2024年5月1日水曜日

第33回 『リンダはチキンをたべたい!』は、ありえない表現とリアルな描写のマリアージュ!

こんにちは!

今回ご紹介するのはフランスのアニメ映画(以下、仏アニ)です。
フランスのアニメ…… 意識しないとなかなか観る機会はなさそうです。
僕も近年の仏アニで観ているのは『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』(2015)『ぼくの名前はズッキーニ』(2016)くらいで、他は多少気になっても見逃したりというパターン。
それでも今回観れたのは、ポスターの絵とケッタイなタイトルが気になったからなのです。そして実際に観ると…… と~っても素晴らしい仏アニだったのです!

 

『リンダはチキンがたべたい!』
(2023 / 監督:キアラ・マルタ セバスチャン・ローゼンバック)

 

幼い頃に父親を亡くした8歳の女の子リンダと、お母さんのポレット。
ある日、リンダはポレットに「お父さんの得意料理だったパプリカ・チキンを食べたい」と言う。
しかしタイミング悪く、ストライキ真っ最中の街中で鶏肉が買えない。決意したふたりは、チキンを求めて波乱万丈の冒険へと赴くのだ…!

目に優しいカラフルさも魅力の一つです

字面だと凄く地味な作品ですが、その地味さ、物語のバックボーン、演出が三位一体となって一つの「凄いアニメーション」を作り出しています。

まず、本作のキャラクターたちはシンプルな線で描かれており、しかも一色ベタッと塗られているだけ。
リンダ=黄色、ポレット=オレンジといった具合です。他のキャラクターたちもそれぞれの色で分けられています。
しかも引きの画になると、そのキャラクターの色をした〇が動き回ったりする(色が、輪郭線をはみ出す!)という塩梅で、ぱっと見「色はみ出してる()テキトー?」なんて思ってしまいます。

左:寄りの画のとき  右:引きの画のとき

もっとも、この独特な作画は共同監督のローゼンバックが以前監督した『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』(2016)での経験を踏まえ、より発展させたものとなっています。

そしてこの作画は、演出意図にも合致しています。
リンダたちが住んでいる場所は「社会住宅」と呼ばれる、様々な人々が住めるように公的資金を投入している集合住宅です。
あまり裕福でない家族だったり、移民、一人暮らしの高齢者etc……。
このような舞台で動き回る人物たちを文字通り「十人十色」で描き分けているからこそ、本作のキャラクターたちは「多文化共生の国フランス」という現代を生きるテーマからブレずに存在しているのだと思います。


加えてフランスは、デモやストライキが市民の権利としてごく当たり前に行われている国でもあります。
本作のドタバタの発端としてもストが絡んでおり、単に物語のキッカケである以上にフランスという国の“現在”も描かれている事にハッとします。
地に足ついた設定から、ナンセンス極まる物語が展開されていくことが、痛快かつ愉快なんですね。

最初はリンダとポレットの二人だけで進行していたのに、終盤では伯母や警察、ご近所の友人たちを巻き込んでの大騒動に発展していくこの感じ、どこかで……そうだ、ルイ・マル監督が撮った『地下鉄のザジ』(1960)に似た雰囲気なんだ!
思えばあの映画も、田舎からパリの地下鉄を見に来た女の子が、ストのために地下鉄に乗れず街に繰り出して騒動を… というナンセンス喜劇でした。


パンフレットのインタビューを読むと、確かに参考にしている部分もあり、それどころか「アニメーション版のヌーヴェルヴァーグを目指した」とまで書かれていました。
それまでのセット中心で撮影されていた映画とは対照的に、街頭にキャメラを持ち込み、即興的に撮影した、フランスが誇る映画史の革命“ヌーヴェルヴァーグ”。
その精神がアニメーションに引き継がれたのは興味深いです。

この撮影では、まず“音”から録音したそうです。
しかも録音スタジオだけでとったのではなく、実際に外へ出て、キャラクターが取る演技を実際に俳優にさせながら録音したのです。
例えば劇中、団地内のエレベーターでサッカーに興じる子ども二人の場面があるのですが、それは本当に団地のエレベーターで子どもにサッカーをさせながら台詞を言わせているのです。
キャメラで撮影をしない以外は普通の映画の現場みたいだったと言う、驚きの手法です。
そして、録音された「生き生きとした台詞、効果音」の魅力を損なわないよう、キャラクターたちの作画も即興性溢れる、臨場感に満ちた描かれ方をしています。

