦横無尽に飛び回る楽しさ、気持ちよさ!

これを大画面で観れたのは有難かった~。
ペニーちゃんも可愛かったしね!

(何のこっちゃと思う方は、是非とも本編を!)


6位 『屋根裏のポムネンカ』(2009 イジ―・バルタ)

高校生の頃、僕が初めて買った映画秘宝に本作を紹介している記事があり、ずっと観たかった映画でした。
上映の機会もそんなに無かったはずで、自分の中で幻の作品扱いだったのですが、京都みなみ会館でつい先日行われたチェコアニメ特集で遂に観ることが出来ました。
仲良く暮らしているポムネンカたちと悪の帝国との戦いが、とある家の屋根裏で行われるという話です。
いかにもお人形さんといった風情のポムネンカは可愛らしく、仲間たちもクマのぬいぐるみやマリオネット、ねんどの妖精など様々。
反対に悪の帝国のボスは銅像で、奇怪な虫や蛇のようにキョロキョロ動き回る目玉など、なかなかに不気味です。
しかしこの不気味さがチェコアニメの醍醐味といった感じで、たまりませんね。
本作は人形アニメで手作り感溢れており、むかし自分たちがおもちゃで遊んだときのような感覚を呼び起こしてくれます。
僕が観に行った時、2組ほど親子が来ていました。彼らは楽しんで観ていたようで、終わったとき「おもしろかったね」とお母さんに言っている女の子がいました。
映画って、いいもんですねぇ。



以上、10位から6位でした。
さぁ、続けて5位から1位だ!!

5位 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト』(1968 セルジオ・レオーネ)

タランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)のタイトル元ネタであるためか、突然リバイバル上映された本作。「昔々西部で……」という詩情に満ちたこのタイトルも勿論好きですが、大作感をででん!
と突きつけてくる旧邦題の『ウエスタン』も嫌いじゃないです。と言うか好き。
……というワケで、大好きなレオーネ映画の中でも特に好きな本作をシネコンの大スクリーンで観れたのは、ホントに感無量でした。
オープニングで汽車がやって来るまでの緊張感!

ヘンリー・フォンダやジェイソン・ロバーズが出てくる時のオペラのような演出!
ラストのブロンソンのとんでもアップ!
おかげで165分はあっという間。
多くを語らず画面で魅せるこの映画、「映画が好きで良かったなぁ」としみじみ思わずにはいられません。
レオーネ監督が僕らに遺してくれた、素晴らしい贈り物です。

4位 『細い目』(2004 ヤスミン・アフマド)

監督の没後10周年という事で出町座が特集を組んでいたので、たまたま観た映画です。一気に監督のファンになってしまいました。
舞台はマレーシア。
マレー人の女の子オーキッドと、中華系(華人)の男の子ジェイソンが恋に落ちて……
というボーイ・ミーツ・ガールものです。
ジェイソンくんは路上で海賊版VCDを売っているようなヤクザ者なので、オーキッドちゃんと仲良くなるのも苦労が絶えません。
その上、中華系であるジェイソンくんは、彼女の周りの友だちから「細い目」と揶揄されて良い思いをされていません。
2人の家族は、そんな子供たちを受け入れ、何とかこの恋が実るように温かく見守るのですが……

とにかく優しさに満ち溢れた映画です。登場人物たちが他の人に向ける優しさ、監督が登場人物に向ける優しさ。
しかし優しいだけでは、甘いだけの映画になってしまいます。
アフマド監督が偉いのは、この世界は優しさだけではなく厳しさもあるのだと、きちんと掲示するところです。
ジェイソンくんが生きる裏世界の恐ろしさ。中華系だからと言う事でいわれのない悪口を言われてしまう民族間の溝。
そんな厳しさを何とか乗り越えて心を通じ合わせようとする主役2人の姿は、とても健気で美しいです。
この手の恋愛映画では侯孝賢の『恋恋風塵』(1987)が大好きなのですが、
この『細い目』もそれに匹敵するくらい好きな映画になりました。一緒に『タレンタイム 優しい歌』(2009)も観まして、こちらも傑作でした。