躍動感を大事にした絵と音。それらは劇中何度か挟まれるミュージカルシーンで表現の真骨頂を見せていると言っても、過言ではありません。
直線的に語るだけでは取りこぼしてしまいそうなキャラクターたちの物語、背景をミュージカルが補完してくれ、とりわけ最後に歌われる、亡きお父さんの歌パートは最も脈絡なく挿入されながらもグッときます。表現かくあるべし。

このモコモコしたものは鶏。これで動き回るんで初見時は爆笑でした

今回は演出的な面から本作の魅力について書きましたが、それが全てではありません。
リンダとポレットが何故そこまでチキンを手に入れ、パプリカ・チキンを作る事にこだわるのか。
かすかな記憶を繋ぎとめるために出来ること、しておきたいことって何なのか。状況こそ違えど、誰にも起こり得る問題提起を描いています。


とは言え、先ずは本作の世界観にドップリ身を委ねることから始めましょう。
そして大いに驚き、笑い、しみじみし、チキンを食べたくなったら良いじゃないですか!


イラスト:岩佐悠毅
とにもかくにも観てみないと面白さ、凄さの伝わりづらい本作。
先ずは予告編をご覧になってみてください。

2024年4月1日月曜日

第32回 『PERFECT DAYS』を観てからの、僕のDAYS

こんにちは!
突然ですが……わたくし岩佐悠毅は、本ブログの挿絵を担当している城間典子さんと昨年結婚し、今年の2月に大学時代から住んでいた京都を離れて、故郷の大分県へ戻ってきました!
引っ越しのアレコレ、身の回りの環境への適応、新しい仕事が少~し落ち着いてきて、やっとブログに手をつける事が出来ました……。

地元の佐伯市ではなく、大分駅やトキハ(大分県が誇る百貨店)本店がメチャ近い大分市内ど真ん中が、僕たちの今の住まいです。少し(30)歩けば食べ物屋はあるし、商店街も近い、面白い本屋も映画のポスター屋もある、といった恵まれた立地。
忘れちゃいけない映画館も、地元にいた頃からお世話になっているミニシアター・シネマ5が徒歩3分。
ありがたや~。シネマ5で観た映画たちも、ドンドン紹介していきたいですね。

今回ご紹介する映画は、離れる前の京都で1回、大分へ越してきてから1回と(今のところ)合計2回鑑賞し、アカデミー賞も受賞してホットな話題を振りまく『PERFECT DAYS(以下、パーデイ)です。

PERFECT DAYS(2023 / 主演:役所広司 / 監督:ヴィム・ヴェンダース)
渋谷の公共トイレ清掃員・平山(演:役所広司)の淡々とした日常を丁寧に追う本作。

大好きなヴェンダース監督が、『東京画』(1885)『夢の涯てまでも』(1991)以来、本格的に東京の街を撮ると聞いて、ワクワクが止まらず、期待大にして映画館に向かいました。が……何だろう、この違和感。この映画が評価されるのは分かるし、事実「良い映画だな」とは思うのですけれど、何だかな~な部分も感じたのでした。
とりあえず本作で感じた事を書き連ね、それでもこの映画から受けた影響、考えを書きたいと思います。

平山の日常は「流れ」として完成されており、ルーティーンが映し出されていく中で「平山が大切にしている事」「周りの環境」が見えてきます。それが……。

思わず「悟ってんのか」と言いたくなるくらい自分の世界・生活に準拠している平山はともかく、周りの人物たちのキャラクターがいかにも作り物くさく、作り手側が言っている「平山のドキュメンタリーのつもりで云々」が白々しく聞こえてしまうのです。
特に平山の同僚であるタカシ(演:柄本時生)の軽薄な若者像は、観ているこっちが「(演じてる)時生かわいそうだな…」といたたまれなくなる始末。
本作に限らず、口癖のある人物を描く時って凄くキャラクター感が出てしまう場合が多いと思います(『シン・仮面ライダー』とか)

人物に留まらず、平山の路駐自転車描写とか田中泯扮するホームレスの描写など、現実の東京なら「即アウト、撤去もんだろ!」とツッコみたくてしょうがない!
野暮な見方だと思うものの、こういう細かい部分が嘘くさいと、映画全体が嘘っぽく見えて勿体ないなぁと。


劇中で平山は、姪っ子のニコ(演:中野有紗)に対して「この世界は、本当はたくさんの世界がある。繋がっているように見えても、繋がっていない世界がある」と語ります。
これは平山の背景にも重要な意味を持ってくる台詞なのですが、この台詞がある事によって、逆に平山の世界が凄く閉じられたもののように感じられたのです。

平山の徹底した生活は、外部からの「世界の持ち込み」を歓迎しません。行きつけの銭湯や居酒屋のテレビから流れるのは野球や相撲ばかりで、日本や世界の現状は伺えない。
本こそ読むけれど、映画なども観に行かない。これまでの作品で映画愛を謳ってきたヴェンダースが「映画」を持ち込まなかったのは、「もう一つの世界との出会い」を徹底して除こうとしたのだと感じました。
(同じ時期に観たアキ・カウリスマキの『枯れ葉』(2023)とは、その意味で凄く対照的です)

この映画の中での「世界」との繋がりは人と人との間にしかなく、だからこそ日々をキッチリと過ごす平山が、思わぬ人物と出会ったりコミュニケーションを取る際にうろたえたりするのかな、とも感じました。
もっとも、そのうろたえた時に平山の“人間らしさ”が見えてきて好印象なのですが。


と、色々と文句じみた感想を書きましたが、だからといって嫌いになれないのが本作、というかヴェンダースの映画。素直に「良いなぁ」と思える点もやっぱりありました。

先ずは映像。
ヴェンダースの映画に映る都市は、いつだって異世界。見慣れた光景が映し方ひとつ変えるだけで初めて見るような感覚に陥ります。
早朝の淡い光に包まれた東京の画、車を走らせながら通り過ぎる光景、カメラを向け、日々変化する木漏れ日を撮る瞬間。
写真家の森山大道に深く共鳴するのと同じように、僕はヴェンダースの映像に、その狩人のように風景を切り取っていく視点に共鳴します。

平山がニコと自転車を走らせるシーンは、役者が映っているシーンの中で最上の場面ではないでしょうか。ここにはヴェンダースお得意の即興感溢れるキャメラと、眩しいほどの役者と風景の融合が見られます。

劇中は自転車2台が光の中を並走します。それはそれは美しいシーンなのです。

そして音楽。
極論させてもらうと、平山の日々を音楽のみで語らせる事も出来たのではないかと感じるのです。
それほどに本作に流れる音楽は平山を、映画の時間を代弁しており、台詞以上に雄弁です。
(ルー・リードの『PERFECT DAY』の使われ方は、いかにも俗っぽくて初見時は「ありえない」なんて思いましたが、2回目に観るとその俗っぽさが平山の人間臭さに繋がっているようで微笑ましく観れました)

映画の時間に寄り添った選曲。これは良い意味でも悪い意味でもPV的な使い方です。
実際、今までのヴェンダース映画以上に使われ方が俗っぽいんですよ。キンクスとか、ニーナ・シモンとか。
しかし、こういう使い方って僕たちが日常生活にやってしまいそうな選曲だなって思ったときに、逆に「今まで以上に作る側と観る側の距離感を近くに感じさせる曲選びだな」と感じたのです。そう思うと、「こういう使い方もアリなんだ!なるほど~」と感心しました。


ヴェンダースは本来「脚本の映画」よりも「撮影の映画」を撮ってきた人であり、本作は(個人的に)「脚本の映画」部分が少し強かったような気がします。
人物の会話になると、どうしても脚本以上のものが見えてこず、それが世界観の狭さに見えてくるのかもしれません。
ただ、自転車、車、そして影踏みと、何かが“動く”シーンになると途端に良く見える。それは脚本の束縛を乗り越える“運動”故に生じた映画の感動なのでしょう。
不満点も多いけれど何だか憎めない。僕がパーデイに思うのはそんな感情でした。


ただ、都会での新生活を始めた身からすると、日々を慣らしていく意味も込めて、平山のように日常を「流れ」で過ごせるようにしていこうと、少なからず影響を受けているようなのです。
「洗濯物を回し、干す」というのを出勤前にすることで生まれる早起き。開拓中だからこそ生まれる新しいお店との出会い、常連化。スマホをなるだけ見ず、読書に割り当てる時間。思い切りオフを楽しむために足を運ぶ本屋や映画館……。
本作を観て以降、京都生活でも心がけていた「生活のリズム、オン・オフ感」を、より意識したように思います。

物欲にまみれた自分には平山のようなミニマリストにはなれそうもありませんが、日々のリズムを意識的に作ってみたり、自分の中で大切にしたいものをハッキリと表明させていくことは出来そうです。

パーデイのチラシを自分流に描きました。難しいポーズ!