この人の映画は普遍的なものを持っていますね。
もう新作が観られないという事実は、あまりに残酷すぎます……



3位 『視覚障害』(1986 フレデリック・ワイズマン)

新作『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』(2017)が公開されるタイミングに合わせてか、
京都・大阪・神戸の映画館たちでフレデリック・ワイズマンの大規模な特集上映が組まれました。
彼はドキュメンタリー映画史に多大な功績を残している人物にも関わらずほとんどDVD化されていないので、今回の上映は極めて有意義かつ貴重だったと思います。そんな中に観た一本。


本作は「聾・盲シリーズ」の一作目であり、この作品に続くものとして『聴覚障害』『適応と仕事』『多重障害』(いずれも1986年)があります。
今回僕は、本作と『聴覚障害』を観ることが出来ました。


アラバマ州立の総合養護施設の中にある盲学校が舞台で、施設の子供たちが勉強や訓練をする光景をナレーションやテロップによる説明なしで映していくという、いつものワイズマン流で魅せていきます。
テレビのドキュメンタリー番組の作りだとよく説明が入るワケですが、そうなると僕たち視聴者は「どこか別の話、特別な話」のように感じてしまいます。
ワイズマンは説明を省き、映したものを淡々と掲示する事によって、観客は映画の中に引き込まれていきます。
彼の映画の中に「入り込んでゆく」感覚に陥るのです。
ジョン・カサヴェテスの映画も、このタッチに非常に近いものを感じさせます。その秘密は何なのか……
テストの成績が良かったため下の階にいる先生に答案用紙を見せに行こうとする子供のシーンが序盤にあるのですが、ここが凄い。
おぼつかないながらも、壁や手すりに沿って廊下や階段を渡ってゆく少年。その模様をずーっとワンカットでカメラは追いかけます。
観客は少年の足取りに緊張しながらも、予想以上に器用に歩いてゆくその姿を見て「おおっ」とも思います。
この「緊張と驚き」は、カメラを回しっぱなしのワンカットだからこそ体感できるのでしょう。
編集の段階で所々切らずに丸々使う。
この大胆さこそが、「映画が持ちうる自由」なのだと思うのです。



2位 『ひいくんのあるく町』(2017 青柳拓)

出町座は先日2周年目に突入したのですが、この映画はオープンしたての頃から「公開予定」のリストに入っておりました。
今年の7月に一週間限定で上映され、一応気にはなっていたものの特に期待せずに観たのもあるかもしれませんが……
本当に素晴らしい映画でした。これが卒業制作で作られた映画と聞いた日にゃ、ビックリです!


物語は監督の故郷、山梨県市川大門の町並みを日々歩き回っている謎のおじさん、ひいくんを追いかけるところから始まります。
障がい者の自立施設に通っているひいくんは、空いている時間で町を歩き回り、みんなのお手伝いをしています。
なので町のみんなにとって、ひいくんは誰もが知っている有名人。
一方、青柳監督の伯父さんは、かつて電気店を営んでいました。が、脳出血を患い認知症も併発しリハビリ生活を送っています。
伯父さんはカメラが趣味で、ずっと市川大門の風景を撮影していました。
そこには、賑っていた町や幼いひいくんや監督の姿が映っていました。

過去と現在が、つながり始めたのです。

自分たちの住んでいる町は、かつての賑わいある町とは変わってきているけれど、ひいくんが歩くことで、おじさんが写真を撮ることで様々な人々の記憶に残り続けています。そしてその記憶が、人と人のつながりが、映画というマジックで一つになります。
特別何かがあるワケでもない町。

でも、そこに住んでいる小さな声に耳を傾けてみると、自分の知らない町の歴史が浮かび上がってくる。
ささやかな記憶だからこそ、映画となって映し出されるとき、そのかけがえのなさにグッときます。
映画って、こんな素敵な奇跡をも生み出してくれるんですね。



さぁ、2019年の岩佐悠毅的第1位は……
1位 『カーマイン・ストリート・ギター』(2018 ロン・マン)

今年の1位はコレです!
いや~、こんなに豊かな時間を過ごせた映画はなかったです。早くディスク欲しいっすね!