イラスト:岩佐悠毅
新生活の気分を、僕の分身ことマスター君に乗せてみました。
自転車って、描くの難しいですね。

2024年1月8日月曜日

第31回 2023~2024年の映画に関するアレコレ

こんにちは!
前回の投稿では、昨年観た印象的な映画たちについて書きました。今回は昨年見逃した映画や今年公開される映画たちの事を書いていこうと思います。


年末の忙しい時期に公開だったのもあって「仕方ないよ」と思いつつも、やっぱり観ておきたかったのはヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』(2023)とアキ・カウリスマキ『枯れ葉』(2023)でした。
ヴェンダースは2022年のレトロスペクティブこそ観に行きましたが、新作は映画館で全然観れていない監督の一人。数年前の『アランフエスの麗しき日々』(2016)も「今はいいかな」と見逃したら、ソフト化もされない現在。あ~あ、悔やんでも遅いです。
これまでも『東京画』(1985)『夢の涯てまでも』(1991)で東京の姿を映していますが、満を持して「東京を撮る」感がある本作。
劇中で流れる挿入歌のセンスも「さすが~」ですし、この映画で初めて知った金延幸子がすごく良く、年明け早々、挿入歌として流れる『青い魚』を収録したアルバム『み空』(1972)のCDを購入しちゃいました。本作を特集したSwitch特別号も読み、準備はオッケーてなもんです。
映画が作られるそもそものキッカケからして、少し企業臭漂う感じなのが気になりますが、ピュア極まりないヴェンダースの切り取った東京の日々を、曇りなき眼で観たいと思います……。


カウリスマキが、前作『希望のかなた』(2017)の時点で監督引退宣言をしていたとは、ぜ~んぜん知りませんでした。
そんな宣伝もしてなかったような気もしますし(公開後に言ってたのか?)。
なので「へぇ!」とビックリもしましたが、こうして新作を撮ってくれて嬉しい限りです。 ヴェンダースの『パーデイ』と違い予告編と公式サイト以外の情報を全然入れてない状況ですが、作品尺が80分弱しかないと言うじゃありませんか。
短けりゃいいと言う気は毛頭ありませんが、それでも昨今の映画は長過ぎる。
常に長尺で撮る監督もいますから、きっとその監督にとっては「これが私の語り方」なのかもしれませんが、いかんせんその語り口が上手くないな…と愚痴っぽくなる始末。
「語るべきこと、映したいものを無駄なく豊かに映し出すこと」も、映画を作る人間に必要なセンスではないでしょうか。
カウリスマキは勿論、最近の監督で言えばケリー・ライカート、三宅唱などを観ると、つくづくそう感じずにはいられません。

話を戻して… これまでもシンプルな語り口でアッと驚かせてきたカウリスマキ監督。サイト内に載っている(皮肉屋らしい)監督コメントにもある通り、現在の世界は大きな暴力と悲しみの連鎖に満ちています。日本でも、元旦から大地震が起こり今も大変な状況にあります。
それを無視するのではなく、現実を意識したうえで「あえて愛の映画を作った」という監督。
世界で起きている事に比べたら、映画なんてチッポケなのかもしれません。
しかし、だからこそ、目をそらすための娯楽ではなく現実を見据えたうえで、映画の魔法を信じてみる。
カウリスマキの映画はいつだってそうでしたし、観る側の僕たち観客も「魔法」に身を委ねてきました。
だから映画を観る喜びに溢れるし、明日を生きる希望を見いだせるのだと思います。
そんな監督の最新作である『枯れ葉』。とてもワクワクしています。


とってもとっても観たかったのは上記の2本でしたが、
『福田村事件』(2023)
『THE FIRST SLAM DUNK』(2023)
『首』(2023)
『1%の風景』(2023)
『single8』(2023)
『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(2023)
『バービー』(2023)
『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』(2022)
『おーい!どんちゃん』(2022)
『aftersun アフターサン』(2022)
『午前4時にパリの夜は明ける』(2022)
『EO イーオー』(2022)
『栗の森のものがたり』(2019)
『冬の旅』(1985)と、見逃した映画は数知れず。

こんなに観れてなかったのかと、書き出して唖然とします。
ちょっとでも気になれば、良い映画だろうがイマイチだったろうが観に行くべきだなと、今なら分かります(遅い!)。
『スラムダンク』はCGとキャスト変更が個人的にネックとなったり、前作『眠る虫』(2020)が個人的にピンと来なくて「ま、いいか」と見送ってしまった『ぬいぐるみ~』など、見逃した理由もあるにはありますが、でもアンテナにビビっと来たなら、行っとくべきだったな……。クローネンバーグだって、久々の新作だったのに。
大好きな『6才のボクが、大人になるまで。』(2014)の沖田修一版みたいだと思った『おーい!どんちゃん』を観れなかったことは大きな痛手でした……。まぁ、本作の公開タイミングは絶対合わないものだったので、諦めもついたのですが。


というワケで、今年はこんな後悔の嵐にならぬように映画館鑑賞に努めていきたいと思います! 
まずは何と言っても、ビクトル・エリセ監督31年ぶりの長編映画『瞳をとじて』(2023)でしょう!
静かな映像美の中に、人物の心の機微を見事に捉えてきたエリセ監督。
『ミツバチのささやき』(1973)『エル・スール』(1982)も相当に大好きな映画ですが、オムニバス映画『ポルトガル、ここに誕生す ~ギマランイス歴史地区』(2012)での『割れたガラス』というドキュメンタリーで魅せた映像の力強さ、豊かさに感銘を受けた身としては「伝説の映画監督で終わっておらず、今でも素晴らしい映画を作っている事」がとても嬉しかったです。
そこからまた10年ほど空いての本作は、映画についての映画であり、『ミツバチ~』で主人公アナを演じたアナ・トレントの再登板など、話題に事欠きません。
170分近くある映画なので少し身構えていますが、どっぷりとエリセ監督の語り口に浸りたいと思います。

次は三宅唱監督の『夜明けのすべて』(2024)でしょうか。
彼の出世作である『Playback』(2012)を観た時は「なんてオシャレ系映画なのかしらん」と、無性に気に食わない的な態度でした。
が、『きみの鳥はうたえる』(2018)で良い意味の「おや?」となって好きな映画となり、続く『ワイルドツアー』(2019)『ケイコ 目を澄ませて』(2022)は「素晴らしい!」の一言。
いま、邦画の監督で最新作が一番気になる人です。
人物だけでなく風景の切り取り方も素晴らしく、「画面に映る風景の中に人物が生き、物語が動いている」っていう感じがします。
ただ漫然と舞台としての空間を映すのではなく。うまくは言えないけれど。
その三宅監督が特集上映時の予告編演出をした、アメリカ映画期待の星ことケリー・ライカート監督の『ファースト・カウ』(2019)は昨年ようやく公開されたものの見逃したため、これも年またぎ鑑賞となります。


突然ですが、2024年前半は、俳優ハーヴェイ・カイテルの年になりそうです。
だって、『レザボア・ドッグス』(1992)のデジタル・リマスター版に始まり、1月中旬から『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』(1992)、2月は『テルマ&ルイーズ』(1991)の4K版、3月には『ピアノ・レッスン』(1993)の4K版と、彼の代表作が綺麗になってドカッとリバイバル上映されるのですから! 
今も元気に活動している彼ですが、やはり90年代という時代を担った人だなと感慨深いものがありますね。
どれも大好きな作品でDVDで観返すことも多いけれど、劇場では観たことがないため、スクリーンで向き合えるのが楽しみで仕方ありませんね! 
(ところで、僕はハーヴェイ・カイテルの泣くシーンが大好きなのですが、共感する人いますか? 『レザボア~』でも『バッド・ルーテナント』でも『ユリシーズの瞳』(1995)でも「うううぅぅ~」と唸るような声を上げて泣くその様は、唯一無二のお姿だと思うのです……)

他にも、タル・ベーラ監督の『ヴェルクマイスター・ハーモニー』(2000)のリバイバル上映や、クリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』(2023)も遂に日本での公開が決まりましたね。いずれも早く映画館で観たいです。
日本公開がいつなのか決定はされていませんが、『PERFECT DAYS』(2023)公開中のヴィム・ヴェンダースの次作『ANSELM』(2023)も見逃したくない一本。
『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(2011)の時と同様、3Dのドキュメンタリー映画だそうで、作中で暗唱されるパウル・ツェランの詩集は購入済、読んでる真っ最中です! 