ニューヨーク州グリニッジ・ヴィレッジに、ニューヨークの建物の廃材を使ってギターを作るという
お店『カーマイン・ストリート・ギター』があります。
パソコンも携帯も持たないギター職人のリック、パンキッシュな装いの見習いシンディ、
そしてリックの母親の3人が、このギター・ショップの店員たち。
この風変わりかつ魅力的なお店には、様々なミュージシャンたちが訪れる……


黙々と作業するリック。出来たばかりの新作ギターをインスタに投稿するシンディ、掃除をしているお母さん。
映画の出だしからしてスローペース。

そしてカメラもどっしりと構えて、店内に漂う落ち着いた雰囲気を切り取っています。
ミュージシャンたちは店の評判を聞きつけてやって来ます。

リックと雑談したり、彼の作ったギターを弾いている時の彼らはとても幸せそう。
変わりゆく街並みに、変わらないお店と、その人々。
この映画は、そんな彼らのささやかな歴史を映した素敵な映画です。
まるでギター版『コーヒー&シガレッツ』(2003)のような味わいです。
そうそう、この映画はミュージシャンとしてジム・ジャームッシュ監督も登場します。
虫に食われた木の内部を見せて「脳みそみたいだろ」なんて談笑してましたよ。




というのが、今年のベスト10でした!
ドキュメンタリー多いな……

意識したワケではないんですが、感銘を受けた映画を並べるとこうなっちゃいました!
僕自身ビックリしています。


今回ベスト10には入らなかったものの、劇場で観て面白かった、良かった映画たちがまだあります。
10本一気にご紹介~。

『AK ドキュメント黒澤明』(1985 クリス・マルケル)
『きみと、波にのれたら』(2019 湯浅政明)
『恐怖の報酬』(1977 ウィリアム・フリードキン)
『グロリア』(1980 ジョン・カサヴェテス)
『COLD WAR あの歌、2つの心』(2018 パヴェウ・パヴリコフスキ)
『シシリアン・ゴースト・ストーリー』(2017 ファビオ・グラッサドニア、アントニオ・ピアッツァ)
『魂のゆくえ』(2018 ポール・シュレイダー)
『ノーザン・ソウル』(2014 エレイン・コンスタンティン)
『パンク侍、斬られて候』(2018 石井岳龍)


『グロリア』は自宅で何度観たか分からないくらい大好きな映画。
シネマ神戸という映画館で『恐怖の報酬』と2本立てだったので行ってきました。
大きな画面で何とも贅沢な2本立てをしてきました。
実は『バンブルビー』と『スパイダーバース』も、シネマ神戸さんで観てきたのです。
素晴らしい映画館で、すっかりファンになってしまいました。

『突撃!博多愚連隊』(1978)や『狂い咲きサンダーロード』(1980)の石井聰亙監督が、石井岳龍と改名してからはピンと来る映画がなくてイマイチだな…… 

と思っていたら『パンク侍』なるトンでもない爆弾をぶちかましていたんですね。これは快作でした!
『魂のゆくえ』は、いずれ本blogで取りあげたい映画です。色々と思うところありだったので。


さてさて。
『イエスタデイ』(2019 ダニー・ボイル)

『幸福路のチー』(2017 ソン・シンイン)
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』(2019 片渕須直)
『象は静かに座っている』(2018 フー・ボー)
『ラストムービー』(1971 デニス・ホッパー)
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019 クエンティン・タランティーノ)

等々を来年に持ち越して、今年は終わりたいと思います。
これらを持ち越しちゃマズいだろってのは、本人が一番わかってるので突っ込まないこと。
それにしても……

久しぶりに映画の紹介記事を書くと自分で「ああ、なんか腕落ちてないかぁ?」なんて思ってしまいますね。
やはり継続は力なり。

続けることで書く腕も磨かれていくんですよね。
来年はもっと更新できるように頑張りますので、どうか見捨てないでやってくださいね……

それでは、来年もどうぞよろしくお願いします!

イラスト:城間典子

2019年4月30日火曜日

第19回 平成最後の映画紹介は、絶対『ぐるりのこと。』にしようと決めていた。

{はじめに}
この文章は、2015年12月30日発行(こんな年末に最初の号を発行していたんですねぇ……)の『taomoiya雑文集』に掲載された『映画、めくるめく冒険』第1回の文章を再録したもので、ほんの少しの加筆・修正を加えたものです。



こんばんは!
新年度を迎えただけでなく、いよいよ平成があと数時間で終わるという今日!
いかがお過ごしでしょうか?
僕は相変わらず映画の鑑賞本数が少なく(でも、映画館には向かうようにしている…… しているんですよ!)、かと言って読書がメチャはかどっているワケでもない、タンジェリン・ドリームの音楽を改めて聞いて惚れ惚れしたり、ガンダムのポケ戦を観たので次は08小隊を観ようとしている日々です。
戦隊ものなら、五星戦隊ダイレンジャーが気になって見始めたら予想以上のジェットコースター展開に面食らっております。
……誰も聞いとらんっての。


ここ最近観た映画で面白かったのは、DVDで観たキャスリン・ビグロー監督の(単独での)監督デビュー作『ニア・ダーク/月夜の出来事』(1987)でした。
実は以前にも観ている作品で、ふとした時に観返したくなる映画なんです。
自分的に「オイシイ」と思っているポイントをことごとく押さえていて、たまらんのです。
(いつか紹介したい)

 

さて、今回紹介する映画は、橋口亮輔監督『ぐるりのこと。』(2008)です。
この映画、僕が邦画で一番好きな映画だったりします。
一番好きな邦画なので、以前taomoiya雑文集で映画レビュー連載をした時も、一番最初に取り上げました。
それくらい僕にとって本作は大事な映画なのですが、その魅力がちっとでも伝われば良いなぁと思いながら、その記事を再録したいと思います。
映画の内容も、90年代が終わって2000年代に突入していく話なので、平成から令和への移り変わりという節目に良いかな、と思いまして。
(再録記事のため、文章の書き方が「です・ます調」ではなく「である調」です。悪しからず)

 


この映画は、翔子(演:木村多江)とカナオ(演:リリー・フランキー)という一組の「何があっても絶対に別れない夫婦」の生活を、1993年から2001年までの約10年という時間をかけて描いている。
この約10年の間には、20世紀が終わろうとしているにもかかわらず(いや、だからなのかもしれない)、オウム真理教による地下鉄サリン事件や宮崎勤の幼女連続誘拐殺人事件、9・11テロなど陰惨な事件が相次いだ。
この映画の中でも、それらの事件が数々の裁判シーンによって(ある種のデフォルメを施されて)描かれる。
カナオは法廷画家であり、事件の当事者たちを目の当たりにしていく。
 

ここで興味深いのは、カナオが単なる観察者であるところだ。
彼は犯罪者たちを見て怒りに駆られるでもなく、淡々と法廷画の対象として彼らを描く。
この淡々と、という表現はカナオの翔子に対する態度でもあるし、映画のテンポでもあるし、何より橋口監督の目線である。
夫婦の周りで起こることをやたらドラマチックに見せたり、「平和なのにどこかネジが外れてきたような日本と日本人」に対し「これでいいのか!?」と声高に言う映画ではない。
そんなどこかおかしい日本で、それでも「淡々と」生きていく2人の物語なのだ。
俯瞰しているかのような目線だが、橋口監督が主役2人に向ける眼差しは限りなく優しい。

 

翔子は何事もきちんとしたい性格の、出版社に勤める女性。
母親や兄夫婦からは「あんな奴(飄々とした性格が災いしてか、翔子の家族らからはよく思われていないカナオである)とは別れた方が」と言われるものの、カナオとの生活が幸せだ。

2人は子供を授かっていた。
だが、生まれたばかりの子供は亡くなって(泣き崩れる2人や病院でのシーンがあるワケではなく、位牌と飴玉だけでそれを表現している。これぞ映画表現)しまう。
この頃から、彼女は心を病んでいく。

カナオに秘密で2人目の子供の中絶手術を受け、より深い罪悪感に追い詰められる。
そんな彼女がある台風の夜、ついにカナオに対し心のわだかまり、不安、恐れをぶつけ、取り乱す。
だがカナオは慌てず騒がず、彼女が殴りつけても咎めない。カナオは取り乱している彼女を受け入れる。