と、ザッと反省と期待の文章でした。
映画館での鑑賞だけでなく、今年は鈴木清順のBlu-ray-BOXが発売されたり、ジョン・フランケンハイマーの大傑作『RONIN』(1998)や、本家よりも好きな『エクソシスト3』(1990)、『悪魔のいけにえ2』(1986)『ザ・ドライバー』(1978)『悪魔のはらわた』(1973)等々、色んな映画のUHD-Blu-rayが出たりして、嬉しい反面お財布事情が心配です。頑張らなきゃ。
そう言えば、昨年の11月頃にシネフィルDVDさんが、それとなくフェリーニの『そして船は行く』(1983)Blu-rayの販売をほのめかすツイート(「出たら買う人います?」みたいな)をしていたんですが、是非とも欲しい!あの映画、泣けるんですよね~。

「さぁ、どうなるか2024年」といったところですが、「どうなるか」ではなく「どうしたいか」という気持ち一つだなと。
そして日々の発見や発信を大事にできる年にしていきたいと、年始一発目に観た『パターソン』(2016)を観ながら決意しました。

本ブログも映画も人生も、絶え間なく続いていきます。素敵な映画との出会いが皆さまにも訪れますように。
どうぞ、これからも宜しくお願い致します。

2024年1月7日日曜日

第30回 2023年の映画を振り返るアレコレ

こんにちは! 
新年、2024年が始まって、はや数日。
僕たちと、このブログを読んでくださっている貴方、みんなで良い年にしていきましょう。 本年もブログの頻度はマイペースな気がします。でも、そろそろ「毎月1日に更新」とか決めていった方が良いなと感じています。 
更新してるんだか分からないブログなんて、誰も見ませんものね…… はっ、後ろ向きはイカンな!
というワケで、今まで以上に習慣化していこうと思います。
本年も何卒、よろしくお願い致します。


さて、昨年は仕事面でも家庭面でもバタバタとしており、笑っちゃうくらい映画館へ足を運べませんでした。
観たい、気になると思った映画の半分以上も観れなかった有り様で、今年はより映画館へ足をのばし、映画文化を応援しようと決意した次第です。
2023年ベスト10を組めないくらいに新作を観れていないため、新年一発目のブログは映画に関係するアレコレを書き連ねようと思います。こういう投稿は、何気に初めてのことです。 


昨年話題になった映画で観れたのは、宮崎駿『君たちはどう生きるか』庵野秀明『シン・仮面ライダー』(共に2023。以下、『君どう』『シン仮』)くらいでした。

共に初見時は凄く戸惑った作品で、シン仮はもう一度映画館で鑑賞、アマプラで配信されたので何度か再見したのですが、『君どう』は一回観たきり。
もう一度観に行って色々考えたいと思いながら、あっという間に年を越してしまいました。 映像の密度と描きたいものの欲望に満ち満ちていて、画面に映るものを追いかけるのが精一杯という状態でした。なので観終わった後は茫然。
前作の『風立ちぬ』(2013)は落としどころがあったよなぁ(あと、宮崎監督の遺言ぽい雰囲気)と思うばかり。こんな書き方ですが、この度の映画がスッカラカンだと言いたいワケではありませんよ!? 
「考えるな、感じろ」と言ったブルース・リーの言葉そのままを行く、稀有な映画体験でした。
今年も、どこかでロングラン上映している劇場がないですかね…… 今度こそ観に行くんだけれど。


『シン仮』も、相当面食らった作品でした。
チャチいCG、アニメ臭い人物造形、盛り上がるべき戦闘シーンが暗い画面、結局エヴァっぽい精神世界描写と話の落ち着けどころ。
「これが庵野さんのやりたかった仮面ライダーの世界なのか??」と頭を抱えるばかり。
ただ、2回目の鑑賞、他のシン・シリーズとの比較鑑賞やそれまでの事を鑑みてみると「ここまで歪ながらも正直な作品ってないな」と思うようになりました。
「庵野秀明」「仮面ライダー」「シン・シリーズ」というネームバリュー、それらに期待する売り手と観客の需要、作家としての矜持と妥協点。
様々なものが組み合わさって出来た、シン・仮面ライダー。