「どうして私と一緒にいるの?」と、翔子が泣きながら訊く。
「好きだから…… 好きだから一緒にいたいと思ってるよ」と、カナオは静かに言う。

この言葉に嘘はない。
不器用な2人だからこそ、この一連のシーンに胸を打たれる。
僕は、何度もこのシーンで救われた気がする。
(鼻水とちょっとエッチな話がこれに続いて、いかにもリリー・フランキーらしい自然さ&橋口監督らしい観察描写で素晴らしい)


ここがちょうど映画の半分ほどで、かつ一番の盛り上がりどころと言っていいだろう。
嵐の夜を乗り越えて、翔子はまた1人の人間として生き生きと動き出す。
天井画を描き始める翔子と、法廷画家の仕事を続けるカナオ。また2人に、幸せなリズムが息を吹き返していく。

この後も素晴らしいシーンと演技の連続なのだが、此処では割愛。
僕が書きたいのは「何があっても絶対に別れない夫婦」の事だ。
個人的な話で恐縮だが、この映画を観たとき「理想の夫婦だなぁ、こういう人になりたい」と思ったものだ。
不器用で世渡りが決して上手とは言えない2人。
しかし互いを信頼し、絆を深め合い暮らしていくことで、彼らが真に芯の強い人間なのだと分かる。
それは人間的な強さで在り、人が生きていくうえで必要なものだと僕は思う。

まず、相手を受け入れてみる。相手を観察する。
そこから、相手のみならず自分自身も見えてくるのではないだろうか。



リリー・フランキーは、この前にも映画に数本出演している
(演技&映画デビュー作は何と、キング・オブ・カルトな映画を連発した石井輝男の遺作『盲獣vs一寸法師』だ!)のだが、この『ぐるりのこと。』が本格的な映画出演作と言っていい(はず)。
今や人気俳優として活躍している彼だが、本作での演技は正直言って拙い(つまり本作以前の彼の演技は…… 推して知るべし)。
だが、その拙さはカナオの不器用さにきちんと繋がっているため違和感はない。
 


 橋口監督は『ぐるりのこと。』を「主役2人のドキュメンタリーを撮るつもりで臨んだ」と発言している。まさにその通り。
この映画は、基本的に長回しで人物の動きや会話をフレームに収めるのだが、その緊張感たるや。
最近の映画では日常の倦怠感や時間のダラダラしている様を映すために長回しを使っているが、
橋口監督の場合だと事態はそれほど甘くない。
彼が執拗なほど長回しを使うのは、人物たちがどのように他者と近づいてコミュニケーションをとるのか、どのように人は他者と距離を置いたりするのかという「観察者」である彼の性質、姿勢から来ているものだ。
時に冷たいその目線は我々観客を不安にさせるが、安心しよう。
彼はどんな絶望的な状況下に置かれている人物たちにも一抹の光を与えてくれる。


 

余談。
この映画でリリー・フランキーは演者として目覚め、役者として大成するきっかけを得たのだが、
それは翔子を演じた木村多江にとっても同じで、この映画で彼女は初めて主演した。それまでは脇役止まりだったのだ。
この役を演じた後も、ちょこちょこ主演しているものの、やはり脇役が多い。
妙に演者づいてきたリリー・フランキーばかりが主役・準主役級に出演し、木村多江のような女優を放っておく日本の映画界とは一体どれほど愚鈍であるのだろうか!

最後に、僕は「三大・夫婦もの映画」という、夫婦もの映画の中で特筆ものの3本を自己満足で選んでいる。1つは今回紹介した『ぐるりのこと。』で、あとの2つはジョン・カサヴェテス監督の『こわれゆく女』(1974)豊田四郎監督の『夫婦善哉』(1955)なのだが、いずれ紹介出来たらなぁと思う。



といった内容でした!
この後『こわれゆく女』は、雑文集で無事(?)紹介する事が出来ました。
しかし最後の『夫婦善哉』は紹介出来ておらずで、両作ともいつか紹介したいです。
では、令和を迎えても、細々と続けてゆく当blogを何卒よろしくお願いします。



イラスト:城間典子
(僕の映画レビューに初めて彼女の絵が載った、記念すべき一枚です。ここから始まったのかと思うと、感慨深いです。)