本郷猛のパーソナリティはそのまま庵野監督と言ってもよさそうですし、一文字隼人のより明るめなキャラ作りも、監督にとっての「希望」の象徴に見えました(本作の一文字こと2号は、本当に良いキャラクターしてる)。
何より、「石ノ森ヒーローは涙を見せる」という点をきちんと描いているのがグッとくるポイントでした。
日本を代表する特撮ヒーローである以前に、人並みに苦悩し涙する、孤独なヒーロー。
 この一点だけとっても、庵野さんが仮面ライダーを描いたことは「なるべくしてなった」と思います。
いつもの鷺巣詩郎さんではなく『天元突破グレンラガン』の岩崎琢さんが担当した音楽も、最初は戸惑いまくりでしたが聴けば聴くほど好きになり、今ではシン・シリーズ一の愛聴サントラとなりました。おかげで(?)、シン・シリーズの中で最も愛着の湧く映画になったとさ。
どう話を転ばせるか期待半分不安半分といった気持ちですが、第2+1号が活躍する続編、観たいなぁ。
(それにしても、塚本晋也演じる緑川博士の若かりし日が写っている写真。髪の毛フサフサ&マフラー巻いてバイクにまたがっているその姿は、かつて木梨憲武がやっていた仮面ノリダーみたいで、シリアスなシーンにも関わらず笑ってしまいました。皆さん、あの写真の塚本さんと木梨さんは似てるって思いませんか!?) 


と、観てきた映画の代表格を書きました。
勿論、これらだけを観たワケではありませんよ!
「タランティーノは常に話題になるけど、彼はどうしてるんだろ」と時々思い出す男、ロバート・ロドリゲス監督の最新作『ドミノ』(2023)は、あらすじからしてクリストファー・ノーランぽい映画なのかなと観る前&前半を観ている間は思っていたんですが、後半になるにつれ力技&メキシコ愛に満ちてきて、抑えきれないB級作家精神に溢れた楽しい映画でした。
「凄くセット臭いけど、逆にセットをセットらしく撮ることの方が貴重だし凄いよな」なんて思っていたら○○な事になるし、劇中の音楽は相変わらずジョン・カーペンターぽくて「好きだなぁ監督」なんて思っていたら、何とロドリゲス監督の息子であるレベル君の作曲だと! 
レベル君と言えば、ロドリゲス流ゾンビ映画『プラネット・テラー』(2007)で子役として出てた子じゃないか!とビックリ。お父さんの仕事を手伝うだけでなく、担当した音楽まで似るなんて……。
とにかく「~だと思ったら○○」が多かった本作。
こういう良い意味でB級の、サービス精神たっぷりの映画をシネコンの大スクリーンで観れるのは、乙な体験というか、贅沢なもんだと感じました。


年末に滑り込むようにして鑑賞した3本の映画、前田弘二『こいびとのみつけかた』デヴィッド・フィンチャー『ザ・キラー』ウェス・アンダーソン『アステロイド・シティ』(いずれも2023)はどれも期待以上の素晴らしい出来栄え。

前田弘二監督は日本のコメディ映画をしれっと支えてくれている、有難く貴重な監督ですね。主役二人が陰気な顔してるのも、ポイント高いです(えっ)。
フィンチャーは好きな時とあまりノレないときがあるのですが、本作は好きなフィンチャーでした。
いちいち演技も画面もキメてくるくせにスットコドッコイという、上等なハッタリを魅せてくる映画でした。これもある意味コメディかな?
そしてウェスです。この人は自分の持つ色、ウェス色を極めてきていますね。画面も語り口も。
ロケーションの生々しさとセットの手作り具合が上手いこと合致していた初期~中期らへんの作品が好きではある(『ダージリン急行』(2007)が一番好きだ!)のですが、こういう風に描きたいとなると、そりゃこうなるわなと。あ、これも好意的解釈ですから!


う~む、何だかこれだけで長くなってしまいました。年々文章が長くなってきているのは悪い癖だな……。
いったん区切って、昨年観れなかった&2024年観るのが楽しみな映画のアレコレを次回に回します!